「……本当に、戻るのか?」
「うん。」
きっぱりと将臣の顔を見つめて、はっきりとした意思を持って答えた望美に対して、将臣には引き止める術などなかった。
将臣自身が、自分が生まれた世界より、家族より、そして、望美より、平家を選んだのだ。
将臣が、望美にここに残るよう強制することなど、……できなかった。
「……そうか。」
胸の奥から湧き出る感情を必死でおさえ、将臣は望美に最期に笑いかけた。
その笑顔に、望美はどこか寂しげな、無理やり作った笑みを返したのだった……。
001.泡沫
「――輩! 春日先輩!!」
望美は、その声でハッと意識を覚醒させた。
目の前には、心配そうな表情を浮かべた制服姿の譲くんが立っている。
そうだ。
自分は譲くんとともに、この世界に返ってきた。
――将臣くんを残して。
「ごめん、ごめん。ボーっとしちゃってた。」
慌ててごまかすように笑ったけれど、譲くんの心配気な――、どこか悲しげな表情は晴れなかった。
けれど、それには気づかない振りをした。
「ごめんね。部活の帰りに付きあわせちゃって。疲れてない?」
「……いいえ、大丈夫ですよ。」
「よかった〜! じゃ、行こ!! お母さん、何あげたら喜ぶと思う?」
母の誕生日プレゼントを買う為に、デパートへ行く予定だった私は、1人では少し寂しい気がして、譲くんを呼び出して付き合ってもらうことにしたのだ。
無理やり元気を引っ張り出して、譲くんの腕に自分の腕を絡ませて歩き出す。
譲くんは、困ったような顔をしたけど、それでも私の腕を振り払うようなことはしなかった。
……譲くんには、本当に迷惑を掛けている。
解ってはいる。
でも、どうしようもないのだ。
……この感情だけは……。
将臣くんと一緒に、あの世界で生きることを選ぶことができなかった。
――この、自分が生まれ育った世界に戻ってきたかった。
――そう、私は逃げたのだ。
将臣くんの一番が私じゃないのは、わかっていた。
それを納得していたはずなのに。
選ぶ時になって、急に怖くなった。
――何もかもが、自分が生まれ育った世界と違うあの場所で、自分が一番大切に思う人の一番が、自分では、ないことに。
戦がなくなるまでの1年余り、あの世界で私は生きていた。
頼れる友人は大勢できた。
でも――。
根本のところで、何かが足りなかった。
足元が、ぐらぐらしているような感じだった。
そして、白龍に、元の世界に戻るかと聞かれたとき、選ばなければならなくなったとき、――気づいた。
……怨霊がいなくなったあの時から、あの世界には私を、真に必要としている者が、いなくなったのだと――。
望美は自嘲するように笑った。
……だから、思ったのだ。
『還ろう』と――。
少なくとも、元の世界では、自分の両親だけは、自分を必要としてくれる。
それに、何より、17年間、自分の足で歩いた道が――、歴史が、ある。
この世界では、自分の出来る事など限られているが、元の世界であれば、自分のできることはたくさんあるのだから。
……だから、還ろう、と。
目の前では、譲くんが、私にショウケースの中のものについて、色々教えてくれている。
確かにその言葉は聞こえているはずなのに、……どこか、遠い。
「これなんか、いいんじゃないですか?」
言われて譲くんが、指し示したものに目をやる。
上品な金の、花の形をもじった綺麗な腕時計。
お母さんの好みによく合っている。
さすが、譲くんはよくわかっている。
予算と価格を照らし合わせても、程よいものだった。
「いいかもしれない。」
「じゃあ、決定ですね。あ、俺が支払い行ってきますよ。ここで待っててください。」
止める間もなく、譲くんはレジに走って行ってしまった。
おそらく、よほどぼんやりしていた私に対して、気を使っているのだろう。
「……呼び出したの私なのに、気を使わせて悪かったな。」
つぶやいた私の言葉は、私の耳にしか届かなかった。
望美は、近くの壁にもたれて、目の前を行き交う人の流れをぼんやりと見つめていた。
こうやって、ボーっとしていると、今にも、何処からか彼が走ってきて望美の頭を小突いてくる気がして、仕方がなかった。
何をしていても、彼が浮かぶ。
だって、仕方がない。
生まれてこの方、誰よりも近くに、誰よりも長く同じ時間を過ごした。
どこにいても、彼が浮かぶ。
誰といても、彼を思い出す。
――どうしようもないほど、後悔している。
バカだバカだバカだバカだ……。
もう、会えない。
こんなに悔やむくらいなら、全てを捨ててどうして彼についていくことができなかったのか……。
頭の中が、そんな考えでいっぱいだった私は、物陰から出てきた人に気づかず、思いっきりぶつかって、恥ずかしいことに尻餅をついてしまった。
「きゃ!」
「失礼!」
ぶつかった相手の人が、驚いたように声を上げて、私に手を差し出してきた。
「……大丈夫でしたか? 申し訳ありませんでした。」
その声に、心臓が掴まれたみたいに、苦しくなった。
――似てる。
苦しいくらいに心臓が早く脈打つ。
顔を見たくて、……見たくなくて、顔を上げるのが怖かった。
「……どこか、お怪我でも……?」
話し方が違う。
彼は、こんな丁寧な口を、絶対に自分にきいたりなんかしない。
彼ではありえないと解っていながらも、どこか期待していたかった。
