不思議な宝石のように輝く、上品な色のカクテル。
「……いい香り。」
クンッとそこに置いてあるだけで、感じられる香りを楽しみ、エリーはしばらくその不思議な色の液体を眺めていた。
「…………ちょっと、飲んでみよっかな……。」
そのあまりの香りのよさに、エリーは自分で飲んでみることにした。
ダグラスに見せ付けたいのなら、また造ればいいだけの話なのだ。
「うん、そうしよっと。」
そう決めると、エリーは早速グラスを用意し、中に氷を入れて、液体を注いだ。
瓶に入れていただけで、ほのかに甘い香りがした液体は、グラスに注ぐことで、部屋中にその芳醇な香りを撒き散らした。
「いただきまーす。」
コクリと口に含んだカクテルを飲み込む。
「…………。おいしい!!」
口当たりがすっきりとして、喉ごしが爽やかだった。
アルコール度数は、決して低くなく、実際、一口飲んだだけで、ほのかに体温が上昇したような気分になる。
甘すぎるわけでもなく、それでいて、辛いわけでもない。
不思議な味で、今まで飲んだ事がないような美味しさがあり、おまけに、とても飲みやすかった。
その美味しさ、飲みやすさに、用心して「ちょっとだけ。」と思っていたエリーの制限が外れた。
「……これくらいだったら、大丈夫だよね。」
そう独り言を言いながら、貯蔵庫にあったシャリオチーズを出してきて、一人の晩餐をたのしんだ。
「……エリーのやつ、ここ数日工房から顔さえ出しやがらねえ。」
夕暮れ時の職人通りを、一人の聖騎士がぶつぶつとつぶやきながら歩いていた。
フラムを少しばかり調達したいと思っていたのだが、しばらく仕事が忙しく、エリーの工房へ足を運ぶことができなかったのだ。
まあ、急ぎでもないし、そのうち、門番してるときにでもひょっこり顔を出すだろうと思っていたのだが、ここ1週間ほど、何かの調合に熱中しているのか、まったく、現れなかったのだ。
「……また、無茶してぶっ倒れてんじゃねえだろうな。」
いつだったか、自分の体調も考えず、めちゃくちゃなスケジュールを立てて、こなそうとしたエリーが、ダグラスが工房を訪ねたとき、調合台の前で、過労で倒れていたことがあったのだ。
なんだかんだ言いながら、結局エリーが心配なダグラスは、足を速めた。
「エリー!」
赤い屋根の工房の前に立ち、いつもどおりの勢いで扉を叩く。
程なくして、エリーが「はぁーい。」と顔を出した。
内心、ホッとしながらも、表面上はいつもどおりに、ダグラスは依頼をしようとした。
が――。
「あー、ダグラス〜。入って入って〜。」
ほのかに赤く上気した頬に、いやに上機嫌の満面の笑みを浮かべたエリーが、ダグラスに中へ入るように促す。
そういえば、以前にも、チーズケーキがうまくいったとかで、ちょうどその時に顔を出したらしい自分に、嬉しそうにケーキを分けてくれたことがあった。
今回も、その類のことなのだろうと、ダグラスは単にそう思い、工房に足を踏み入れた。
「……なんか、すっごい甘いぞ……。」
工房の中は、珍しい、不思議な甘い香りがした。
今までに、かいだことのない匂いだったので、ダグラスは、その匂いの発信源が何なのか、想像がつかなかった。
「え? そう〜?」
本気でわからないような顔をして、エリーが首をかしげた。
(……こいつ、鼻が麻痺してやがる……。)
内心あきれながら、ダグラスは、エリーの調合台の1スペースを陣取って、勝手に椅子に腰を下ろした。
そこに、エリーがミスティカティを淹れて持ってくる。
そうして、ダグラスの隣にちょこんと座ると、ニコニコ笑いながら、幸せそうに一緒にお茶を飲み始めた。
「エリー? 何か用事があるんじゃねえのか?」
そのエリーの行動がわからず、ダグラスが問い掛ける。
「えー? べっつに〜!!」
キャラキャラ笑いながら、ダグラスの肩をバンバン叩くエリーを、不可解なものを見るような目つきでダグラスは見ていた。
「……おまえ、どっか変じゃね?」
「えー!? ひっどーい!! 変じゃないも〜ん!」
言いながら、ダグラスの肩に抱きついてきた。
「おい!?」
焦ったのはダグラス。
慌てて引き離そうとして――。
(こいつが匂いの元か!?)
