「明日、ルルノイエに侵入します。」

「……そうか。……心の整理はついたのか?」

「……もちろんです。」

「………………。」





070.眠り





「マクドール殿。」

「……これは、軍師殿。何か、ご用ですか?」

ティルは、公式の場以外、めったに自分の名を紡がない声が、後ろから呼びかけるのを聞いて、少しばかり驚いた。

が、それを表にあらわすことはしなかった。

「……用がなければ、呼び止めたりはしませんよ。」

それに気がついているのか、いないのかはわからなかったが、シュウはティルの顔を見てから、ため息をついた。

「それもそうですね。……で?」

「……リオウ殿のことで――。」



『リオウのこと』と言われた時点で、大体想像がついた。

リオウは、ここ数日、ほとんど眠れていないようだった。

原因などわかっている。

リオウ自身もわかっているので、周囲に悟らせないように隠している様子で、それに気づいているのは、幹部の中でも一握りの人間だけだった。

「……なぜ、おれに?」

「……できることなら、私が何とかしたいと思いはしたのですが……。……あなたの方が、リオウ殿のことを理解できるかと思いまして……。」

普段から、他国の人間――しかも、元敵国(実際には、赤月帝国であるから、違うが。)の英雄を、軍主が頼みにしているのが面白くないらしいシュウは、なんとなく初めからティルに対してどこか距離をおき、どこか挑戦的だった。

今回のことも、本当なら、ティルになど頼みたくはなかったのだろう。

だが、それでも、リオウのためなら――ということらしい。

その感情は、ティルにとって、とても好ましいものだった。

「おれに何ができるかわかりませんが、とりあえず、できることはやらせてもらいますよ。」

「……頼みます。」

そして、シュウは、ティルに深く頭を下げた。

ティルはそのシュウの行動にまた驚きを感じ、フッと少しだけ表情を緩めた。





あの後、ティルはリオウを捜して城を歩いた。

紋章のかすかな気配を辿り、石版の前に立つルックを引っ張って、ようやく見つけたティルは、城の2階部分に繋がる、デュナン湖に面した中庭に、ひとりぽつんと座っていた。

近づくティルとルックに気づいていないらしいティルは、ただ、ボーっと湖面を眺めていた。

そこで、ティルはルックに、見つからないよう側にいるように頼んで、ひとりでリオウに近づいていった。



「リオウ。」

「……? ティルさん……。」

それが誰かとは認識していなくても、自分に近寄ってくる人の気配は感じたのだろう。

リオウは、大して驚いた様子もなく、ゆっくりとティルを振り向いた。

「どうか、したんですか?」

ニコリと笑ったはずのティルの表情は、よく見なければ、大して普段と変わらないようにも見えた。

だが、どこか、力がなかった。

よくよく見てみれば、生気が抜けていると言っても過言ではない。

……顔色も、青いとまではいかなかったが、普段の彼を見知っているものでは、眉をひそめるほど、血の気がうせて白っぽく見えた。

普段の血色のよい、子供らしい元気な顔を知っている人間には、とても痛々しいものに見えた。

「……………。」

「ティルさん?」

無言で自分の隣に腰をおろしたティルに、リオウは不思議そうな顔を向けた。

「うん。」

「……? ……何か、ご用があったんではないんですか?」

「別に?」

目を合わせようとしないまま、前を向いてシレッとそう言うティルに、リオウは不可解なものを感じながらも、まあいいかと、問い掛けないことにした。
そして、また、湖を眺める。

気持ちのよい風が、2人にあたる。

リオウは、その風の中に、ふわっとした優しい匂いを感じた。

それを求めて、風上を向くと、ティルが普段めったにはずさないバンダナを取り、それを風に飛ばされないように左腕に器用くくりつけてから、髪をかきあげた。



その柔らかな仕草をただ見つめ、リオウを気遣うでもなく、いつもと同じように、ただ側にいてくれるティルに感謝の気持ちを抱きながら、自分でも自覚のないまま、リオウはティルを見つめていた。



