平成17年秋季研修会(奈良県計量管理協会)

日時        平成17年11月11日(金) PM1:00
研修場所      柳生・芳徳寺および正木坂道場

柳生氏
 
12世紀中ごろ、春日神社の荘園管理者としてこの地に土着。中世末ごろ柳生
城を築くも天文13年(1544)筒井順昭に攻められて落城。筒井氏、後に松永氏・
続いて織田信長に従う。
 
石舟斎宗厳は武術にすぐれ・上泉伊勢守信綱について剣法を修め、殺人剣
を活人剣にする修行を積み、柳生新陰流を創始。文禄三年(1594) 徳川家康
に召され兵法の秘術を呈し、以後徳川家に宗矩と共に伝え、将軍の剣術師範
役を勤める。宗矩は秀忠、・家光の信頼厚く、たびたび加増されて一万石の大
名に列す。長男の十兵衛三厳(ミツヨシ)は宗矩の死後家督を相続したが、四年後
狩猟中に四四歳で急死。弟の宗冬が相続。代々藩主は将軍の武道師範役を
勤め、江戸に常住、江戸中期以降は実力も低下、名のみとなった。
剣豪小説で有名になったが、虚実が入り混じり創作が多い。特に、山岡荘八の
『春の坂道』がNHKの大河ドラマとして昭和46年に放映されて大ブームが起こ
り、この静かな山里に50万人がおしかけた。
1.芳徳寺
臨済宗、大徳寺派。
1638(寛永15)年に柳生但馬守宗矩が父・宗厳(石舟斎)の菩提を弔うために建てた寺で、寺の名も宗厳の法名「芳徳院殿荘雲宗厳居士」に由来している。
柳生の里を一望する山王台に建てられた寺は、以後、柳生家代々の菩提寺となる。
本堂には釈迦如来坐像をはじめ宗矩、沢庵和尚の像、柳生十兵衛が書いた秘伝書の『月の抄』が展示されるほか、本堂裏手の墓所には宗厳、宗矩や時代劇で有名な柳生十兵衛の墓がある
350年前の「ます」「ものさし」も展示
第一世住職は、宗矩の末子義仙(列堂和尚)。
宝永8年(1711) 火災で焼失。正徳4年(1714) 再建。明治に荒廃無住となったが、
大正・昭和と復旧。平成8年、本堂解体修理。

@宗矩像  慶安4年(1651) 宗冬が父七回忌に仏師康貫 
        看に作らせた。 沢庵像  明暦3年(1657)義 
        仙が仏師康春に作らせた。
A柳生家歴代墓地  石舟斎宗厳、但馬守宗矩、十兵衛三
        厳、以下歴代一族の墓碑が並ぶ。
芳徳寺お堂から見た門

石の階段が足に堪えますが、紅葉が綺麗です

2.正木坂道場
  もと柳生友矩の邸宅のあとに、先代の芳徳寺住職の手によって創建された道場である。
  建物はもと興福寺の別当であった一乗院の建物を譲り受け、全国各地からの浄財によって
  昭和40年に完成されたものである。
  場内の正面入口は京都所司代の玄関であった。
  東・西・南三方は座禅の単床で、中央は武道の道場となっている。
  宿泊の設備もととのっており、整備箱にはおのおの禅にゆかりの言語が書かれており、
  いかにも剣禅一如の道場を物語っている。
  この道場で剣道を志す者は必ず半時間は座禅をせねばならない。
  それは「剣と禅の一体化が柳生新影流の主眼であるからだ」と住職は言い、
  「この道場は若い人々が人生への旅に出る基礎をきずく道場にした」と述べている。

       道場内部                   お世話になったガイドさん

3.行政からの連絡事項