エリーの髪らへんから、部屋に充満しているのと同じ甘い匂いを感じて、一瞬気を取られた瞬間。
「ダグラス、おいしそう〜。」
カプッ……。
ダグラスの頭はフリーズした。
エリーの言葉も意味不明だったが、行動がもっと意味不明だった。
エリーが、ダグラスの首筋に噛み付いたのだ――。
そのまま、固まっていたダグラスは、自分の体温とは違う、細く柔らかい、ぬれた感じのするもの――エリーの舌の感触を首に感じ、気がついたら立ち上がってエリーを突き飛ばしていた。
咄嗟に慌てたダグラスの、本気の力に押されて、エリーは床の上に強くしりもちをついた。
「ひどいよ〜。」
と言いながら、ベショベショと泣くエリーを、奇異なものでも見るようにダグラスは見たが、それでも、先ほどのエリーの行動、……匂いと、自分の首筋に感じるぬれた場所が、空気にさらされて冷える感じに、顔が赤らむのを感じた。
しばらく、床で泣きつづけるエリーを見つつ、早鐘を打つ心臓とともに、息が上がった自分を、情けなく思いながら、冷静さをとりもどすことに努力した。
あきらかに、目の前のエリーはおかしい。
ダグラスは、部屋の中を観察した。
すると、キッチンの方に、明らかに、カクテルが入っていたと思われる空き瓶が見えた。
「おまっ! これ、全部一人で飲んだのか!?」
ダグラスは、嫌な予感がして、その空き瓶の口から匂いを嗅いでみた。
案の定、普段エリーが飲んでいる酒よりかなり強い、そして、甘い何か、ダグラスの心を刺激するような香りがした。
「? そうだよ〜?」
ようやく涙が収まってきたらしいエリーは、何故、ダグラスが焦っているのかわからない様子で、涙で潤んだ瞳をダグラスに向け、小首を傾げる。
「う……。」
その様子に、いつもの子供子供したエリーがかけらも感じられず、ダグラスは焦りと不安を感じた。
「ガキのくせに、酒なんて10年はええ!」
すでに、自分で何に焦り、怒りを感じているのか解らないダグラスは、ただそう叫んだが――。
「子供じゃないもん! 私だって、もうすぐ18歳だもん! 見てよ!!」
「は?」
すっくと立ち上がったエリーが、おもむろに法衣を脱ぎ始める。
「まて! まて――!!」
ダグラスの制止の声もエリーの耳に届かないのか、エリーはマントをとり、腰に巻いてある皮ひもをぐるぐると解き、そうして、法衣を脱ぎ捨て、そうして下に着ているシャツを捲り上げ――。
バサッ。
シャツを捲り上げたエリーの頭の上から、白い大きな布がかぶせられた。
「やー! ダグラスのバカー!!」
それは、ダグラスの聖騎士のマントだった。
エリーの行動に、頭が混乱して、呆然となっていたダグラスだったが、意識をようやく取り戻して、背中にあったマントでエリーを隠したのだ。
「な……に、やって……。」
心臓がバクバク言って、血が沸騰しそうに熱かった。
それなのに、手足は冷え、背中を冷たい汗が流れる。
薄暗くなった工房の中、ちらりと見えたエリーの白い肌が、いやに眼に残っていた。
ようやくもそもそと、マントの下で動いていたエリーが、顔を出した。
「ダグラスが子供扱いするから!」
こんなことで、腹を立てて、そんな事をしようとする自体、子供なんだとは、言えなかった。
これ以上、エリーを挑発……これを挑発と言っていいものかわからなかったが……、したくなかったのだ。
「わかった! 悪かった!!」
両手を上げて、降参のポーズをとったダグラスに、エリーは幸せそうな笑みを浮かべて――。
「ダグラス、好き!!」
飛びついた。
「な!?」
虚をつかれた形になり、よろっとふらついたダグラスは、次に感じた感触に、また硬直した。
エリーの柔らかな唇が、頬に触れたのだ。
「! %&¥&%$$’&&%〜〜〜??????」
一瞬遅れて、声にならない声をあげて、いつもだったら、エリーの体くらい片手で支えられるはずのダグラスが、床に倒れた。
どれくらい経ったのだろうか?
