花露




フッチが、山道で新しい『炎の英雄』と出会い、このビュッデヒュッケ城に迎え入れられてから数日が過ぎていた。

今のところ、戦況もそれほど忙しくはなく、戦時中とは思えないほど、城内では穏やかな日々が送られている。





そんな夜、フッチは、ビュッデヒュッケ城の酒場で、一人グラスを傾けていた。



グラスの中には、赤い宝石のような色の液体が揺れている。

確かバーツが何日か前に、収穫した葡萄で果実酒を造ったのだと嬉しそうに話していた。

これがそうなのかもしれない。

鮮やかな、美しい色の液体が揺れているのを目に写しながら、フッチは頬が緩むのを感じていた。

昔のことが思い出される。



15年前、あのデュナン湖のほとりの古城にも、酒場があった。

フッチは、よくその酒場へハンフリーさんを捜しに訪れたものだった。

当時はまだまだ子供で、酒場で酒を楽しむことなどできず、ハンフリーさんとともに、ビクトールさんやフリックさんが楽しそうに飲んでいる姿を見て、とてもうらやましく思ったものだった。





ここは、あの酒場と雰囲気が似ている気がする。

残念なのは、昔の戦友と呼べる人間に、酒をともに楽しめる者がここにはいないというところか。

『戦友』という言葉で、ある人物が連想され、フッチは少しだけ胸が痛んだ気がした。





「フッチさん、なんだか寂しそう」

それを見逃さなかったのか、カウンターの向こうから声をかけられ、はっと顔を上げたフッチの目に、アンヌがレオナに見えた。

一瞬、時が逆行したように感じたが、すぐに目の前の女性がアンヌであることに気がつき、これは重症だとフッチは苦笑した。

「いえ・・・。ちょっと、昔を思い出してたもので。・・・俺ももう、年、なのかなあ・・・」

ごまかすように、冗談っぽくそう言って笑うと、「何を言ってるんだか」と、さして気にした風でもなくアンヌも笑った。

和やかな雰囲気が、酒場の中に流れる。





そのとき、廊下をバタバタと元気よく走る足音が聞こえてきて、思わず扉のほうへ目を向けると、バンッという大きな音を立てて扉が勢いよくあけられた。

入ってきたのは、『炎の英雄』ヒューゴと、この城の『城主』トーマスだった。

二人は年が近いこともあり、性格の違いや育ちの違いを通り越して、とても仲が良かった。

このように、しばしば城内で、二人一緒に遊んでいるのが見かけられた。

「ヒューゴに、トーマス様まで・・・。騒々しいことだねえ。一体、誰をお捜しなんだい?」

酒場に一歩入った場所で、中をキョロキョロと見回している二人に、あきれたようにアンヌが声をかけた。

口調は、あきれているようだったが、顔は笑っている。

二人が、重い責任や立場に負けず、日々元気に走り回っているのを、城の皆がほほえましく見守っているのだ。

「アンヌさん、軍曹見なかった?」

どうやら、ヒューゴの捜し人(?)は、ダックのジョー軍曹らしい。

ざっと見回したところ、酒場にジョー軍曹は見当たらない。

「いや、今日は見てないねえ」

「そっか、ありがとう」

と、大して残念そうでもなく、二人はそのまま酒場から出て行った。





「元気だね」

その姿にも、昔の自分が思い出され、懐かしむような表情でそういったフッチに、アンヌも同意した。

「ああ、子供はどんなときも元気でなくちゃあねえ」

フッチのグラスがちょうど空になったので、アンヌは新しいグラスに、先ほどと同じ酒をついでフッチに手渡した。

フッチは礼を言って受け取る。

「フッチさんは、どんな子供だったんだい?」

二人の背中を見送って、楽しそうにつぶやいたフッチに、アンヌが訊ねてきた。

「俺・・・?」

問われて少し、フッチは戸惑いを感じた。

どう、答えるべきか。

フッチは、11歳で門の紋章戦争に参加し、14歳でデュナン統一戦争に参加した。

その当時、どちらにしてもまだまだ子供ではあったが、フッチを表現する言葉はあまりにも違いすぎる気がした。

この2つの戦争の間に、自分はずいぶんと変わったから。

「・・・そうだね。ずいぶんと元気がよかったな。元気すぎるくらいで・・・。すぐに、誰かまわずケンカ売って、生意気でかなり無鉄砲だった。・・・竜騎士以外の人を見下しているところが、あったかもしれない」

