あるテレビ局の廊下で、休憩用のソファに座るアイツを見つけた。



ここからだと、わたしの行く場所は、アイツがいるソファの前を通らなければならなかった。

わたしの中で未だ消えることの無い、アイツへの憎しみが、静かに燃え上がる。

どういう言葉を浴びせてやろうか、それとも、全く目に入らなかったように無視してやろうか。

とりあえず、アイツの反応によって、対応してやろうと考えてバックを抱えなおすと、戦闘態勢に入ったまま、私はアイツの前に一歩足を踏み出したが――。



「何よ、寝てたの、あんた。」






009.フォークを喉元に






アイツ――ショータローは、ソファに座ったままの状態で、熟睡していた。



「……なんなのよ。」



せっかく、気合を入れて近寄ってきてやったのに。



「……つまらないじゃない。」



つぶやくキョーコの言葉にも、ショータローは全く反応を見せなかった。

よほど疲れているのか、のんきに眠りつづけるショータローを見て、昔の光景が思い浮かび、ふつふつと新たな怒りが湧き起こる。


そういえば、こいつは、わたしが朝の早くから、夜の遅くまで、生活費を稼ぎ、炊事洗濯、掃除までを行って、へとへとになっていても、何も手伝うことなく、のんきに「眠い。」の一言で自分だけ安眠をむさぼるやつだった。


あのときは、ショータローが自分の前で眠っていることが嬉しかった。


そんな自分を思い出して、どうしようもないくらい、自己嫌悪に陥る。

そして、また、湧き上がる怒り――殺意。



「……こんなところで、こんな無防備な姿をわたしに見せて、いいのかしら?」



どす黒い、自分でもどうしようもないくらいの深い闇に囚われた心が、キョーコの顔に、美しいが、見るもの全てに恐怖を与えるであろう笑顔を浮かべさせる。


そのとたん、ショータローの体が、ガクンッと傾き、キョーコが持っていた鞄にぶつかり、思わずキョーコはその鞄を取り落とした。


運悪く開いていたその鞄の口から、中身が飛び出す。



「……。あんたって、寝てても私に迷惑をかけるのね……。」



嘆息したキョーコの目に、鞄の中に入っていたお弁当包みから、銀の光りが目に飛び込んできた。

それを、なんとはなしにつかみあげる。



「……そっか、今日は、コレ入れてたっけ。」



取り出したのは、先のとがった銀のフォーク。

お弁当用の先の丸いフォークの柄が割れてしまったため、それに代わるものを買うまで、普通の食卓にある銀製のフォークを入れていたのだった。



その無機質な光沢を、無表情のまましばらく眺めたキョーコは、唇の端だけを上げて微笑んだ。

そして静かにその先を、ショータローの喉元に突きつける。



「……このまま、少し力を入れれば、あんたは死ぬのよ?」



フォークの先は、正確にショータローの皮膚の下を流れる、生命を支える脈を捉えている。



そして、つぶやく言葉は、未だ眠りに囚われているショータローには届かない。



「……あんたが悪いのよ。……私の心を殺した……。」



このまま、ひとおもいにやってしまえと、キョーコの中の何かがささやく。



「……でも、おもしろくないわ。」



少しも全く、キョーコの狂気に気づかないまま、眠りつづけるショータローをこのまま消してしまったところで、面白くないと思った。


やはり、ショータローには、全身全霊から、キョーコに負けたと思わせたい。

自らの、無邪気なまでの残酷さを思い知らせたい。

自分のバカさ加減を、思い知って欲しいのだ。



「……だって、そうじゃなきゃ、わたしが……つまらない。」



キョーコは、突きつけたままだったフォークをそっと離すと、散らばった鞄の中身を戻した。



「……もうすぐよ。覚悟してなさい。」



キョーコは、今、若手の天才女優として、日本中だけでなく、世界にも注目を浴び始めたところだった。

「わたしは、これから、もっともっと上り詰める。」

自分が初めて見つけた、自分が自分であるという存在意義を見出してくれるもの。



それは、演技。



それで頂点まで上り詰めることが、今のキョーコの目標だった。

女優として、超一流と認められたとき、キョーコは初めて自分のために何かをやり遂げたという、本当の満足感を得られるだろう。

そして、それは、ショータローにとっても、かなりの衝撃を与えるに違いない。



「そうね、そうなったときに、わたしはあなたの存在なんて、忘れてるかもしれない。」



自分で言った言葉に、キョーコはなぜかちょっとした満足感が沸き起こる。

『かもしれない。』と言いはしたものの、そうなることを、どこかで望んでいる。



「あなたなんて、わたしの人生に、もう、必要ないのよ。」



だから、はやく消えてしまって。

わたしの中から。



「……さようなら。」



ようやくキョーコはその場から去る事にした。



そろそろ、共演者たちがスタジオに顔を見せる頃だろう。

うっかり早めに到着して、時間があったばかりに余計なことに気を取られてしまったようだ。



「さあ、今日も、最高の自分を演じなければ。」



キョーコは後ろを振り向かない。

今から自分が向かうのは光の中。

自らの過去を覆う闇の中ではない。



前を向いて歩くキョーコの顔は、自信にあふれた、とても美しいものだった――。



【END】



久しぶりにスキビを書きました。
えーと、このキョーコちゃん、何歳くらいかな〜?
多分、20歳前後の予定。高校生ではないでしょう。

…しかし、キョーコちゃん、売れてもお弁当、持ち歩くかな…?

蓮様が出せなかった。
見ようによってはショータロー×キョーコ?
ショータロー寝てただけですが…。
楽しかった。



(05.08.11)



BACK