尾張津島天王祭  2024

 津島が誇る祭りで、600有余年の歴史を持ち、まさに時代絵巻きと言うにふさわしい荘厳・華麗な川祭り。
 天王祭の由来は、3説あると言われています。

 1.南北朝時代、後醍醐天皇の曾孫、良王親王が津島に逃れて来た。
   南朝方の良王を守る津島の四家七苗字の武士が、北朝方の佐屋村の台尻大隈守(だいしりおおすみのかみ)を    船遊びに事寄せ、討ち取ったことから祭りを行うようになった。
 注記:四家七苗字:津島の土豪名主たちで、「四家」は大橋・岡本・恒川・山川の4氏で、
    「七苗字」は堀田・平野・服部・鈴木・真野・光賀・河村の7氏を指し、両者あわせて四家七苗字と呼んだ。

 2.須佐之男命(すさのおのみこと)が西の海より市江島(現愛西市東保町)に着船した折、
   草刈りの子供が遊び戯れているのをご覧になって、児の舞、津島笛の譜を作られ、
   その後疫病が流行したので神様を慰めるために祭りを行った。
   
 3.京都の神泉苑へ御霊を鎮め送った祭事(御よし流し)が次第に地方へ伝播した。
   御よし流しとは、川辺に群生している葦に人間の罪、汚れを託し、あるいは葦の管の中へ
   それらを封じ込めて流すもの。
   夏の酷暑を無事過ごすため、神葭を「よりしろ(神霊の宿るもの)」とする「神迎え」のまつりである。 

 津島天王祭は「津島のお天王さま」とも呼ばれた津島天王社の祭礼であり、
 旧暦の6月14日・15日両日に行われていました。
 京都の祇園祭では山鉾巡行が行われますが、津島天王祭は川に船を浮かべて行います。
 津島は、伊勢と尾張を舟でつなぐ湊町だったからです。
 大阪天満宮の「天神祭」、厳島神社の「管絃祭」と日本三大川祭りと言われています。
 2016年にユネスコ無形文化遺産に登録



 宵祭
  津島五か村[堤下(とうげ)、米之座(こめのざ)、今市場(いまいちば)、筏場(いかだば)、下構(しもがまえ)]
  から5艘の巻藁(まきわら)船が出されます。
  屋台の上に半円・山型に365個(1年の日数を表す)の提灯、中央高くには真柱を立て、
  12個(1年の月数を表す)の提灯をかかげます。
  これらの提灯に明かりが灯されると、津島笛を奏でながら車河戸からゆっくり姿を現わし、
  川面に伝統の灯を映しながら天王川を漕ぎ渡ります。
  お旅所に着くと乗船者らは船から降り、津島神社から移された神輿に拝礼します。      
                                     (津島市の紹介・観光より抜粋)


    





 朝祭
  宵祭と飾り付けが、豪華絢爛になった5艘の船に、
  旧市江村(現在の愛西市東保町)の市江車を先頭に計6艘の車楽船が登場します。
  能の出し物を型どった「置物」を乗せた車楽が古楽を奏でながら中之島付近に進みます。
  ここで市江車から布鉾を持った10人の鉾持が、水中に水しぶきをあげながら次々に池に飛び込み、
  お旅所まで泳ぎ拝礼します。
  さらにその後、津島神社まで走り、拝殿前に奉納します。
  続いて6艘の車楽船からそれぞれ稚児がお旅所に渡り、神輿還御祭が行われ、
  津島神社本殿まで帰る神輿とともに練り歩きます。
  最後に津島神社で稚児の神前奏楽が行われて朝祭は幕を閉じます。
                                     (津島市の紹介・観光より抜粋)