ティルはまた、バンダナをくくり終えると、湖に目を移して桟橋の方に見知った人間がのんびりと釣りをしている様子に目を細め、遠くに視線を移動した。

ああ、そろそろ日が西に移動してきたなと、何気なく思った後、リオウがずっと目をそらさずに自分を見ているのに気がついた。

「どうかした、リオウ?」

「……いえ……、その、ティルさんが、そのバンダナはずされたの、初めて見たな、と……。」

「そう?」

言って、また、風に乱された髪を、少しばかり鬱陶しそうにかきあげながら、ティルはニコリと笑った。

「そんなに、見つめるほど、男前?」



「ええ!?」

いきなり言われた言葉に、リオウはぼっと、顔を赤らめた。

そんなに、じっと見つめていたのだろうか、と、急に恥ずかしくなって、両手を前で振って慌てて否定するように首をぶんぶんとふった。

「ち、違います!! あ! い、いえ、ティルさんは、すごくかっこいいと思うんですけど、そ、そうじゃなくて……。」

えっと、えっと、と慌てる様子が可愛くて、ティルはニコニコとその言い訳を聞いていた。

しかし――。

「その、そう! すっごく、いい匂いがするんです。……それが、とても安心できて……。」

その言葉が口から出た瞬間、リオウは自分の頬を、何かが伝うのを感じた。

慌ててそれを袖口で拭おうとして――。

「わっ!」

ティルの胸元に、頭を引き寄せられた。

「安心、する?」

「………………………はい。」

リオウは慌ててその胸から逃げ出そうと、すこしじたばたと暴れたのだが、結局、あきらめてもたれかかり、素直に頷いた。

「じゃあ、しばらく貸してあげる。」

そう言って、ティルはリオウの背をポンポンとあやすように叩いた。

その感触が、どこか懐かしくて、また、瞳に何かがあふれるのを感じ、リオウは、ティルの服をぎゅうっと、握り締めた。

「なんだい? 甘えん坊さん?」

言葉はリオウをからかっているようだったが、その口調は、リオウをとてもいとおしみ、包み込むような暖かさを感じさせるものだった。



――嬉しかった。



「……しばらく、このままで、いいですか?」

「もちろん。」

何も言わない、優しいこの人が好きだと思った。

みんな、明日ジョウイと戦うことを決めた自分に対して、腫れ物でも扱うように、遠慮して、気遣う様子を見せる。

……それが一番、つらかった。

決心が、鈍ってしまいそうで……。

でも――。

「ティルさん。」

「ん?」

「ありがとうございます。」

「なんのお礼かな?」

とぼけるティルに、リオウは小さく苦笑した。



誰かに頼まれたのかもしれない。

それでも、ここにいて、気を使う様子を見せないでくれるのが、とても、嬉しかった。

ティルに体を預けていたリオウは、全身が重いことに気がついた。

(ああ、そういえば……。)

ここ数日、きちんと眠れてはいなかった。

眠ることはとても大切なことだと、解っていた。

これからは特に、肉体的だけでなく、身体的にも今まで以上に負担がかかるのも、理解していた。

だからこそ、余計に。

けれど、気だけが高ぶって、眠りがこない。

そのせいで疲れている自分にすら、気づいていなかったらしい。

(ティルさん、あったかいなあ……。)

すごく安心できる、心地よさを感じられるけれ、それをずっと感じていたくて、それに、このまま眠ってしまったら、さすがに悪いと思って、しばらくしたら、惜しいけど離れようと考えていたが――。

「……え……?」

風の紋章の、気配がした。

ティルからではないと、すぐに気がつき、今まで気づかなかったが、ルックが視界の端に見えた。

ルックが原因だと気づいたのはよかったのだが、抗うことはできるはずがなかった。

そのまま、どんどん重くなるまぶたを支えていることが出来ず、ティルにしがみついていた手から、全身から、力が抜けていくのを感じた。



「ティ……ル……さ……。」

「……ゆっくり、お休み。リオウ。」

最後に聞いたのは、ティルのその言葉だった。

その優しい、大好きな声に、リオウはただ、心地よさを感じて、そのまま眠りの世界へと飛び立った。





「ご苦労さま、ルック。」

「……別に。」

ここぞというタイミングを見計らって、眠りの風をリオウに発したのは、もちろんルックだった。

「で、このまま、そいつ、部屋まで飛ばすの?」

「……ルックの出血大サービスはありがたいけど、後はおれがやるよ。」

いつもどおりに見えて、結局、リオウの心配をしているらしいルックの珍しい申し出を断って、ひょいとリオウを担ぎ上げると、そのまま軽々とリオウの部屋へと向かった。
その後ろ姿を見ながら、ルックはただ、ため息をついた。