のろのろと緩慢な動きで顔を上げた私の前にいたのは、背の高い、長い髪を後ろで1つにまとめた将臣くんよりずっと年上に見える男の人だった。
でも――。
……似てる。
声だけではなかった。
顔も、とてもよく似ていた。
だけど――。
「お怪我はございませんでしたか? こちらの不注意で、失礼を致しまして、本当に申し訳ございません。」
丁寧すぎるくらいの口調。
――真面目な、事務的とも言える、淡々とした対応。
『バーカ。何やってんだよ? ホント、オマエってドジで仕方ねえなあ。』
彼なら、きっと、こんなふうに、自分をからかいながら、それでも優しく手を差し伸べてくれる。
――違う。
彼、では、ないのだ。
「え? ……あの?」
目の前の男性が、驚いたように目を見開いた。
望美は、自分の頬をぬれたものが伝っているのに気づいた。
「あ、ご、ごめんなさい!! 大丈夫です!! 私こそ、よそ見しててすいませんでした!!」
差し伸べられた手には触れることなく、望美は慌てて立ち上がり、涙をふいた。
そこに、会計を済ませた譲が走りよってきた。
「先輩?」
「譲くん、ごめん、ありがとう。行こう!」
「え?」
わけがわからないのだろう、譲は、戸惑ったように望美と、そしてその前に立つ、長身の男性を交互に見て――、目を見開いた。
「あの……? 私の顔に、何か?」
男性は、困ったように眉をひそめて望美と譲を見た。
「あ! すいません。……ちょっと、知り合いに似ていたもので。……行きましょう、先輩。」
望美の肩を抱いて、促すように譲は歩き始めた。
望美もそれに逆らわなかった。
ちょっと進んで、譲はまた後ろを振り返り、怪訝そうな顔で自分たちを見ている男性をもう一度確認すると、ペコリと頭を下げて、今度こそ振り向かずに歩いていった。
「……先輩。」
「……ごめん、譲くん。……ごめん、ね。」
「…………謝らないで、下さい。」
望美は、涙が止まらなかった。
将臣くんに、似ている人がいた。
でも、それは彼ではない。
――そして、彼は、二度と、自分の目の前に現れる事はないのだと、改めて実感した。
どんなに似ていても、彼ではない。
――彼では、ありえない。
自分がどれほど求めても、もう、彼に、二度と会うことなど、出来ないのだ――。
それが、自分の選んだ道。
間違いなく、自分が望んだ結末なのだ。
目の前に、将臣くんの、いつも自分に向けられていた笑顔が浮かんだ。
思わずそれに手を伸ばし――。
その手は、何に触れることもなく、宙を切った。
目の前に浮かんでいたその姿は、それを実感すると同時に消えうせた。
今のは、望美の脳が記憶している将臣の姿。
現実ではありえない。
宙を切った手が寂しくて。
もう、思い出とともに胸に抱きしめて、ただ、泣きつづけた。
二度と、触れ合うことができない相手を求めて――。
望美は、ただ、止まらない涙を流しつづけることしか、できなかった……。
どれほど、望んでも。
どれほど、願っても。
――もう、二度と……。
求める相手は、時の彼方――。
――泡沫の夢……。
「あ! 頼久さん!! こっちですよ!!」
「み――、いえ、あかね殿。お待たせして申し訳ありません。」
「いいえ。そんなに待ってないですよ。」
にっこり笑うあかねを、頼久はホッとした気分で見ていた。
……先程ぶつかった少女。
あかねと同い年くらいに見えた。
……似ている、と、思った。
どこがと問われると、首を傾げてしまうのだが、何かが自分の胸に引っかかった。
何が――?
「頼久さん?」
じっと自分を見つめたまま、何も言わない頼久に、あかねはちょっと困ったように首をかしげた。
「どうかしましたか?」
「……いえ。……あかね殿。」
「はい?」
じっと見つめられたせいか、少しばかり頬を赤らめたあかねが、頼久を見上げる。
「あなたは、今、幸せでしょうか?」
「な? 何を、急に!?」
唐突に問われた言葉の内容に、あかねは本気で驚いて、上ずった声を上げてしまった。
そんないきなり面と向って問われて、素直に「うん」と答えるには、少し恥ずかしさが勝ってしまう。
一体どうしたものかと、ちょっと心配気味に見上げた頼久の顔は、怖いくらいに真剣だった。
「……………。」
だから、、ごまかすことは諦めた。
「……幸せですよ。……頼久さんは?」
「……私は、あかね殿がいてくだされば、とても幸せです。」
その答えに、あかねは今度こそ顔を真っ赤にして、うつむいてしまった。
その可愛らしい様子のあかねを見下ろしながら、頼久は先ほど会った少女を思い浮かべた。
とても、悲しそうな顔をしていた。
……何かを求めて、そして、諦めた顔だった。
あかねと、どこか似た少女が、あんな顔をしているのは、正直、とても悲しい気がした。
だからと言って、自分には何もできるはずなどない。
……だからせめて、あかねがあんな顔をしなくても済むように、自分はあかねを守りたい。
たった一人の人だから――。
(あの少女にも、そんな者が現れるといい。)
頼久には、そう、願うことしか、できなかった……。
【END】
将臣ENDで、望美だけ(譲も)現代に戻ってきてしまったENDを捏造。
…他のキャラも登場させてますが…。
なんで、こんなの書こうと思ったんだろうなあ…(T_T)
一言感想
(06.04.27)
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