「秘境・前鬼の里探訪」(下北山村主催) 生きているうちに行きたい大峰奥駆け。 たまたま、下北山村のスッタフの方々の先達で、その中間地点の前鬼及び裏行場に行って来た。 <コース> ・小仲坊〜閼伽坂(あかさか)峠〜 〜垢離取場(ことりば)〜三重の滝(みかさねのたき) ・栃の巨樹里散策 台風12号により、川上村・泊の土砂崩れが起きている為に時間が読めず、 少し早めに自宅を出発した。 朝8時、 下北山スポーツ公園集合。参加者は、20数名 主催者・挨拶の後、マイクロバスに乗車し、一路、前鬼・小仲坊へ ![]() 役行者(えんのぎょうじゃ)さんに 従った前鬼(男)と後鬼(女) その子供が 五鬼熊(ごきぐま) ・行者坊 五鬼童(ごきどう) ・不動坊 五鬼上(ごきじょう)・中之坊 五鬼助(ごきじょ) ・小仲坊 五鬼継(ごきつぐ) ・森本坊 ![]() ← 途中、右手に大きな滝が 不動七重の滝!! そして、小仲坊近くに着いた。 小仲坊は、現在は、61代目当主 五鬼助・義之(ごきじょ・よしゆき)さん。 約1300年ずっと、この地を守って来て おられる。 大峰奥駆けの大日岳・釈迦ケ岳への表行場と ここから、閼伽坂峠・三重滝の裏行場があり、 今回は、裏行場へ!! 山に入る説明を受けた後、入山するが 蛭が多いとのことで、足下の皮膚が 出ないようにチェック 下の地図を見ると、はじめは緩い上り、 閼伽坂付近になると勾配は大きくなる。 ![]() 峠に到着すると、お地蔵さんが祀ってある。 閼伽坂(あかさか)のアカは、 英語[AQUA(アクア・水)]の語源で、 お水を汲むときは、 心身を浄める意味合いが込められている。 ここから行に入るため、 祀られているお地蔵さんで お祓いをするのです。 ↓閼伽坂地蔵 ![]() 後は、垢離取場まで、下り基調。 ただ、高低差が大きく、一部、山道が落ちて いるところがあったようだが、修復されていた。 この道の補修に関して、鉄骨を組んである 部分があり、お話を聞くと、現場まで、 人力で運んだとの事。頭がさがる思いだ。 そうこうしているうちに、垢離取場に着いた。 ![]() 垢離(こり)とは、 神仏に祈願する時に、 冷水を浴びる行為のこと。 冷水を被り、自身が犯した大小さまざまな 罪や穢れを洗い落とし、心身を清浄にすること。 wikipediaより ![]() 台風12号による大水で、対岸に渡れる石が 流され、みんな靴を脱いで、水に浸かって 対岸へ渡った。 丁度、心身を清めるにはぴったし・かんかん。 また、天気も良くなり、気持ち良い!!! ここから本日のメイン。三重の滝に向かう。 距離は短いが、一度川に下っているので、 最初は登り。その後、下るが、滝の近くには 鉄骨の階段が続く!! こんな急な下り、昔はどのようにして 行き来していたのだろう?? ←三重の滝 やっとたどり着いた。 ここや。↓ ![]() この場所だ!! 心の中にイメージされている<行者さんの姿> → 滝の中腹に岩を切り開き 行者さんが祀られてる。 ↓ 真横に落差60mの滝 ![]() 役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんの おづぬ)とも云われ、修験道の開祖と云われる。 行者さんは、 葛城山の麓、茅原の地(茅原山吉祥草寺)で 生まれ、幼少の時から物覚えが良く、 早くから修行をされ、 藤葛の皮で編んだ衣を着て、松の実を食べ、 茅原から葛城山へ日参されていたようです。 また、葛城山に籠もり、二十八の霊所を設け、 それが法華経二十八品の経塚として 今 も残っている。 さらに熊野から入山して大峯山を開かれました。 それが大峰奥駈として、伝えられています。 ![]() → 五百羅漢と云われている岩場 その後、閼伽坂まで戻ってきました。 裏行場に無事に行って戻れた事を このお地蔵さんに報告と感謝しました。 この辺りに居ると、パワースポットなのか? 精気が充実してくる。 ![]() その後、少しと云うところに、 居ました!!居ました!! 蛭(ヒル)が 尺とり虫のように歩いています。 そっと、避けながらこわごわとすり抜ける。 やっと出発点の小仲坊に戻った。 主催者が準備してくれた垂れ幕を持って 記念写真です。 ![]() 小仲坊61代目・五鬼助義之(ごきじょ・よしゆき)さんが戻って居られ、 お話を聞かして頂きました。 役行者さんの修行を支えたのが前鬼(男)と後鬼(女)。 行者さんが吉野まで修行に行かれ、こちらに戻られた時は,ここから2〜3時間登った 深仙(じんせん)というところで長く修行され、その間に、前鬼と後鬼は、夫婦ですから 子供が5人出来たのです。私としては、長い間、修行されたので、 行者さんとしては、一区切りついた気持ちではなかったのかなと思われます。 そこで、前鬼・後鬼に、私は唐(現在の中国)に飛んでいって、もう一度修行をし直すので、 おまえたちは、ここ・前鬼の里に残り、修験される方をお守りし、また、導き、修行しなさいと 諭され、この平らな地に、5人の鬼にお坊を建てさせた。 ![]() これは、大正13年の写真↑ ここに、後鬼が金輪おうじ。そして、五鬼熊(ごきぐま)の行者坊、 五鬼童(ごきどう)の不動坊、 五鬼上(ごきじょう)の中之坊、五鬼助(ごきじょ)の小仲坊、五鬼継(ごきつぐ)の森本坊を建てられた。 ずっと守って来たが、明治3年に出された大教宣布(だいきょうせんぷ)は、 「治教を明らかにして惟神の道を宣揚すべし」の考えもとでは、修験者が馴染まず廃れていった。 しかし、平成に入り、朝日新聞の好意で、7〜8年前に、この地で、五鬼サミットを開催して、 私としては、後世に、このことを伝えて行きたい。 ![]() その後、五鬼助さんの案内で、 栃の巨樹を散策。 自然の雄大さ・すごさがひしひしと 伝わってくる。 事故も無く、無事に帰られたのは、スタッフの方々の周到な準備と参加者皆さんの 協力があってのことで、また行きたい所です。 ![]() |