ひょいと肩をすくめて、アンヌにそう言いながら、フッチは笑いかけた。

自分が最も子供らしかったころは、ブラックとともに過ごしていた時期だったように思う。

デュナン統一戦争時に再会した人たちには、ずいぶん雰囲気が変わって成長したな、と言われた記憶があった。

その当時のことを思い出して、また苦笑する。

今日は、ずいぶんと昔を思い出す日だ。

「フッチさんが?」

アンヌは、怪訝そうな顔をした。
 
今のフッチからは想像がつかないと言っている様子がありありとわかった。

確かに、そうかもしれないな、と思いながら、フッチは肯いた。

「そう、俺が」
 
(本当のことなんだけどな)

答えて、フッチは手に持っていたグラスを傾け、その香りを楽しみながら、一口、口に含んだ。

芳醇な香りが口内に広がり、おいしいと感じた。

先ほどから、同じものを飲んでいるが、やはりおいしいものは、おいしい。

「・・・昔の方がよかった、とは言わないけど、あの頃の怖いもの知らずの無鉄砲さが、たまに懐かしく思えるな」

少し、また翳った表情でそう言ったフッチには気づかず、アンヌは、まんざらお世辞でもなく言った。

「大人は大人のいいところがある。フッチさんなんかは、周りからすると、かなりいい感じの大人になるんじゃないかい?」

フッチは、少し驚いたように、アンヌを見た。


この人のようになりたいと、目標にしてきた人にはまだ遠く、共に戦い、自分とそう変わらない年齢の少年の身でありながら、人々の希望となった『彼ら』のようには到底なれない。

それでも、フッチにはフッチの歩んできた道がある。

それが、今のフッチを作り上げている。

今の自分を認められることは、今までの自分のあり方を認められることと等しく、とても嬉しい。

たとえ、自分ではまだまだだと感じていても、今の自分をそのままで褒められることに悪い気がするはずがない。

フッチは、そのアンヌの気持ち、言葉に対して、本当に素直な気持ちで感謝の言葉を口にした。

「ありがとう。・・・本当に、嬉しいよ」

言葉にしながら、自然な笑みが浮かぶ。
 
本当に、嬉しい。

アンヌは、その笑顔に一瞬見惚れ、顔を赤らめた。

柔和で人当たりのいいフッチは、人と接するとき、大概ニコニコと笑っていて、その笑顔は城内のいたるところで見られ、見慣れているはずだった。

それにアンヌは、顔のいい男にも、口のうまい男にも、くどかれたことも多く、その他、酔っ払いなど性質の悪い輩にもしばしば絡まれるので、ちょっとやそっとのことでは動揺などすることは、なくなっていたはずだった。

しかし、何のてらいも含みもない、純粋な子供のような、感謝の気持ちを前面に押し出したこの青年の笑顔に、心拍数が跳ね上がるのを抑えることができなかった。

そんな自分を自覚し、フッチの顔を正面から見返すことができなくなり、フイッと横を向いてしまった。

フッチは、いきなり横を向いてしまったアンヌを不思議に思ったものの、特に気にすることなく、先ほどの少しばかり胸に痛い思いが今だけでも消え、暗くなりかけた心に明るさを取り戻してくれたアンヌに感謝していた。

その晩はいつもよりも長い時間、フッチはいい気分のまま、酒場の雰囲気と共に、酒を楽しんでいた。



【END】






ビュッデヒュッケ城での、日常の1コマを書きたかったのですが、
みごと撃沈(汗)。
書きたいことの半分も表現できていない気が・・・難しいです。


(04.11.03)





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