戦いの後…… (前)
その日の夜、ビュッデヒュッケ城は勝利という美酒に酔い、どこかしこでご馳走や酒が振舞われ、盛大な祝勝会が開かれていた。
その喧騒もほとんど届かない奥まった場所にある静かな病室で、黙々と今回の戦で負傷した戦士たち、特に怪我のひどい者達の様子を診ている男がいた。
このビュッケヒュッケ城における、若干26才の若き名医トウタである。
「トウタ先生…。少し、お休みになってください」
ミオは朝から全く休むことなく動き回っている医師に、どこか言いづらそうに声をかけた。
普段なら、ミオもこんな風に遠慮がちに、しかも思いつめたような顔で言う事もない。
腕はバツグンのくせにどこか頼りない、一つ年下のこの若い名医が、自分の体調に頓着せずに働きづめであったなら、無理やり彼の自室に押し込んで寝かしつけるくらいの事をする。
だが、この日ばかりはそうする事を、ミオはためらっていた。
…トウタの周りの、どこかいつもと違う、張り詰めた空気を感じ取ってしまったせいかもしれない。
「…いえ、ミオさん。僕なら大丈夫ですから、ミオさんも皆さんと共に楽しんできてください。…せっかくの、お祝いなのですから」
トウタは、椅子に座り、寝台に横たわる兵士の包帯を替えていたその手を止め、傍らに立つミオの顔を見上げ、微笑んだ。
「…………」
その微笑を見返しながら、ミオは心中複雑になるのを抑えられなかった。
いつもの、やさしいトウタ先生の笑顔には違いない。
違いないのだけれど、どこか違和感を感じる。
そして同時に、無理もない…と思う。
ミオ自身はあまりよく知らないのだが、今回の戦争で敵として戦った相手が、トウタの昔の友人だったらしい。
トウタはミオに何も言わない。
だから今、トウタが何を感じ、何を考えているのかわからなかった。
それでも…
「私は先ほど少し雰囲気を楽しんできました。ですから、今度はトウタ先生が休憩がてら散歩にでも行ってきてください!」
トウタ先生が倒れてしまったら、何もならないんですから、と半ば無理やり病室から追い出した。
まさか、祝勝会の会場へ行けとは言えない。
だからといって、このままここにずっと置いておくわけにもいかないと考え、ミオは実行にうつした。
散歩でもしてくれば、トウタの、おそらく落ち込んでいる気分も、少しは浮上してくれるのではないかと思ったのだ。
そのミオの気遣いに気づいたのかどうか、トウタはあきらめたように笑い、
「では、少し行ってきます。その間、よろしくお願いします」
と告げて、酒場を通ればすぐであろう外へ、わざわざ地下の人気の少ない場所を選んでいるように出て行った。
部屋を出て行く様子を見届けたミオは、小さくため息をついた。
――――
トウタが、ミオに病室を追い出されたのとほぼ同じころ、ビュッデヒュッケ城から少し離れた夜の湖岸をひとり歩く青年の姿があった。
背中に、恩人より譲られた、並外れた大剣を背負い、ゆっくりと地面を踏みしめるように歩いている。
その経験に裏付けられた確かな強さ、彼自身の生き様から培われた全ての人に好まれる誠実で、優しげな性格から、ビュッデヒュッケ城に住まう男性陣(特に少年たち)、女性陣の両方の、憧れの的である、フッチだった。
もし、今が太陽の光の下で、人通りのある場所であれば、その青年の憂いを帯びた美貌にみとれ、どうにかして慰めたいと思う女性が、後を絶たなかったであろう。
しかし、今、彼がいる場所は城から少し離れた、ときたまモンスターも闊歩するような人気のない場所であるため、彼に話し掛けるような人間はいなかった。
フッチは、風にあたりたかった。
冷たい風を体に感じ、自身の、感情の高ぶりを少しでもおさえたかった。
ビュッデヒュッケ城では、祝勝会が行われ、城のいたるところで勝利の美酒に酔った兵士があふれかえり、浮かれ気分でお祭り騒ぎをおこしていた。
そのせいでもあるかもしれないが、さすがに夜の湖岸には、人1人の姿も見られなかった。
特に、今日のような『めでたい日』に、わざわざこんな寂しい場所に出向くものなどいないのだろう。
フッチは水際までゆっくりと歩調を変えることなく近づき、立ち止まった。
湖は暗く、引きずり込まれそうなほどの不気味な黒い色で染まっていた。
辺りを静かに見回した後、フッチは力なく両手を目の前に掲げ、手のひらを見つめた。
自分は、この手で、ルックに―風の紋章の化身にとどめをさしたのだ――。
こうなるかもしれない、と、覚悟を決めて最終戦に臨んだはずだった。
今まで、何度も軍の勝敗を決するような大きな戦いに臨み、その都度、仲間との協力で勝ち抜いてきた。
