星降る夜
真夜中、テッドは窓を小さく叩く音で目が覚めた。
一体誰だよ……と眠い目を擦りつつカーテンを開けたテッドは、ぎょっと目を丸くする。
「っ……何してるんだよ、カイン!」
慌てて窓を開け、テッドは小声で訪問者を怒鳴りつける。
白い夜着の上に紺色の上着を羽織った格好という、夜中に庭先をそんな姿でうろうろしている現場をこの家の執事が見たら卒倒しそうな装いで佇むカインは、欠片たりとも悪びれた様子はなく、柔らかな笑顔を浮かべる。
「ごめん。寝てた?」
「そりゃ寝てたけど。…………じゃなくて!」
こんな時間にどうしてこんな場所にいるのか詰問しようとしたテッドを先制するかのように、カインはすまなそうに両手を合わせて上目遣いに、じっとテッドを見つめる。
「起こしてごめんね。でも、どうしてもテッドと一緒に見たいものがあるんだ」
ただでさえ人を惹き付ける黒玉の瞳に威力があるのに、それに加えての哀願ポーズは、カインの容姿では反則的に愛らしい仕草になる。
文句を思わず呑み込んだテッドに、カインは更にテッドの専売特許である『一生のお願い』という台詞を悪戯っぽく付け加える。
「…………こんな夜中になんだよ、見たいものって…………」
そこまでされて拒否など出来るはずもない。ついでに文句も出てこない。がくりと肩を落として了解を示したテッドに、ぱあっと光が零れるようにカインの表情が輝いた。
「ありがとう、テッド」
こんな些細な事だというのにひどく嬉しそうに全開の笑顔で礼を言われては、気恥ずかしくなる。
「で、どこに行くんだ?」
適当に上着を引っかけて窓枠を乗り越えると、カインはこっち、と母屋の方へ走り出す。珍しく子供っぽくはしゃいだ様子のカインに、こちらまで頬が緩むのを感じながら、後を追ったテッドだが。
次にカインが取った行動に、絶句した。
――――こともあろうに、屋敷の傍に生えている大樹に木登り。しかも、夜中。
星が明るい夜だから、夜目を妨げるほど闇は暗くなく、ミスって足を踏み外さない限りは落ちないとはいえ。
「なんでまた…………」
「え? あ、もしかして登れない? それなら手を貸すけど」
「……登れるよ」
付き合うと決めた以上、仕方ない。それでもしっかり溜息だけは零して、テッドは木に手を掛けた。カインも登りやすい木を選んだらしく、さして手こずることもなく上まで登ることができ、更に枝を伝って屋根まで移動する。呆れはしたが、開き直りの胸中で、テッドも屋根へと飛び移った。
その天辺で腰を下ろしたカインの手招きに従い、隣に座ったテッドは妙に疲れた気分で問いを吐き出す。
「なんだよ、屋根に登らせて……」
「――――来た」
文句混じりの問いは、カインの密やかな声に遮られる。
「え?」
期待に満ちたそれに眉を顰めたテッドは、カインの視線の先、天を見上げて息を呑んだ。
夜空に瞬く星がまるで雨のように、きらきらと輝いて次々に闇色の空を流れ落ちていく。
流星群というより、これはもはや流星雨だ。
テッドも三百年生きているが、こんなにも凄い星の雨は見たことがない。
大きく目を見開いて天を仰ぎ声もないテッドの傍らで、カインの弾んだ声が囁く。
「これをね、テッドと見たかったんだ」
そのためにわざわざ、夜中に屋敷を抜け出して、屋根に登るような真似をしでかしたのか。
自分と一緒に、この星空を眺めるために。
つん、と鼻の奥が痛くなった。目頭が熱くなり、胸が暖かなもので満たされる。苦しいほどの感情は『歓喜』と呼ぶしかないもので、子供みたいに泣きたくなった。
嬉しくて泣きたくなるなんて、そんな自分に驚いて、けれども納得する。それが他ならぬ、カインがもたらしたものだから。
けれど、馬鹿みたいに素直な感情に歪んだ顔を見られるのは嫌だった。膝を抱えてそこに額を押しつけてしまおうとも思ったけれど、そんなことをしたらこの空が見えなくなる。
テッドは考えた末、ぐるりと半回転してカインと背中合わせに座り直す。とん、と背中を預けると、カインが笑う気配がした。
「…………なあ、カイン」
声が少し、掠れた。
「なに?」
しかしカインはそれに触れず応えてくれる。甘えているのはわかっていたが、今だけは許してほしかった。
「流れ星に願い事をすると叶うっていうアレ、どう思う?」
『……真剣に祈ったところで、流れ星が願いを叶えてくれるなんてのは迷信だろ』
