「――!!!」

声にならない叫びを上げて、将臣は飛び起きた。

そして、そこが、現代ではありえないことを思い知らされる。


虫の声と、木々のざわめき、風の音。


それしか聞こえない。

静かに立ち上がり、障子を開けるが、空には月が輝くばかりで、人工的な光など存在しない。

時折、見回り場を照らす灯ろうが揺らめきを見せる。

ただ、それだけ。





007.ビヨンド オブ ザ ダァク





昼間であれば、人の声、日常の活動音は聞こえるが、それもまた、すでにその音がすることすらすでに意識することのなかった、かすかな電子音、機械音などとは無縁のもので、将臣には、どこか違和感を感じさせるものだった。

深くため息をつき、縁側にドカッと腰をおろす。

脳裏に浮かぶのは、はぐれてしまった幼馴染。

必死で自分の名と、弟の名を呼び、助けを求めていた。

自分はその手を――。

「つかむことができなかった……。」

どこまでも深く根付く後悔。

どうして、あの時、力の限り水をかき分け、あの幼馴染の手をとることができなかったのだろう。

ギリッと噛み締める唇からは、錆びた鉄の味がした。

「望美――!!!」

物心ついたころには、すでに自分の隣にいた。

その彼女が、今はどこにもいない。

「せめて、譲と共にいれば……。」

そうすれば、譲はその命に代えても望美を守るだろう。

譲はそういう男だ。

信頼もできる。

だが、あの2人さえ、別々の場所にいたら――。


ゾクリと背筋を寒気が走る。


自分だけが、このような過去へ飛ばされたのなら、それでいい。

望美と譲が、元のあの世界で元気に過ごしているのなら、それでいい。

だが、もし、そうでなければ――。

将臣は首を振って、その考えを払拭する。

確かめる術はない。

この屋敷の主に運良く拾われた後、自分が動ける範囲で将臣は2人を捜した。

朝から晩まで、何か少しでも手がかりをつかむことはできないかと、そればかりを考えて、車もバイクもない、自転車すら存在しない、自分の足で歩くしかないこの町を、隅から隅まで駆けずり回った。



「あの2人は来ていない。……来ていないんだ。」



いくら言い聞かせても、確証のないこと。

自分のどこかが納得できないでいる。

夢であのときのことを見るたびに、湧き上がる後悔――恐怖。

いつか、この恐怖から解放されるときが来るのだろうか?



