扉を開く鍵 5


つぶやいて、テッドは沈黙した。

カナイは静かに、その様子を見つめていた。

しばらくの沈黙のあと、テッドがもう一度つぶやいた。

「そう、だな……。試して、みるよ。……言葉にしなきゃ、何も変われないから――」

「うん」

「……けど、今すぐは……、まだ、決心がつかない……」

あいつを信じていないわけじゃないけど……、と、テッドは無理やり笑顔をつくった。

自分が変わるための第一歩を踏み出すには、かなりの勇気と労力がいる。

そんなことは、カナイだって承知している。

テッドの場合は、通常の人より根が深い。

ゆっくり、自分を、自分のとるべき行動を信じて、一歩ずつ歩き出すしかないのだろう。

「いいんじゃないか? 今すぐ、どうこうなるって訳じゃないだろう? いくらなんでも。……機会を見て、きっかけを捜してもいいんじゃないか?」

カナイは、そう言って、テッド笑いかけた。

テッドは、そのカナイの笑顔を、新鮮な気分で見つめた。

いつもうつむき、顔をそむけ、彼自身を正面から見たことがなかったことに気が付いた。

あの船に乗っていたとき、仲間だったやつらが言っていた。

『カナイの顔を見てるとさ、自分がやってることは正しいんだって、後押ししてもらって る気になるんだ』と――。

テッドには、もう先ほどまでの混乱した様子は見受けられなかった。

自分の気持ちに整理がついたせいだろうか、どういうふうに、とは言えないまでも、テッドの雰囲気が変わって、落ち着いた雰囲気をかもしだすようになった気がした。

カナイは、そのテッドの様子を見てどこか、ほっとした気分になった。

そして、お茶を飲もうとして、コップを持ち上げたところ、空になっているのに気がつ き、無言で立ち上がって、ついでにテッドのカップも取り上げ、調理場の方へ向かった。

「あ――、おい。そんなのは、おれが……」

ふいに動き始めたカナイの様子をポカンと見ていたテッドが、カナイが新しいお茶をいれに行ったということに気づいて、慌てて立ち上がった。

「いいって、おれがやりたいんだ。こういうの得意なの、知ってるだろ?」

にっこりと笑うカナイの表情に、テッドの過去の記憶が呼び出される。

あの時も、カナイはテッドの部屋に入ってくるたびに、テッドにお茶を煎れていた。

そのお茶が、他の誰に煎れてもらうより美味しかったのを覚えていた。

「……ああ、そう、だな」

頷いたテッドに、本当に嬉しそうな顔で笑ったカナイは、テッドの家の調理場へと向かっ て、静かに湯を沸かし、茶葉をいれ、そうして二人分のお茶を入れた。

テッドは静かに、その様子を見つめていた。

やがて2つの湯気の上がるコップをもって、再びテッドの前に座ったカナイと、示し合わせたわけでもなく、お互い目があうと、柔らかく微笑んだ。

そして、静かにお茶を飲む。

(ああ……、この、味だ……)

