熊野勧心十界図
熊野観心十界曼荼羅は、
上半分に嬰児(えいじ)から老人までの男女を階段状 に順次配し、下半分にはいろいろな地獄と
これに落ちて苦しんでいる人間の光景などを描いた絵で、
天上・人間・修羅・餓鬼・畜生・地獄の六道に、仏・菩薩・声聞・縁覚の四聖界を併せて
十界が描かれています。
1.右端半ばには立派な屋敷の中に貴族風の夫婦が座っています。妻はたらいを前にして生まれた
ばかりの赤子を産湯で洗っています。この子は男でしょう。家の後継ぎとして、
この家の繁栄が間違いないことをあらわしているようです。
2.この赤子は上に描かれた「人生の山坂」と呼ばれる坂を登って成長していくのです。
そしてやがては老いていくのです。
坂の上り口に立つ鳥居の下に裸の赤ん坊がいます。この子がだんだん成長し梅の小枝を持ち−
扇を持ち−髷を結う−柳の小枝を持ち烏帽子をかぶり―元服した姿と続き、
次に6組の夫婦が続いています。
3.扇をかざしている男は人生の最盛期であることを示しています。その妻は後を振り返り、
今までのことをいろいろと思い出しているようです。
「老いのさかのぼりのぼりてあと見れば、あとのとうさや、先の近さや」振り返ってみれば、
はるかに人生の盛りは過ぎ去って、老い先は短くなってしまった、といった思いでしょうか。
4.次の夫婦はもう坂を降り始めています。そして次の夫婦はぐっと年寄りに見えます。
ここでは老婆が孫に手を引かれて坂を下っていく。若い男は老婆の息子だろうか。
杖をついた老爺はこの 4人家族の仲間と思われます。
5.次には腰の曲がった老婆が一人と、墨染めの衣をまとった尼さんがいますが、この人たちは
家族を失って孤独な一人暮らしになってしまったのかもしれません。
坂の下りには鳥居が立ち、その下で墨染めの衣を着た僧が一人座って鳥居から出ようか
どうしようかと迷っています。鳥居を出ればそれは死の世界なのです。
6.鳥居の外は死の世界です。五輪と卒塔婆があって死んだ人が黒と白の犬とからすに
肉を食べられています。
人間の誕生から死までの世界が梅、桜、松、もみじ、昼間の太陽、夜の月という具合に
自然の移り変わりとともに描かれています。
7.地獄での夫婦の姿
死出の旅路はここから始まります。三途の川には浅いところと深いところがあって深いところには
が逆巻き、恐ろしい竜が舌を出して亡者をにらみつけています。
川の傍には大きな松ノ木があって奪衣婆が控えています。この婆さんは山姥とか山の神と
かのように恐ろしい姿で大きな松ノ木を背にして座っています。
ここでは夫婦がひざまずいていますが、すでに着物を剥ぎ取られています。
このあと閻魔大王のもとにいき罪を裁かれて六道や浄土に生まれ変わることになるのです。
閻魔大王は浄玻璃の鏡と罪を量るはかりでもって亡者を裁くのです。
大王の前の人は何とか罪を軽くしてくださいと頼んでいますが、この男の人は天秤のはかり
にかけられています。ですから、どんな細かい罪をも逃れることが出来ません。
8.畜生道には人面の牛と馬がいますが、これはもと夫婦で動物を飼い、それを殺して肉を売り、
まったく供養をしなかったのでしょうか。
鳥インフルエンザにかかった鶏を何万羽も生き埋めにしたり、狂牛病にかかった牛を殺した
殺生の罪によってこんな姿に生まれ変わる人もあるのでしょうか。
9.この鳥居の下には裸の男が切腹して血を流している姿が描かれていますが、槍や刀を持ち、
あるいは馬に乗って戦に出たのに敗れてしまい、もうだめだと思って命を絶ったのでしょうか。
ここは命をかけて争う戦争の場です。ここが修羅道です。