「……ありえねえな。」



自嘲するようにつぶやく。

それは、自分が、あの大切な幼馴染と、弟を、完全に忘れ去ったときだけだ。

……そんなことが、できるわけがないのだ。



「あら、将臣殿? どうされたんですか?」

自分の考えに没頭していた将臣は、夜番の灯りさしに来た女房に気づかなかったようだ。

廊下を曲がってきた女房に、驚いたように声をかけられて、項垂れかけていた頭を上げた。

そして浮かぶ笑み。

将臣が現代では浮かべた事もない、どこかすさんだようにも見える、酷薄な笑みだった。

一時でも、あの幼馴染を忘れさせてくれる相手が来た。

確か、この女房の名は、葵と言っただろうか。

この当時には結構多いらしい、割り切った遊びのできる女だった。

「ああ、少し眠れなくてな。……仕事はあとどれくらいだ?」

葵の方も、心得ているように、クスリと笑った。

「あと、一刻もすれば、私の仕事は終わります。……その後でよろしければ。」

「ああ、もちろんだ。」

ニコリを笑いあって、葵はそのまま廊下を進み、将臣は部屋へと戻った。

葵は言った通り、一刻程後に、将臣の部屋へと忍び込んできた。

「――将臣殿は、悪いお方ですね。」

「……誘いにのっておいて、それはないだろう?」

葵はクスクスと笑う。

「誰をお思いになって、私を抱かれるのですか?」

「……そう言ったことは、聞かない約束だろう?」

「あら、申し訳ありません。」

その後は、葵も将臣も、言葉を交わすことなく、その行為に没頭した。

愛欲に溺れていれば、あの重苦しい迷路の思考回路からは逃げ出せる。

たとえ、それが刹那のことであったとしても――。



日に日に、楽しかった思い出は遠ざかる。

だが、後悔だけは重く深く、将臣の心に圧し掛かる。

あの、天真爛漫な幼馴染の無邪気で幸せそうな笑顔は、すでにかすかな時の彼方。

記憶の中で薄れていくのに――。

ただ、はぐれた時の、必死な表情だけは、強く脳裏に焼き付いて離れない。

今更、どうしようもないものなら、消えてしまえばいい。

そうでなければ、今、ここで自分が生きている意味がない。

この思いから抜け出せないまま、ただ無為に生を生きるというのだろうか。



ふと、女の腕が将臣の背中に回され、ギュウと抱きしめられたのに気づいた。

驚いたように顔を見ると、女はまるで将臣を包み込むような優しい顔をしていた。

「……葵?」

「何を、泣きそうな顔をしているんですか? ……しょうのない方ですね。」

そう言って女は将臣の顔を自分の胸元に引き寄せ、抱きしめた。

「ほら、安心しますでしょう?」

「……………。」



――不覚。



そう思いはしたが、将臣は女から逃げる事はしなかった。

ただ、抱きしめられた女の手と、柔らかい肌を感じながら目を閉じた。

その、暖かさが、将臣の心を安心させる。

例え、それが、自分の求める最愛の相手ではなくとも、人は、暖かい感情で迎えられる事で、そのぬくもりを感じ、安心感を得られるものだと、将臣は実感していた。

だが、同時に揺さぶられる、奥底に眠る強い思い。

いつからかも覚えていない、伝える機会さえ失ってしまった、幼馴染に対する気持ち。

それは――完全に、行き場を無くしてしまっている。

他の女を抱き、やすらぎを得ていながら、違う相手を求めている。

最低だと自分をなじる。



もう、決して手の届かない、おそらく、時の彼方にはぐれてしまった大切な幼馴染。



彼女は、自分の今の行動を知れば、どんな反応をするだろうか。


再び会う事などないと思っていながら、そんな事をつい考えてしまう自分に、呆れる。



『将臣君のバカ! スケベ!! 最っ低――!!!!!』



そんな元気な声と、きっと、張り手が飛んでくるだろう。


そんなことを思いながら、苦笑する。

そして、そんな台詞と同時にきっとするであろう、幼馴染の怒ったような、恥ずかしがっているような、真っ赤な顔を思い浮かべてみるが、それはまるで砂のようにサラサラと流れて記憶の彼方へと消えていった。

その記憶に手を伸ばそうとして――。

ギュッと拳を握り締める。

消えてしまう。

どれほど、自分が忘れたくないと思っていても。

それが、どうしようもないことだと言うのなら――。



「この思いさえも、消えてしまえばいいのに……。」



「――? 何か、言いいました?」

「――いいや?」

将臣はただそう言って、葵のぬくもりをもっと感じようと、ただ一心に葵を求めた。

葵は、将臣に何を問うこともなく、ただ、将臣の気が住むまで付き合ってくれた。



真実、自分が求める相手は唯1人。



だが、それはもう、永遠に叶うことはない。



消えてしまえばいい。



こんな思いなど。



だが、それが、どれほど困難なことかなど、自分が一番わかっている。



全ては過去のこと。



今のこの暗闇を越えて――たどり着けるとも思わない。



だから――。



「いつかは……。」



忘れる、時が来る――。



将臣は目を瞑り、全意識を快楽を追うことに集中させたのだった……。



【END】




…………………………。
……コメントはありません。
逃げます。サヨウナラ〜(脱兎!!)


…何が言いたかったんだ…。



(06.04.02)
(05.11.26)


BACK