フッチは、ビュッデヒュッケ城に迎え入れられるとすぐ、石版の場所を再会したばかりのアップルに尋ねた。
この15年間、全く会う事のなかったルックの、あの仏頂面の中にも、自分に対する親しみを感じる感情を湛えた、きれいな瞳の持ち主に、会いたかったのだ。
だが、アップルから返ってきた言葉は――。
「この城には、『石版』はないわ。……すこしここから離れた北の丘に、何時の間にかおかれていたの」
『何故?』と尋ねたところ、アップルにもわからないらしく、首を振るばかり。
他の、初めて出会った仲間達に至っては、その石版の意味すらわからないらしかった。
ただ、何時の間にか現れた、自分達の名前を刻む不思議な石版としか、認識されていないようだった。
その時わかったことは、ただひとつ。
ルックが、仲間にいないのだという事だけだった――。
譲れない道
ある、戦闘のない静かな日、フッチはブライトを本拠地に残したまま、石版の地を訪れていた。
数日前、ブラス城での攻防戦で、今回の盟主である『炎の英雄』ヒューゴが、その真の炎の紋章を奪われる際、敵の指揮官として現れた人物を見た瞬間、今回の石版が本拠地ではなく、別の場所にある理由がわかった気がした。
その信じられない人物の思わぬ登場で、フッチは動揺し、ヒューゴを守らなければならない自分の役割を忘れてしまっていた。
その結果、真の炎の紋章は、易々と敵方の――ルックの手に、落ちたのだった……。
また、真の水の紋章も、真の雷の紋章も、同じころに奪われてしまったということだった。
――この戦いは、これからが本勝負となる。
フッチは、自分にとっては、別の意味でもつらい戦いとなるだろうことが予想できた。
……フッチは迷っていた。
まだ、敵がルックであるということを、実は、軍の幹部達に知らせていなかったのだ。
本拠地の中では、ルックは仮面の神官将という呼び名で定着しており、その名前を知るものはいなかった。
アップルあたりは、風の紋章の使い手という情報から、もしや……、とは思っているようだったが、戦闘時には本拠地に残り、防衛に参加していたため、実際に神官将を視認しておらず、確証には至っていないらしかった。
知らせるべきであることは、解っていた。
敵の正体がわかれば、対処できることも増える。
まして、アップルはルックを知っている。そのことで、相手の考え方などもある程度はパターンを見破ることも出来るかもしれないのだ。
けれど、話してしまえば、自分でこの事実を認めてしまうことになるような気がして、フッチは、どうしても言えなかった。
小高い丘の上に、大きな約束の石版が、その存在を強調するかのように、たたずんでいた。
フッチはその石版に近づくと、上から順に、ひとつひとつ宿星と名前をなぞるように確認していった。
4分の3ほど埋まったその名前には、知っているものもあれば、全く知らないものも多かった。
ただ、知っているといっても、その彼らの親や、かかわりのある人から教えてもらったというだけで、この城に来るまで、直接会ったことがない者が大半だった。
そのことからも、15年という年月の長さを、嫌でも感じさせられる気がした。
フッチの指が、あるひとつの星宿の位置で止まる。
『天間星』
ここには、以前は、彼の名が刻まれていた。
自分の名は、相変わらず、過去の二度の大戦の時と同じように、『地微星』の位置に刻まれている。
その文字をなぞった指を、フッチはぎゅっと握り締めた。
「ルック……!!」
搾りだすようにつぶやいた言葉は、そのまま空に消える。
答える者は、いない。
それでも、何故か、呼ばずにはいられなかった。
思わず、目頭が熱くなり、フッチは顔を隠すように石版に頭を押し付けた。
そのまま、フッチは自分の感情が収まるのを、じっと待った。
半時もそのままでいただろうか、ようやく、頭が冷静になったフッチは息を吐き、そうして、もう一度、呼びかけるように、名を呼んだ。
「ルック」
「何?」
誰もいないはずの場所での、フッチの呼びかけに、今、確かに答えた者がいた。
フッチは、顔を上げることができなかった。
今の声が、空耳だとは思いたくなかった。
「……ルック……?」
半信半疑で、かすかな期待を胸に、確かめるように呼びかけた。
その声は、自分で思ったよりもかすれ、不安をありありと表現しているような、頼りない声になった。
「……なんて声出してるのさ。いい加減、こっち向いたら? 図体だけでかくなっても、君って奴は少しも変わってないんだな」
人をコバカにした、皮肉の混じりの、昔よく聞いた馴染みのある声が、今度は、確実にフッチの耳に届いた。
フッチは、今の声が自分の思い違いでないことを、確かめようと、思い切り勢いよく声のした方向を振り向いた。
そこには、自分の記憶と寸分違わぬ姿の、ルックがひとり、立っていた。
「ル……ック……」
その言葉しか知らないかのように、ただ呆然とフッチはつぶやく。
