時の中で重なるもの 《後編》






その後、しばらくは、どちらも口を開こうとせず、ただ、そこにいた。

「……ああ、そういえば、お客様にお茶も出してなかったな。」

言いながら、カナイが突然立ち上がり、部屋に常備してあるお茶請けを出してきた。

「あ、別に――。」

「いいから。……おれが淹れたお茶は、好評だったんだよ。テッドに。」

そう言われると、遠慮するとは言えなくて、ティルは苦笑した。

「ありがとう。」

「いいえ、どういたしまして。」

カナイは笑い返しながら、沸かしたてのお湯をポットに注ぎ、慣れた手つきでお茶を入れ、ティルに手渡した。

その手が、部屋の中であるのに、皮手袋に覆われていることに、何故か納得して、ティルはお茶を受け取った。

「どうぞ。」

「ありがとう。」

お礼を言って、一口すする。

(あれ?)

お茶の味から、自分もよく飲む、トランで一般的なお茶の種類であることは、間違いないはずなのに――。

「おいしい……。」

どこか、いつも飲むお茶と違う、不思議な味がした。

「よかった。」

そう言って笑った目の前の、自分より、ほんの少し年上に見える少年は、柔らかく笑った。

カナイも、自分用にお茶を入れ、そうしてまたベッドに座る。

それから、ティルの瞳を真正面から見詰めた。

ティルはその瞳を受け止めた。

カナイの瞳は青い。

それは、知っていたし、何度も見ていたはずだった。

それなのに、どうしてか、今更、彼の瞳に吸い込まれそうな錯覚に陥った。

いや、吸い込まれる……ではなく、包まれるような、そんな暖かさを感じたのだ。

そのことに、少し戸惑いを感じたが、顔には出すことはなかった。

……不快なものではなかったから――。

「……君に、聞きたいことがある。」

お茶をほぼ飲み終え、落ち着いたときに、ティルは口を再び開いた。

カナイは、少し驚いたように目を開いたが、ニコリと笑って促した。

「どうぞ。おれに答えられることなら、何でも。」

「……手を、見せてくれないか?」

その言葉は、大して意外なものではなかったらしく、カナイは黙って、手袋をはずした。

そこにあったのは、ティルが今までに見たことのない、不思議な形をした紋章だった。

「……この紋章は……?」

「これは、罰の紋章。……償いと赦しを司る、真の27の紋章のひとつ。……君のソウルイーターと同じだ。」

あっさり述べられた答えに、ティルの方が言葉を詰まらせる。

「……君は……、あなたは、何年、この世にあるのですか?」

いきなり口調を改めたティルに、カナイは苦笑した。

「普通でいいよ。たしかに、おれは君に比べたら、はるかに長い年月を生きてる。……そうだな、大体10倍ってとこかな。……けれど、テッドに比べたら、半分ほどでしかない。」

言いながら、カナイはその紋章を持つ手にまた、手袋をはいた。

「……10倍……。」

軽く言われたが、それでは、目の前の少年は、自分の曽祖父よりもさらに年上であるのだ。

テッドは300年、生きたといっていた。

150年……、300年……。

言葉にしてしまえば、大したことではないように思える。

けれど、人として生きるには、とてつもなく長すぎる時間。

普通の人は……いや、国さえ、100年を超えないもの方が多い。

そして、人は、その100年足らずの自らの人生の中でさえ、自分を見失い、迷い、そして滅んでいくものがどれだけいることか――。

その長い時間を、自分という存在を見失うことなく生きてきた人間――。

それは、目の前に、確かに存在する、カナイに、……そして、テッド――。

知らずに右手に力がはいる。

今はまだ、実感はない。

この戦争のあと、生き残ったとすれば……。

いずれ、自分にも、否応となく訪れる、無限の時間。

他者と違う時間に生きる、不老の者――。

自分は、目の前のカナイや、そうして、親友のテッドのように、生きられるだろうか?