150年前とは、お茶の種類も違うし、自分の味覚も少なからず変わっているだろう。

それに、当時の味の記憶が鮮明に残っているわけでもないはずだった。

――それでも……。

テッドには、カナイがいれたお茶が、とても懐かしく、感じた。

……どうしてか、とても、幸せな気分になった。

ただ二人はそのまま、それ以上なにも言葉を交わすことなく、お互いの存在だけを身近に 感じながら、時をすごした……。

―――――

「――もう、行くのか?」

夜が明け、結局一睡もしなかった二人は、それでも眠気などを感じることもなく、朝日の下、家の前に立っていた。

「うん。そのつもり」

カナイの言葉はそっけない。

「……あの、弓……、持っていかないのか?」

テッドは、ボソッと言った言葉に、カナイが目を丸くした。

「持っていけるわけないだろう? ……あれは、もう、テッドのものだよ」

「けど……」

「また、ここで、押し問答する気?」

「そういうつもりじゃ……」

慌てたように否定するテッドを見て、微笑ましく思い、カナイは笑った。

「おれが持っていたって、役に立てる事はできないし、アルドも、テッドを守ることがで きて、きっと喜んでるよ」

「そうかな……。……そう、だな」

ようやく、アルドに対して、肯定ととれる返事を得られたことで、カナイは満足した気分 になった。

自然と、カナイの極上の笑みが浮かぶ。

この笑みで、カナイの虜にならなかった奴はいないと、水面下で言われていた笑顔だった。

当時、自分の心をつぎはぎながら必死で覆い隠していたテッドさえ、こいつの手助けをし てもいいかと、不覚にも思わせてしまったものだった。

テッドも、笑った。

今度は、カナイが驚きに目を見張った。

テッドの、こんな屈託のないきれいな笑顔は、見たことがなかったのだ。

そのカナイに気付いているのかいないのか、テッドは言った

「お前に会えて、よかったよ。……嬉しかった」

カナイにとって、何よりも嬉しい言葉だった。

「ああ、おれも」

そう答えて、お互いがっちりと手を握り合った。

「元気でな。」

テッドが言う。

「ああ、テッドもね。」

再会を約束するわけではないけれど、悠久の時を生きる自分達なら、きっと再び出会う事もあるだろう。

だから、その時まで――、さよならだ。

くるりとテッドに背を向け、通りを歩いていくカナイの後姿を、テッドは見えなくなるま で見つめていた。

―――――

カナイは、テッドの家を出た後、グレッグミンスターを後にするため、街壁の門へと向 かっていた。

ふと、前方から、まだ人通りのほとんどない中、駆けてくる少年の姿が目に映った。

(あれは――)

その少年に気付き、カナイは足を止める。

少年も、カナイに気付いたのだろう、カナイから少し離れたところまで駆けてきて、立ち止まった。

カナイはニッコリ笑って声をかける。

「やあ、早いね」

「ああ、君もね」

まだ、警戒されているのか、声が硬い。

「……テッドは?」

「家にいるよ。たぶん、起きてる」

「そう」

そのまま立ち去ろうとする少年に、カナイは、訊いてみたくなった。

「ねえ、ティル。君は、テッドのことが好き?」

ふいにそんな事を訊かれたことに驚いたのか、少年――ティルは、まじまじとカナイの顔 を見つめてきた。

その瞳をそらすことなく見つめ返し、カナイは昨日は漆黒だと思った瞳に、緑が混じって いる事に気がついた。

――とても、美しい、と――。

「ああ、好きだよ」

カナイに、何の害意がないことを理解したのか、ティルはそう、返事をした。

まっすぐに人を見て、率直に自分の意見を言う。

見ていて、気持ちがいい。

ふふ、とカナイは笑った。

この少年だったら、大丈夫だ。

根拠なんてものは、なかったけれど、カナイはただ漠然とそう思った。

――この少年は強い。

肉体的に強いものなら、いくらでもいる。

けれど、本当に大事なのは、心だ――。

この少年は、育ちがいいのか、まだ、年齢的なものなのか、見せかけを装う事ができず、カナイに対するように、自分の気持ちを簡単に相手にばらしてまう。

だからこそ、カナイには良くわかった。

この少年の心が、何よりも得がたい宝石のように輝いている事が――。

誰かを大切に思い、守りたいと思い、そしてそれを思うままに実行できる。

それは、彼が、彼自身の心が強いということの証だ――。

その、人として最も大切だと思えるものを、彼はすでに持ち合わせている。

――大切なものを持っている人間だからこそ、人は、彼に惹かれるのだろう。

(彼は、大丈夫だよ、テッド――)

そう、目を閉じて心の中で、テッドに言う。

そして、カナイは静かに目を開き、ティルをもう一度、真正面から見て微笑んだ。

「おれも、テッドのことが、大好きなんだよ――」

それだけを言うと、カナイは、再び歩き始めた。

ティルの隣を通りすぎ、そのまま今度は再び足を止める事もなく、門へと向かう。

その後ろから、ティルが自分を見つめているような視線を感じた。

けれど、カナイは振り向く事はしなかった。

その足でグレッグミンスターを出たカナイは、しばらく歩いたところで、ようやく後ろを 振り返った。

赤月帝国の帝都グレッグミンスターは、カナイが訪れたときとその姿を全く変えてはいなかったが、カナイの目には、来たときとは全く様子が違うように見えた。

「来て、本当に、良かった――」

そう言って、誰にともなくカナイは微笑みかけ、そしてしばらくの間、グレッグミンス ターを見つめていた――。



【END】



「ボキャブラリーが少ない。感情表現が下手!!」
と いうのを、今まで以上に痛感しました。

矛盾してるとことかあると思いますが、私自身は結構、満足してい ます。

何か感想がありましたら、いただけると幸いです。


(05.03.11)



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