松秀寺

[名称] 曹洞宗 八幡山 松秀寺

[住所]
    〒497-0036
    愛知県海部郡蟹江町須成西7丁目66−1    地図を表示
     TEL 0567−95−3010


[概要]
  
  天文23年(1554年)  
    松秀寺創建   
    草創開山広済四世天厳春暁大和尚、佛の八生道を修するの夢想により、
    須成村畳田の地に、倭建命(やまとたけるのみこと)の孫・応神天皇を勧請し、
    八幡神社とともに草創。
  天生12年(1584年)
    織田信長蟹江城攻撃の際、消失。
  萬治3年(1660年)
    尾張藩地頭寺尾土佐の守、再興し祈願所となす。
  貞享4年(1687年)
    蜜大道斧大和尚、八幡神社を再興し、氏子とともに崇信する。
  天明7年(1787年)
    住僧 実山和尚、当時の場所の人気が少なく、盗難も頻発したため村人と相談し、
    集落のある須成下の割へ民家を仮堂宇として移転するも、翌年の大暴風雨のため
    全壊。また、民衆の救済のため寺禄も失う。
  安政2年(1855年)
    哲心大貞大和尚、法地となす。
  文久3年(1863年)
    道安大宗大和尚、草創の地畳田に再びもどり、堂宇を再建。
  明治元年(1868年)
    廃仏毀釈運動起こる。
    神社は分離され、氏子離れ。
  明治24年(1891年)
    濃尾大地震により半壊し、辛うじて修繕するが大修理する資金なく、伽藍次第に破損
  明治43年(1910年)
    大軌智範大和尚、小学校令の改正に伴い、壇信徒と相談し、畳田の境内地と
    当時の学校所有地を交換し、須成市場へ移転する。
  大正元年(1912年)
    大暴風により、蟹江川が決壊したため、移転の準備は進んでいたが寄付が集まらず、
    仙巌百丈大和尚が苦労しながら私財をを投じて、負債をを償却する。
  大正9年(1920年)
    市場の松秀寺が完成する。
  平成15年(2003年)
    現在の地に新しく完成する。 
  平成16年(2004年) 
    落慶晋山式

[境内]
       

 お堂の中に入ると、天井には、

                    

        


 東側にある墓地



 永代供養墓(個人・合祈)
   安心して下さい!!! お寺がお守りします。  <合掌>




 晋山式とは、
  曹洞宗の住職となるためには、所定の修行を積み、
  資格を得てから初めて貫長様より住職の辞令が
  交付されます。
  その後、最初に行う儀式で、お寺の住職が決まって、
  正式に就任する時の儀式で、
  「住職就任披露式」とも言うべき式です。
  
  曹洞宗(禅宗)は、お釈迦様より、代々の祖師方が
  嫡々相承されてきた仏法であります。
  我が国では、今から760程前に高祖道元禅師さま
  (永平寺)によって開かれ、
  四代目の太祖瑩山禅師さま(総持寺)が盛んに
  なされました。
  式の当日、
 新命和尚は安下処(あんげしょ:親元・檀家総代宅)を出発し、お寺まで行列を組んで進みます。
 檀家総代を先頭に、青・黄・赤・白の彩幡をひるがえし、篭灯(たかはり)を高く掲げ、
 随行(おとも)を伴い大傘に蓋われて、多数の檀家徒・ご寺院方の出迎える中を
 松秀寺山門に到着する。
 山門の法語を唱え、大擂鼓の鳴り響く中を先導する両班に続いて本堂に入り、
 寺に伝わるお袈裟を頂戴し、続いて、新命和尚は、香を捧げてご本尊さまに新任の挨拶をする。
 更に当山の伽藍をお守りくださる大権修理菩薩さまに当山の安泰を祈り、
 達磨大師さま、ご開山さま、歴代住職の方々に就任のご報告とともに信念を披瀝申し上げ、
 国土の興隆と国民の安泰を念願し、仏道の興隆と
 当山の吉祥、檀信徒各家の家門繁栄、当山結縁者の如意満足を祈念します。 

[門前]
  「極楽は西方(さいほう)のみかは東にも北道(きたみち=来た道)さがせ
            南(みなみ=皆身)にあり」
   と、書かれてある。

東西南北、うまく語呂合わせされてます。
北道(きたみち)は、「来た道」と掛けあわせ、自分がこれまで歩んできた道を振り返えることにより、
これからの自分の行き着く先が明確になってくる。
また、南を「皆身」に掛け、自分の心の内にもあることを説いている。

[地図]