「君なら、大丈夫だよ。」

言葉にはしなかったはずのティルの疑問を敏感に感じ取ったのか、まさに、タイミング良く、カナイが発した言葉に驚く。

目の前では、先ほどから全く変わらない優しい笑顔を称えた美貌の少年が、暖かくティルを見つめていた。

「……そうで、しょうか……?」

「ほら、まだ固い。……うん、おれは、大丈夫だと思うよ。君は、テッドの親友だもの。」

真顔でそう言うカナイに、ティルは噴出してしまった。

「理由になってないようで、すごい納得してしまうんだけど……それ。」

テッドがいた。

確かに、自分の隣に、一番近くに。

……そして、姿は見えないけれど、確かに、今も自分と一緒にいるのだ。

ティルは自分の右手を大事に抱え込んだ。

確かに、これは自分にとって、不幸と禍をもたらすものだ。

けれど、これは、自分の最も大切な親友に譲られたものであり、同時に、ここには自分にとって、大切な人たちが眠っているのだ。

なぜか、とても愛しいと思ってしまった。

本当に愛しそうに、今は手袋に包まれている右手を見つめるティルを、カナイも幸せそうに見ていた。

あの紋章について、カナイはそう詳しく聞いていたわけじゃない。

けれど、宿主の親しいものの命を好んで喰らうのだということは聞いていた。

そのことが、彼にとって、どれだけつらいことなのか、想像には難くない。

けれど、彼なら大丈夫だと、どこかで、そう思ってしまった。

「……ねえ、君の、『天間星』って、どんな人?」

唐突な質問に、意味がわからなかったのか、ティルは首をかしげた。

「……おれの『天間星』は、テッドだったんだ。」

そう言うと、ああ、と納得したように、ティルは頷いた。

「ルックだ。おれより年下なのに、生意気で、口が悪くて、ついでに性格も悪い、『真なる風の紋章』の継承者。……めったに、その力は使ってくれないけどね。」

本当に、使って欲しいわけでないが、ちょっと膨れたように、おどけて言うティルに、カナイは苦笑した。

「……本当は、すごく優しくて、面倒見がいいのに、わざと皆から遠ざかってる気がする。」

「…………。『天間星』ってそんなヤツばっかりなのかな?」

「え?」

「おれの知ってたテッドが、ちょっとそんな感じだった。人から遠ざかって、何に誘っても、「放っておいてくれ」の一点張り。……人と接するのを、とても怖がってた……。」

「……そんな、テッドが……?」

ティルの声が震えたような気がして、カナイは慌てて立ち上がった。

「……知らなかった……。」

呆然とつぶやくティルに、カナイはゆっくりと近づいて、ちょっと悩んだ末に、頭を軽くなでた。

「それは仕方ないよ。……テッドは、君に出会えて、その恐怖に打ち勝つほどの強さを手に入れたんだ。すごいことじゃないか。」

言いながら、ティルの肩に腕をまわし、軽く寄りかかった。

「そうかな?」

「そうだよ。テッドが自分で言ってた。」

「本当に?」

「本当に。」

そう言い切ったカナイに、ティルは苦笑して、自分も抱き返そうとしたとたん――、カナイの部屋の扉が乱暴に開けられた。

扉の真正面を向いていたカナイは、瞬時に脇に置いてあった剣へと手を伸ばし、扉に背を向けていたティルは、咄嗟に壁際へと飛んでいた。

しかし、そこに立っていたのは、フリックだった。

カナイは相手の顔を知らないせいか、手から剣を離そうとはしておらず、フリックに固い視線を向けていた。

そのカナイの手が剣にかかっていることを見て取ったフリックは、自分の剣『オデッサ』の柄に手をかけ、そのままカナイに踊りかかっていた。

狭い部屋の中、2人の剣士が見事に立ち回っていた。

ともすれば、一瞬で何か物に足でもとられて、また、壁に追い詰められて勝負はつくはずであったが、そこはさすが手練。

あまりに突然のことで、ティルにしては珍しく、驚いて手出しができず、それでいて、見ていて楽しいほどだったが――。

「何っ!」

フリックが慌てた声をあげた。

相手の得物が、細身の片手剣だと思い込んでいたフリックに、カナイはもう一本壁際に立ててあった同じつくりの剣を抜き、双剣でフリックに反撃したのだった。

そこからの勝負は一瞬だった。

元々の地力が違うのか、フリックが慌てた所為なのか、いきなり乱入してきた不審者(フリック)との決着はあっさりとついた。

とりあえず、無頼者として、昏倒した相手に縄をかけようとするカナイの肩を、ティルは苦笑しつつポンと叩いた。

「ごめん。そいつ、おれの仲間。」

「…………ええ!?」