「……ばかだよ、二人とも。」





「……ん………。」

リオウは、目を覚ました瞬間、見慣れた自分の部屋の壁が目に入り、首を小さく傾けた。

「あ、起きた?」

心地のいい、ずっと聞いていたいやさしい声が、通常ではないくらい、近くから聞こえて、ぎょっとしてリオウは一気に覚醒した。

「え、え?」

リオウは、どうやら、ずっとティルにしがみついたまま眠りこけていたらしい。

それなのに、無理やり引き離そうともしなかったらしいティルは、やさしくリオウに笑いかけていた。

「どう? 気分は?」

「……すごく、すっきりしました。」

「それはよかった。」

「……………。」

まんまと、ティルと、そして、ルックの罠にかかったのだと、気づいていた。

「……2人して、ぐる、だったんですか?」

「何のことかな?」

「…………………。」

自分のために、2人が自分を騙しにきたのだというのはわからないでもなかったが、なんとなく、悔しかった。

こんな単純な罠に簡単にはまり、子供のようにティルに甘えてしまった自分が、とてつもなく恥ずかしかった。



ぶすっと、少し赤い顔でそっぽを向いて、ティルから離れたリオウを見て、ティルは苦笑した。

「……決戦は、明日だ。寝坊だけはするなよ。」

「……わかってます。」

「じゃあ。」

リオウの心中がわからないでもなかったティルは、今日はこのままそっとしておこうと、そのまま部屋から出ようと、扉を開いた。

「……………ありがとう。」

そして、後ろからボソッと聞こえたリオウの声に、クスリと笑う。

「何のことやら。」



そう言って、扉を閉めて出て行くティルを見送った後、リオウは自分のベッドに、パタンと倒れた。

体の重たさは、かなり楽になり、とても気分がよかった。

ティルは、リオウが紋章の効果だけでなく、ティルの体温、鼓動を感じて、それに安心感を持っていたことに気づいていたのだろう。

だから、ずっと、リオウの傍にいてくれたのだ。

「……ありがとう。」

とても、心から安らげた気分だった。

「今夜は、ゆっくり、寝られそうです。」

あの、高ぶっていた気が、うそのようだった。

リオウは目を閉じると、まだ、傍にティルがいてくれているような、そんな気分になれた。

それが、1人じゃないんだと、まだ、自分には、傍にいてくれる人がいるのだと、とても、安心な気持ちを与えてくれた。

リオウはそのまま、ティルの気配を感じながら、久しぶりに、ゆっくりとした気分で、そのまま眠りについたのだった。





リオウの部屋を出て、階段を下っていたティルの前に、長身の影が立ちふさがった。

その影を見て、ティルは相手に悟られないように口を笑いの形にゆがめた。

「……ティル殿。……どうも、ありがとうございました。」

「礼なら、もう、もらったよ。軍師どの。」

そう言ってにやりと笑うティルに、シュウは複雑そうな顔を向けていた。



「……私では、リオウ殿は安らげない。……あなたのおかげです。……本当に感謝、しております。」



そう言って、また深く頭を下げて、立ち去るシュウの後姿をしばらくティルは、少し驚いた表情で眺めていたが、ゆっくりと目線を下に向け、目を閉じた。





ともにいて、安らげる相手。



シュウは、きっと、リオウのそんな相手になりたいと思いながらも、そんな相手になって、馴れ合うことを恐れ、自分からそれを諦めたのだ。



そんな相手がいることが、どれほど人間にとって救いなのか、計り知れない。



だが、自分がそうなりたいと思う相手が、自分をそういう相手として、本当に心の底から認めてくれるかどうかは、奇跡に近いのかもしれない。



リオウにとって、そんな相手は、ナナミであり、そして、ジョウイであったのだろう。


そして、いつの間にか、自分もその中に入っているのかもしれない。



それはそれで、とても嬉しいことではあったが……。



フッと、ティルは自嘲にも似た笑いを顔に貼り付ける。



自分の脳裏に浮かぶのは、もう、戻ってこない、親友の姿。

ティルにとって、共にいることで、もっとも安らげる相手は、彼、だった。



いつでも、どんなときでも、傍にいて欲しいと思えた相棒。



「……不器用だよな……。みんな。……なあ、テッド。」



そうつぶやいたティルの言葉は、誰にも気づかれることはなかった。



【END】



幻想水滸伝強化期間 第8作目です〜!!

またまた、言いたいことがキチンと内容に盛り込めているか、かなり不安なできばえとなってしまいました。
…これだけ、集中的に小説を書こうとするのが、そもそもの間違いだったのだと、改めて思いました。
無謀な計画はひかえるべきだと…。

今回の内容的に、ほとんど、BL系になるような気がします。…今まで書いた小説の中で最も。

坊←2主←シュウといった感じになるかな?

不快に思われる方、いらっしゃらないといいのですが…(汗)

今日、初の休日出勤だったんですが…。寝坊して、これ、更新できませんでした…。
朝、更新しようと思ってたのに…。
…で、4日付けになってますが、3日の夕方からアップはしてました…。

3日、4日は余裕で創作できると思ってたのに…(泣)
最終日、ちゃんと何かアップ…できたらいいなあ…(遠い目)



(05.09.04)



BACK