馬鹿なことをしているという自覚はある。
「先生? どうかしたんですか?」
目の前には、真実芝居の稽古だと信じきり、『美月』という役割になりきっている彼女がいる。
彼女の瞳は、目の前にいる『嘉月』を心から慕い、側にいて、話をしているだけで、それだけでも幸せなのだということを、隠すことなく伝えてくる。
……だから、困る。
004.深く暗く
自分から、望んで演じてもらっている演技。
彼女は、自分が望む『美月』を完全に演じている。
いや、演じているのは己の感情のみ。
『嘉月』を愛しているのだという、その気持ちだけ。
だからこそ、それは、自分が望む、彼女の姿だった。
自分――敦賀蓮という人間が、彼女――最上キョーコという少女に、そうなる事を拒否しつつも、心のどこかで望んでいること。
キョーコに自分を、愛してもらいたいということを――。
俺は苦笑を押し隠す。
完全に、自分の気持ちを隠して、誰にもその感情を悟らせない平然とした人間を演じるのは、おそらく、そう難しくはない。
だが、それでは困るのだ。
その眼差しから、ちょっとした仕草から……、彼女を愛しているのだという気持ちを表しつつ、その上で、隠したい、気付かれてはいけない、彼女を好きになってはいけないのだという、ジレンマを、不自然でないように、表現できなければならないのだ。
「いや、なんでもないよ。どうしたんだい? 何か、欲しい物でもあるのか?」
ニコリと笑いながら、キッチンの入り口に立つ『美月』を見る。
「いえ……、その……。……先生が、元気ないように見えたから……。」
うつむきながら、しゅんと項垂れる仕草が、なんとも言えず、可愛らしい。
演技だとわかっていながら、胸に、抱きしめたくなる。
「心配してくれたんだね。ありがとう。」
言いながら、さらにニッコリ笑い、近づき、頭をなでる自分に、『美月』は顔を上げ、本当に嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔に、胸が鳴る。
心臓の音が大きく、早くなるのを感じる。
彼女の頭をなでる手が、演技ではなく、ぎこちなくなる。
愛しい。
抱きしめたい。
キスをしたい。
――その滑らかな肌に触れたい。
そう考えて、はっとする。
(今のは、演技か? ……それとも……。)
自分の感情がわからなかった。
演技と、感情の区別がつかない。
俳優として、あるまじきことだと思った。
これが、役に入り込んでいる所為ならば、それほど問題も無いのだろうが……、しかし……。
「先生?」
『嘉月』のどこかぎこちない動きに気付いたのだろう。
上目遣いに『嘉月』を見る『美月』に、笑顔を貼り付けて微笑む。
「……本当に、なんでもないんだよ。」
―――――――――――――――
時計の針は、すでに朝方の4時をさしている。
『美月』は――いや、キョーコは今、ゲストルームのベッドで眠っていた。
演技ではなく、本当に。
夜の8時前からはじめた演技は、夜中の2時を回っても続いていた。
さすがにこれ以上付き合わせるのは彼女に悪いと思い、まだ大丈夫だと言い張る彼女を、無理やりゲストルームに押し込んだのだ。
正直言って、まだ、自分の『嘉月』をつかむことができたかどうかは不安が残る。
しかし、おぼろげながらも、その輪郭はつかめたことは確かで……。
「……本当に、馬鹿なことをしている。」
ポツリとつぶやいて、リビングのソファーに座り、ため息をつく。
『嘉月』をつかむ前に、……自分の心を完全に、自覚してしまった。
彼女に対する、『愛しい』という気持ちを――。
確かに、彼女に恋をしているのだということは、自覚していたつもりだったが、まさか、それ以上に、自分が今夜演じる事を望んだ『美月』を見て、抑えると誓った気持ちをいとも簡単に彼女に伝えたいと、彼女にも、演技ではなく、心からそれを望んでほしいのだと、願う自分に気付いてしまった。
キョーコは、自分のことを恋愛の対象になど、全く見ていない。
それは、自分にとって、とてもありがたいことであるはずなのに――。
どこかで、寂しいと、思う。
その、自分勝手な感情に、苦笑する。
その彼女が、今、手の届くところにいる――。
そう考えて、首を振る。
(何を、考えているんだ、俺は……。)
自分の考えにあきれ、自嘲する。
ここで、大切な人間は作らない。
そう決めたのは、自分。
だからこそ――。
気付かれてはいけない。
この気持ちは、絶対に。
知らず知らずに握る手に力が入る。
封印する。
この気持ちを――。
心の奥深く、自分でも、容易には解除できないように……。
誰にも気付かれないために。
……彼女を、失わない為に――。
矛盾しているかもしれない。
それでも、自分には、そうすることしかできない。
自分の気持ちは封印する。
だが、彼女には、愛を得て幸せになってほしいと思う。
あの男のせいで、失ってしまったと、彼女が言ったその『気持ち』を、再び得てほしいと思う。
――自分以外の男に、対して……。
そのためにも、彼女を支えたい。
自分が、初めて得たこの『気持ち』を、彼女が再び手に、いれられるように……。
「おはよう、ございます。敦賀さん。」
思考に没頭していた蓮の耳に、キョーコの声が聞こえてきた。
時計を見上げると既に、朝の6時になっていた。
窓の外も、何時の間にか明るくなっている。
「ああ、おはよう。早いね。」
「いえ、そんなことは……。……敦賀さん、お休みにならなかったんですか?」
「いや、少しは休んだよ。」
自分を気遣う彼女の言葉に、笑顔で答えると、彼女はどうしてか、ひるんだように顔をそむけながら「そ、それなら、いいんです。」と、消え入りそうな声で答えた。
そのおかしな行動にも、そろそろ慣れてきた。
彼女であれば、どんな行動をしていても、可愛らしいと思う。
そう思う、自分にまた苦笑した。
自分が彼女を得ることは、おそらくは、ありえないことだろう。
それで、いいと、考える。
それでも、彼女の側にはいたいと思う。
日々成長し、そうして、美しくなっていく彼女を見守り、支えたい。
「……調子はどうですか?」
また自分の思考に陥りかけていた蓮の瞳に、心配そうに尋ねてくる彼女の顔が見えた。
「ああ、大丈夫だよ。」
(君がいてくれれば。)
決して言葉にはできない言葉を、心の中でつぶやく。
「そうですか!」
俺の本心など全く気付く様子なく、彼女はまるで自分のことのように、嬉しそうに笑う。
そんな彼女に、俺はただ、微笑みかけた――。
【END】
スキビ、第2作。
うーん……、難しい。
……連様視点で書くからかなあ?
蓮様がなぜ、大事な人を作れないのか、非常に気になります。
謎はいつ、解明されるのかなあ?
(05.05.07)
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