呼ばれたルックは、うんざりしたような、あきれた顔をした。
「だから、何? ぼくは忙しいんだからね。……言いたい事があるならさっさと言えば? ……まあ、無駄だとは思うけどね」
君の言いたい事など解ってる。
聞き入れる気などないが、聞くだけなら聞いてやってもいい。
そんな、フッチの知る、ルックとしては最大限ともいえる譲歩をいきなり提示されて、フッチは今度は違う意味で言葉が出てこなかった。
自分が、ルックを説得などできるとは、もともと思っていなかった。
それでも、どこかで期待していたことに、今、初めて気が付いた。
戦争を止めて欲しかったのは事実。
だけれど、ルックに会って、最も言いたかった事は――。
「会いたかったんだ……」
何の含みもない、純粋なフッチの喜びの声だった。
他の仲間達は、望めばだれかを通じて、消息や、近況を知ることができた。
フッチとて、二度の大戦で知り合った者たち全てのことを知りたい、知ろうとしているわけではなく、歳の近い、比較的仲の良かったものたちを中心に、こまめに連絡を取り合っていたが、ルックに至っては、消息さえ不明だったのだ。
生きて、元気にやっているとは信じていた。
けれど、時たま不安になった。
魔術師の塔には、魔法がかけられているのか、竜に乗ってさえ、フッチにもたどり着けなかった。
ルックと会ったというものも、フッチの耳には届いてこなかった。
そんな状態が15年も続き、今回も宿星に選ばれたことで、ルックのことがわかると喜んだ矢先だったのだ。
――彼が、今回の宿星が集められる原因を作った、張本人だと知ったのは……。
どこか悲しそうな感情も、少しは伺えるものの、フッチがルックに向ける眼差しは、優しく、そしてただ、懐かしい相手に会えたことに対する感謝の気持ちだけを湛えていた。
「………っ」
フッチの、予想もしていなかった反応であり、また、逆に、予想通りでもある反応に、ルックは舌打ちした。
ルックは、フッチもまた、この15年の歳月が、彼を大人にし、大概の人間がそうであるように、一片通りの反応しか示さない、つまらない人間に成長させているのだろうと思っていた。
だから、戦争を起こしたことに対する怒りや、どうにかして止めさせようとする説得にかかってくると思っていたのだ。
だが、心のどこかでは、フッチは昔のまま、何も変わらず、自分に微笑みかけるのでないかと、期待していた……。
そして、その期待通り、自分の目の前にいる、自分とは違い、その生きた年月を確実に身体にきざみ、立派な青年と成長したフッチは今でも、その本質を、いい意味でも、悪い意味でも変えることはなかったのだと――。
ため息がでた。
「……ほんとに君って、相変わらず、救いようのないバカだね」
(だから、会いたくなかったんだ)
この石版の地に、ルックは時たま訪れていた。
そして、フッチが今回もまた、宿星に選ばれていることも知っていた。
過去に仲間だった人間のうち、過去の天魁星の2人を除くと、最も会いたくなかった相手だった。
他の人間だったなら、頭ごなしにルックに向かい、意見し、そして力ずくでも止めようと試みるだろう。
だが、大人にはなりきれない少年の特別な時期を、ともに過ごしたあのときのまま、変わっていないフッチだったなら、また、天魁星の2人だったなら、ルックの決めたはずの決心に揺らぎをもたらすかもしれないと……。
―――――
紋章の器として創られた、人形でしかなかった自分を救い出してくれたのは、レックナート様だった。
けれど、本当に、自分が人間らしく、自分として生きていけるのかもしれないと、そして、自分を救ってくれたように、あの空虚な世界からも、この世界を救ってくれるのではないかと、錯覚かもしれなかったけれど、そう、思わせてくれたのは、天魁星の彼らと、この目の前にいる、今は青年となったフッチ、だった。
幼い少年の身で、強固な意思をもち、自分で自分の居場所を定めておきながらも、運命に翻弄され、大切なものを失い、そこから放り出されることを余儀なくされた。
それでいて、希望を失うこともなく、自分の意思をしっかりと持ち、不幸に浸ることも泣く、自分勝手に生きるでもなく、ひとを思い、ひとのために心を砕き、そして自分のこともあきらめない。
そんな、優しく、そして強い魂の持ち主たち。
そんな彼らとともに過ごし、お互いに認め合い、そして、心を許した。
そのことに後悔はしていないけれど、だからこそ、会いたくはなかったのだ。
変わってしまった自分を、見られたくはなかったのかもしれない。
そのためにも、今の自分を示すのに相応しい、愚者の面をかぶり、誰にも正体を悟られる事なく、秘密裏に計画を進めていた。
だが、あの時、ブラス城で、フッチはルックに気づいた。
隠しておくのも、潮時だと思った。
今更、……止めるつもりは、なかったけれど……。
バカだと言われて、フッチは苦笑した。
確かに、バカかもしれない。