そのいずれの時にも、今感じているような感情を持ったことなどなかった。
戦いの後には、それぞれ親しくなった仲間たちとの別れがあったし、ましてや、永遠の別れを告げたものたちも少なくはなく、そのことに悲しみを感じることも多々あった。
だが…・・・。
今、自分が感じているような感情は…・・・。
いや、感じていると言っていいのかもわからない・・・…。
心が、空っぽだったのだ…・・・。
この戦いの後、少なくとも喜びを皆と分かち合う事だけはないと、戦う相手がルックであるとわかった時点で、すでにわかっていた。
どんな形であれ、戦いが終わった後、昔のようにルックと語り合える事は、もう二度とないだろうということが……。
しかし、今、自分の心は――。
「……悲しみさえ、感じては……いない……の……か……?」
フッチはつぶやき、自らに問う。
わからない。
わからなかった。
何も、感じることができない。
そして、ふと気が付いた。
静かすぎる。
先ほどまでは、かすかだが確かに聞こえていた城の喧騒が、今はそれさえも聞こえない。
水の打ち寄せる様も、目には映っているが、音は…聞こえなかった…。
「どうしたんだ。……おれは……一体…」
自らのつぶやきすら耳に遠い。
空虚…というのが最も適しているかもしれない。
ただ、フッチの柔らかな髪を揺らし、頬に触れて去っていく風だけが感じられる。
「…どうして…なんだ…?」
「フッチさん?」
つぶやいたフッチの耳に、自分の声以外の者の声が届いた。
フッチはその声が聞こえた方にゆっくりと首をめぐらした。
いや、普通に向けたつもりだったのだが、やけに自らの動作が緩慢に思える。
何より、その声がするまで、自分はその気配にすら気づく事が出来ていなかった。
そういう意味では、もっと慌てるべき事であるはずなのだが、相手に敵意がないこともあり、フッチの意識はその姿を確認するだけに終わった。
「…トウタ…君…?」
そこに立っていたのは、医師のトウタだった。
周囲を見ても、彼以外の人間は見当たらない。
彼は、この戦いではサポートに徹し、戦闘には直接関わっていなかった。
その彼が、モンスターの出現する草原を1人で渡り、この場にいることが不思議に思えた。
「どうか…したんですか…?」
フッチがそんなことを考えている間に、トウタが、怪訝そうな顔で問い掛けてきた。
「え…?」
フッチは、『どうして、こんな所にいるのか』と、自分が思っていたことを逆に問われた気分になり、反応に困ってしまった。
フッチは腕に自信が有り、この辺りのモンスターなど一撃で蹴散らす事ができる。
また、フッチはビュッデヒュッケ城に来てからも、相棒のブライトだけを共に、また、時には1人で様々な場所へ視察などに出向いたりしていたため、城外で出会ったとしても不思議ではなかった。
そのため、なぜそんな事を聞かれるのかがわからなかった。
「…どうして…?」
「…いえ…」
トウタが口篭もるのがわかった。
トウタは、問いかけはしたものの、どうしたらいいのかわからなかった。
フッチの様子がいつもと違うということはわかった。
おそらく、ミオから見た自分もこんな感じだったのだ考えたものの、どう見ても、フッチのほうが重症に思えた。
それもそうだろう。
フッチは、自らの手で『彼』を討ったのだと、最終戦で負傷し、トウタに手当てを受けていたものたちが教えてくれた。
最終戦のパーティーに、フッチが請われて行ったのだ、と。
だから、いつもと違う様に見えたとしても、口に出すべきではなかったのかもしれない。
黙りこみ、うつむいてしまったトウタの顔を、フッチは少しかがんで覗き込み、昔から変わらない、その優しい薄茶色の瞳で見つめてきた。
その視線に、何故か痛みを感じ、トウタは不自然にならない程度に目をそらそうとした。
そのとき、視界の端で、フッチの瞳が揺れたような気がした。
それが気になり、トウタは逸らしかけた瞳を再びフッチの方に向けた。
自分の見間違いであってくれることを祈りながら・・・。
「フッチ・・・さん?」
だが、目の前に立つフッチは、目を閉じていた。
先ほどまでは気がつかなかったが、フッチはどこかつらそうな表情をしていた。
(・・・心が・・・痛むのだろうか・・・?)
一瞬そんな考えが頭をよぎったが、それでも、何かがおかしいと、トウタの医師としての勘がつげていた。
その瞬間、風にのり、濃厚な血の臭いが…した。
(まさか…!!)
「フッチさん!!」
【To be continued】
(04.12.20)
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