不意に甦った懐かしい面影とその記憶。
闇の淵から、自分をこの世界へ引き戻した真の紋章に愛された少年。自分とは違う闇を抱え、彼もまた重い紋章を背負わされていた。
星を見つめていた彼に、願いなんて叶わないと吐き捨てた自分に、あの少年は……。
『うん。知ってる。俺も…………一度も叶ったことないから』
『だったら……』
『でも。祈りたい時もあるから…………』
『…………叶わなくてもか?』
『…………叶わなくても』
『……叶わないとわかっていてもか』
『……わかっていても』
期待するだけ無駄。裏切られるだけ。
祈りは届かず、願いは叶わない。
それでもなお、星に願うというのか。
『…………俺には無意味としか思えない』
『うん。そうだね……』
あからさまに苛立ちをぶつけた自分に、彼は静かに言った。
『でも、祈ることはきっと希望に繋がると俺は思うから……』
何故、彼を思い出したのだろう。
百五十年経っても変わらない星空のせいなのか、流れ星のせいなのか。
ただ、比べるつもりはないけれど、カインはどう思うのか、なんとなく知りたくなった。
「テッドは信じてるの?」
「…………いや」
穏やかな問いに、テッドは首を左右する。今も昔も、そんなおとぎ話みたいなことは信じていない。……信じられない。
否定したテッドの背に、カインのぬくもりが柔らかく体重を預けてくる。
「僕も信じてないよ。だって、願いは自分で叶えるものだから」
「…………!」
息を、呑む。
――――それは眩しいくらいの、強さ。
確かにカインならば、自分で全てをその手に掴み取るだろう。
星に一方的に願いをかけ、祈って満足するような人間ではない。
希望も未来も、その手の中にある。
いや、カイン自身が希望そのもの。だからこそ、こんなにも自分はその光に惹かれてやまないのだ。
「……そう、だな……」
しみじみと噛み締めるように呟いたテッドに、くすっとカインが悪戯っぽく笑った。
「あ、でも、小さい頃は願ったなあ。一つだけ叶ったから、一応は御利益があるのかもしれないね」
「へえ。どんな願いを言ったんだよ?」
「『親友ができますように』って」
「…………」
咄嗟に何も言えず口ごもったテッドに、カインは迷いなく言葉を綴る。
「こればかりは自分だけの力じゃどうにもならないからね。いくら僕がテッドのことを好きでも、テッドがそう思ってくれるかは難しいし。あ、でもこれって、僕の願いを叶えてくれたのはテッドだよね」
絶句。二の句が継げない。ついでに赤面。
テッドは頭を抱えた。
…………まったく、こいつは。
「カイン。お前、恥ずかしいことをさらっと言うなよ……」
「恥ずかしい事なんて言ってないよ?」
「あのなあっ」
どこがだ!とがなろうと振り向いたテッドは、同時に振り向いたカインの微笑みに目を奪われて、声を途切れさせた。
漆黒の瞳が真っ直ぐにテッドを映し、ふわりと優しく和む。
「だからね、テッド、ありがとう。大好きだよ」
「っ――――!!」
笑顔で告げられた殺し文句に、テッドは耐えきれずにぱたりと屋根に倒れ伏した。
恥ずかしい、なんてものじゃない。本当に、こいつは!!
「どうしたの、テッド?」
「眠いんだよっ」
「そっか」
無邪気に尋ねてくるカインが、からかうためにわざとやっているならまだ反撃のしようもあった。だが、カインのこれは天然だ。だからこそ、テッドは撃沈されるしかない。
まったく、信じられない。どうしてカインはこう…………。
恥ずかしさと嬉しさに悶絶するテッドの後頭部を、カインがぽんぽん、と撫でる。
「テッド。眠いとこ悪いけど、もう少しここで星を見よう?」
「…………ああ」
異論なんて、あるはずない。テッドは屋根に仰向けに寝転がると、夜空と星をその瞳に焼き付ける。
どれほどの時が経とうとも、決してこの夜のことを忘れないように――――流れ星の一つに、願った。
【了】
ほのぼのした感じなのに、どこか切なくて、とても素敵です。
お互いを思いあうテッドど坊が、大好きです。
ほんとうに、ありがとうございました。
お持ち帰りの期限が15日までのところ、本当にぎりぎりでした。
間に合ってよかったです。
(05.07.16)
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