目の前にいるルックは、自分にとっては懐かしい感情が先立つ、古い友人であっても、この、グラスランドの民からすれば、仲間を殺戮し続けている悪鬼にすぎないのだ。
「……元気そうで、よかったよ」
「言いたいことは、それなのか!? だったら、今度はこっちから言わせてもらう!」
「ルッ…ク?」
フッチは、いきなり声を荒げて、睨み付けるような顔で話し始めたルックに驚き、近よろうとしていた足を止め、思わず一歩後ろに下がった。
「さっさと、ここから立ち去るんだね! グラスランドから!! ぼくはこの計画を止めることはないし、この計画には、真の紋章のほかに、それに相応しい犠牲も必要なんだ。贄という名前のね――」
「ルック! 君の口からそんな言葉は聞きたくない!」
なおも続けようとするルックの言葉を、フッチはさえぎる。
ルックは、冷たい笑いを浮かべた。
「……聞きたくないなら、今すぐ、ぼくの前から消えるんだね。……二度と、目の前に現れるな!」
「ルッ……」
「君みたいな、優しい、あまちゃんに理解されようとは思わない。ぼくはぼくのやり方で、やりたい事をする。たとえ、それが誰に理解されなかろうが――」
「ルック――」
「君は、今までどおり、君が勝ち得た場所で、君の思うように生きていたらいい」
(その世界を、ぼくは、守りたいのだから――。君達が大切なものを失い、傷つきながらも守り通した世界を、けして、壊させたりはしない――!!)
ルックは無意識に、呪わしい紋章の宿る手を握り締めた。
「ルック……?」
きつい言葉の中に、自分をいたわるような響きを感じ、本当にルックは何を言いたいのだろうと、不思議に思い首をかしげたフッチの目の前で、ルックは、移動の魔法を発動させた。
「待ってくれ、ルック! まだ――」
話したい事はいくらでもあるのに――と続けようとしたフッチの言葉は、ルックの言葉にかき消された。
「……ぼくのことなんか、さっさと忘れるんだね。……次、会う事があったなら……、容赦は……しない――」
そのまま、淡い緑色の閃光を放ち、ルックは光の中に消えていった。
後には、ただ、物言わぬ石版が残されるだけだった。
「……ルック……、君こそ、変わってなんか……、いないじゃないか……」
一人残されたフッチの口からこぼれた言葉は、誰に聞かれることもなく、風の中に消えていった。
ルックは、フッチに犠牲になる必要はないと、生きて幸せに過ごしていろと、そう言っていたのだ。
フッチには、ルックの、多くの犠牲をだしてまでやりとおしたい事というものが、ルックにとって、これ以上ないくらいに重要なことであるという以外、想像がつかなかった。
それでも、ルックに、民を犠牲にしなければできないことなど、させたくなかった。
きっと、ルックは、自分の行いが善でないことを百も承知しておきながら、心で血を流し、そのことに気づかせる事なく、自らを悪とののしらせ、平然とあの皮肉な顔で笑うのだろう。
そうしなければ、自分も、そして犠牲になった民も救われないから……。
(ルックは、俺を優しいと言った。……でも、違う。臆病なだけなのに……。ルックの方が、ずっと優しいくせに――)
戦場という場所に身を置く限り、いつかはこんなときが訪れるかもしれないということは、わかっていた。
人と人とは、個に考えかたが違い、選び取る道も違う。
再び重なる道もあれば、二度と交差しない道もある。
そして、今回のように、正面から衝突する場合も、もちろんあるのだ。
その時の対処の方法は、2つ――。
どちらかが道を譲るか・・・・・・、あるいは――。
フッチはその場に立ち尽くし、二度と再び、自らフッチの前に現れる事がないだろう友のことを思い、唇をかみ締めた。
ルックが心を決めたように、自分もまた、心を決める時が、来たのかもしれない――。
戦えない人々が、殺されるのを見るのは、いやだった。
まして、その原因を作り出し、実行する、「彼」の姿を見たくはなかった。
「彼」が、これ以上、人々に恨まれる様も見ていたくはなかった。
「道は……譲れ、ない……」
そうつぶやいた自分の声は、とても、遠くに感じた……。
【END】
……難産でした。書きたくて書いたのに、途中でどう表現したらいいのかがわからなくなり、「なんでこんなの書こうと思ったんじゃ〜!!」って自分につっこんでました……。
お題の方にも、ルックと再会しないバージョンが……。
どうやら真田は、どうしてもフッチを石版の地で苦悩させたいらしい……。
フッチとルックは、親友……とまではいかなくても、かなり仲がいいことを希望します。
つっけんどんに対応しながらも、憎めないフッチに甘い顔をするルック。
好きです〜(笑)
……中身暗いのに、なんなんだこのコメントは・・・…(汗)
(05.01.10)
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