10.火の燃え盛った柱に縛り付けられた男、火の車に乗せられて運ばれる女、
針の山を登らせられる夫婦、寒い寒い八寒地獄に閉じ込められた夫婦、
暗闇の迷いからどうしても抜け出せない暗黒地獄、まっさかさまに2千年も落ち続け無間地獄に
落ちていく夫婦。黒縄地獄では鬼に大くぎを背中に打ち込まれている男がいます。
誰も四十九餅を供えるものがなかったのでしょう。白い着物を着た女が四十九餅を供えて
祈っていますが、これはからだにくぎを打たれる苦しみを助けるために寺にある位牌に餅を
供えるのです。鬼はくぎを餅に打つので亡者の苦しみが消えて助かるというのです。
この女の人は着物を着ていますからもう救われています。まだ救われていない夫を救うために
ここで祈っています。
11.女だけが落ちる地獄に血の池地獄があります。仏弟子の目連尊者が女だけが苦しみを受ける
血の池地獄を見て、鬼にそのわけを聞くと、女は出産のとき流した血が地面に染み込んで
地の神を汚し、また、血で汚れた衣類を川で洗うと川の水が汚れる。
その川の水を汲んで茶を煎じて諸聖人に供えると、不浄を及ぼすという罪でこの地獄に落ちる
といわれたということです。
そこで、三宝を敬い、「血盆斎」を3年催し、僧侶にこのお経を読んでもらうと、池に蓮華が現れて
救われるのだという。女人は血盆経を信じ、書写して常に持っていれば
救われるというのだそうです。
12.血の池には頭に一本の角のはえた蛇になった二人の女と、二本の角を持った女がいます。
また角のない6人がうごめいています。蓮の葉と蓮台のうえには白衣を着た二人の女人が
合掌して座っています。この女人は救われたのです。
上には如意輪観音がいて血盆経を女に手渡しています。ここは産まず女地獄です。
「その地獄と申せしは長さ20ひろの竹あり。紫竹の鍬を取り持たせ、いかに罪人ども、
この竹をはよう掘れ、これを掘りたることならば、難なく浄土へ渡すべし。
ただほれ掘れとかしゃくする。むざんやな、罪人ども、この竹を掘らんとすれば、紫竹の鍬も
尽き果てて、双の連手、除けにけり。十の指より出ずる血はただ紅の糸を乱するごとくなり。」
紫竹の鍬はすぐに使えなくなって、両手の指からは血が流れ、いつまでたっても竹の根は
掘れないのです。
出産の血は白い不浄、生理の血は赤い不浄として地獄に落ちる原因とされ、不妊もまた
家の跡継ぎを産めない役立たずの存在として疎外されたのです。
13.もう一つ女の地獄に両婦(ふため)地獄があります。
両婦地獄
ここは一本の角と二本の角を持つ蛇になった正妻と妾に、ぐるぐるまきにされて苦しむ男の地獄
のようだが、実は女の地獄なのです。
中世においては男の多情は家の存続のために公認されていたのですが、女の愛欲は堕地獄の
要因として罪悪視されていたようです。
正妻は妾よりも安定した家庭の地位を占めていたのですが、若くてきれいな妾を見ると
嫉妬の炎がめらめらと燃え盛り、正妻と妾は命がけで争うのです。
竜蛇になった二人は死んでもなお互いに男に巻きついて長い舌をぺろぺろ出して男の体から
血をすすっています。嫉妬は女自身だけでなく男の身まで滅ぼしてしまうのです。
室町時代には「うわなり打ち」が公認されていたようですが、正妻が後妻をいじめてもよいことに
なっていたのです。御伽草子「いそざき」は嫉妬深い女が鬼へと変身する物語です。
磯崎という侍は鎌倉から若い女を連れてくるのですが、本妻は若い女を妬み、鬼の面をつけて
うわなり打ちに及び、この女を殺してしまうのです。
「姿が鬼になりければ、心も鬼にぞなりにけり」
まさに人を妬み憎めば、生きながら鬼にも蛇にもなってしまうのです。
懇親会
黒潮・躍虎太鼓