やはり気付いていなかったらしいカナイは、驚いた声をあげた。

「ああ、やられちまったのか、フリック。」

そのとき、のんきな声が廊下から聞こえてきた。

「ビクトール。……なんで、フリックが襲い掛かってきたのか、教えてくれる?」

ニーッコリと、どこか怖い笑みを浮かべたティルが、面白そうに床に延びているフリックを見ていたビクトールに尋ねる。

ビクトールはそのティルに気付いたのか、慌てたように言い分けをはじめる。

「い、いや、おれは……、別に……。その、ティルが、知らないやつに呼び出されて、数時間、部屋から出てこないって言っただけで……。」

「『テッド』の名前を持ち出してきて、怪しいことこの上ないやつ、とも言ったな。」

「へえ〜〜。」

横からひょっこりと顔を出して、付け加えるタイ・ホーの口を、ビクトールは慌てて抑えようとしたが、遅かった。

左手に宿した烈火の紋章を発動させたかと思うと、広範囲に及ぶはずの被害を、ビクトールのみに凝縮させて放った。

後には、まさに奇跡的なほど、壁にも床にも焦げ目がついていないのに、真っ黒焦げになった人間がそこに倒れていた。

タイ・ホーはクックッと楽しそうに笑っていたが、昏倒させてしまったフリックを介抱しようとしていたカナイは、ちょっとばかり眼を見開いて、驚いていた。

「……ティル?」

「ああ、気にしないで。こいつは、頑丈だから。」

しれっと言い放つティルに、先ほどのしんみりとした、ソウルイーターを愛しそうに見つめていた優しげな表情、テッドのことを思い、悲しみにくれかけていた雰囲気は、微塵も感じられなかった。

そのティルに、カナイも苦笑した。

どうやら、テッドの親友は、まっすぐなだけではなく、一癖も二癖もある人物だったのだ。

それが、逆に、ぴったりで、カナイは嬉しくなった。

「う……。」

その時、カナイの膝の上に載せられていたフリックが身じろぎした。

「あ、気がつかれましたか? すいません。」

眼を開けるなり、飛び込んできた、少女と見間違いそうな美貌を持つ少年の心配そうな顔に、フリックは硬直した。

「え? あ……?」

状況が一瞬理解できなかったらしい、フリックは、怯えるように飛び退き、カナイから遠ざかった。

その様子が面白かったらしく、カナイは笑みを浮かべ、ティルも笑った。

「フリック。また、ビクトールに騙されたな。彼は、おれの知り合い……友人だよ。」

『友人』という言葉に、カナイはハッとティルを見た。

ティルは、片目でカナイに合図をして、ニッコリと笑った。

その笑顔に、カナイも笑い返す。

『友人』

何気ない言葉だけれど、とても嬉しい言葉だった。

「そそそそそそ、そうなのか?」

「ええ。すいません。いきなりだったもので、驚いて……。初めまして、カナイといいます。」

そう言って差し出した右手に、フリックも少しばかり罰が悪そうな顔をしながら右手を出し、握手をした。

「フリックだ。……早合点して、すまなかった。」

「いいえ。」

答えて、カナイは、おやっと思った。

「……『天暗星』……?」

「? 良く知ってるな。星見か何かするのか?」

純粋に驚いたような顔で、フリックが問い返してきた。

「……まあ、そんな感じ……です。」

自分の知っている『天暗星』は、スノウだった。

そして、床に倒れているのは、おそらく『天孤星』……キカだ。

視線をめぐらせて、廊下に飄々と一人、我関せずといった感じでパイプを加えた着流し風の男は、『天平星』――シラミネ。

確実に時は流れ、カナイの知っている『彼ら』はもういない。

だが、それでも、星のめぐりがある限り、第二、第三の『彼ら』は生まれるのだろう。

そして、『彼ら』にとって、『天魁星』――ティルは、とても大切な存在なのだ。

カナイには、よくわかっていた。

「いい、仲間だね。ティル。」

本当に、本心からそう言った言葉を、ティルはきちんと受け止めてくれた。

「ああ、もちろん。」

その言葉が、カナイには、何より嬉しい言葉だった――。



【END】



またまた、フリックさん不幸です……。(そんなでもないか?)
どうやら、真田の中ではビクさん、最後に誰かにしてやられるのが当然となっているようです。
(4主しかり、ジーンしかり、ルックしかり…)
ごめんよー。
なんか、結構TとWで無難な変化(?)を遂げた人ばかり登場していたようです。
これは、故意ではなかったのになあ……。


(05.06.16)



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