あすかポタ(H22.1.30)

【コース】    
     今井まちなみ交流センター「華甍」(はないらか)〜久米寺 〜「お食事処よろづ」 (Millonさんのお店で昼食)〜
       〜甘樫の丘〜飛鳥寺〜飛鳥座神社〜明日香民族資料館〜酒船石〜石舞台〜猿石〜水落遺跡〜
       〜元薬師寺〜神武御陵〜「漫遊樓」(夕食)


【気象状況】 天気は晴れ、お昼はぽかぽか
【メンバー】 tominagaさん、tatsumi    


昔の飲み友達から、「古い遺跡やお寺を訪ねたいのだが?」と、突然電話があり、
どの様にしたら楽しんでもらえるか?また、自分も楽しめるか?と考え、飛鳥を歩いて散策?と考えたが
自転車で、ポタリングする事にした。更にヘルニアの手術をされたkodamaさんのことも気になる。

 駅まで、車で迎えに行った。
 ←の立派な建物を見て、
 「ここに、来たい!!」とのリクエストが有ったので、
 今度は、自転車に乗って、
 今井まちなみ交流センター「華甍」(はないらか)に来た。
 いつも見ている建物だが、中に入ったのは、
 何年ぶりだろうか?
 もう30〜35年の前だと思う。
 当時、建物の中に農業委員会があり、農業の用事で
 来た記憶が有るが?
 今は、綺麗になって、まちなみ交流センターとなり、
 今井町の紹介や
 明治時代・初期の「町並み」が模型で再現されている。
  

ここから、橿原神宮を通り越して、久米寺へ。

 久米仙人は仙術で空を飛べるようになったが、ある日空を飛んでいる時、
 川で洗濯をしている女のふくらはぎに見とれて法力を失い、地上に落ちてしまった。
 久米仙人はその女とめでたく結婚。その後は普通の俗人として暮らしていた。
 その後、時の天皇が遷都を行うことになり、俗人に戻った久米仙人は
 遷都のための工事に携わる労働者として雇われ、材木を運んだりしていた。
 ある日仕事仲間から「お前も仙人なら、仙術を使って
  材木など一気に運んでしまったらどうだ」とからかわれた。
 一念発起した久米仙人は7日7晩祈り続けた後、仙力を回復。
 久米仙人の仙術で、山にあった材木が次々と空へ飛び上がり、新都へと飛んで行った。
 これを喜んだ天皇は久米仙人に田30町を与え、これによって建てたのが久米寺である。
  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より、引用。
 人間味のある仙人で、愛着が持てます。
 今、久米寺では、屋根の瓦の改修工事の最中だった。が、「新版西国49薬師巡礼」(朱鷺書房)を購入
 時間が有れば、まわりたいなぁ〜
 
 
 お昼近くになったので、
 「お食事処よろづ」に、伺う。
 グッドタイミング!!
 kodamaさんが食事中。
 手術後、元気な「kodamaさん」と付き添え人の
 天神橋5丁目
さん、たまたま食事に来られていた
 こんちさんに会えて、良かった。

 ←天五さんの「DAHON Mu Uno」にのるkodamaさん。
   今日、朝から抜糸されただけなのですが???



橿原神宮駅をとおり、丈六(じょうろく)を真っ直ぐ西に行く。飛鳥川手前で、右折

豊浦にある太子山向原寺
 向原寺 
      
552年(欽明天皇13年)百済の聖明王が金銅の釈迦佛(日本初渡来の仏像)を朝廷に献上する。
       が、宮中ではこの尊像を信奉すべきか否かの評議が開かれ、大臣蘇我稲目は生身の如来である
       この尊像を信受することを奏上する。
       しかし、物部尾輿 、中臣鎌子は異国の神として退けることを主張。
       欽明天皇は蘇我稲目に、この尊像をお預けになり、稲目は我が家に如来をお移しし、
       やがて向原の家を寺に改め如来を安置し、
       これが我が国の歴史に残る仏寺の最初のお寺とされている。

       その後疫病が流行し、「仏教崇拝による日本古来の神の祟り」という理由で、物部尾輿により、
       仏像は 「難波の堀江(日本書紀)」に捨てられ、寺は焼却された。
 豊浦寺
       593年、推古天皇が豊浦(向原寺跡)で即位、10年間ここに豊浦宮が置かれます。
       603年、宮を小墾田(おはりだ)に移すにあたり、宮を蘇我馬子が譲り受け豊浦寺を創建。
       

 ここから、甘樫の丘に上ります。
 今日は、一昨日雨が降って、スモッグのような「もやもや」は、なくて見晴らしは、良好!!。
 大和三山がくっきり見える。(毎回よく来るので、写真は、ナシ)
 降りて、飛鳥寺方面へ。

 ←先ほど上った「甘樫の丘」

  最近麓に蘇我馬子の屋敷跡が発掘され、
  ニュースを賑わしていました。

 大化の改新で殺害された入鹿
 その「首塚」です。
 案内標識はなく、五輪塔(ごりんとう)だけ。
 






 
 やっと飛鳥寺に入りました。
 
 蘇我馬子が排仏派の物部守屋との戦いに勝利したら
 仏寺を建立することを誓い勝ったので、
 飛鳥の真神原(まかみのはら)の地に寺を建てたそうです。

 また、中心の五重塔を囲んで、
 中金堂、東金堂、西金堂が建つ
 一塔三金堂式の伽藍配置が面白い。

 有名な飛鳥大仏さんです。
 作者は、鞍作鳥止利(くらつくりのとり) 
 そう言えば、昔、社会の教科書に載っていたなぁ〜
 右上の「鞍作鳥 止利 」は切り接ぎです。

 橿原神宮駅東にある地名 丈六
 1尺は、30cmとする。丈は、10倍で、3m
 丈六は、1.6丈なので、4.8mとなる。
 仏像の大きさ規格で、これより大きければ大仏。
 飛鳥大仏は、座って居られるので、半分と考えると
 2.4m程?実測で像高2m70cm程
 また、顔は面長。




 


 ここから飛鳥座神社
       (あすかにいますじんじゃ)
 に向かいます。
 2月の第1日曜日(今年は、2月7日)に、
 おんだ祭りが行われます。

 大きな鳥居をくぐり抜け、階段を上がると、
 右手(南側)に、神楽殿
 左手(北側)に、本殿と拝殿があり、
 夫婦円満・家内安全を祈願して、
 賽銭を奉納させてさせて頂きました。
 こんばんは、御利益があるでしょうかか?

 帰りの途中、門前の掲示板に、おんだ祭り
 の開催に付いての案内が書かれていて、
 それを見ていた60半ばの御夫婦が、
 直ぐ近くに居てたもので、話しかけられ、
 「お祭り」は、どのような祭りですか?と聞かれ、
 いやぁ〜と説明に苦労しました。




 あとは、明日香民族資料館〜酒船石〜石舞台〜猿石〜水落遺跡〜
       〜元薬師寺〜神武御陵
 いつものパターンなので、残念ながら写真は、撮らずでした。

 今日の最終目的は、「漫遊樓」での夕食です。
 乾杯!!
 単品で注文は、量が多いので、2〜4名が最適と思うが、今回は2名。
 しかし、適度に運動したので、美味しく食べることが出来た。
 紹興酒も美味しかったです。ごちそう様でした。