もしかすれば、一瞬だったのかもしれないが、ダグラスにとっては、とてつもなく長く感じられた時間のあと――。
「……エリー?」
エリーに押し倒された形で硬直していたダグラスの耳に、エリーの寝息が聞こえてきた。
いっきに脱力したダグラスは、ため息をついて、額を抑えた。
「……勘弁してくれ……。」
もう一度大きくため息をついたダグラスは、エリーを転がさないようにむっくりと起き上がった。
そうして、上からエリーの安らかな寝顔――、まだまだ蕾でありながら、どこか、ほのかにほころび始めた花のような可愛らしい顔を見下ろして、また、ため息をついたのだった――。
「あれ? ダグラス、ここどうしたんだ?」
次の日、内心、落ち着きを取り戻せないまま、ダグラスは通常任務についていた。
「あ?」
斜め後ろを歩いていた同僚に指摘され、ダグラスは視線を自分の首元に移すと、そこには――。
「な!?」
慌ててそこを手で抑え、真っ赤な顔で同僚から遠ざかる姿を見て、指摘した同僚は、はは〜んと気付いた。
「キスマークか、それ。」
「ち、ちが!!」
「相手は誰だ? 花街の姐さんか? それとも……、あ! あのエリーって子か!? へえ〜、意外に大胆だな。」
「な――!!!」
「語るに落ちるって、それだと思うぞ。」
何も言ってねえし、意味ちがわねえか、というダグラスの言葉は、同僚の耳には届かなかったらしい。
ニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべた同僚は、ダグラスの止める言葉も聞かずに、どこかへと去って行った。
――数時間後……。
城中の何処にいても、女官たちはひそひそと話しに興じ、用があってダグラスが声をかけると一目散に逃げ出し、男たちは、ダグラスをからかう為に、見かけるとニヤニヤ笑って声をかけてくるという、非常にダグラスにとってありがたくない状況がそこにあった。
夕方、果てはエンデルクやブレドルフ王子にまでからかわれ、精も槐も尽き、疲れ果てたダグラスは、ボーっと城門前の警備をしていた。
そこに、エリーが現れた。
「ダグラス! 昨日――。」
すっかり疲れ果て、思考回路が麻痺していたダグラスは、エリーの姿を見るなり、逃げ出さなければという意識に支配された。
「く、くるな!」
「え?」
「あっちへ行け〜〜!!」
「え? え!?」
昨夜、ダグラスが来たこと以外、はっきり言って何も覚えていないエリーは、叫びながら、エリーの前から脱兎として逃げ出したダグラスの後ろ姿を、呆然と見つめ、首をかしげたのだった。
その後、しばらくの間、国一番の騎士であるエンデルクにさえ、平気で喧嘩を売る怖いもの知らずで有名なダグラスが、年下の、小柄な、しかも女の子から逃げ回る姿が、ザールブルグの街の中で、しばしば目撃されたという……。
「ダグラス! これあげるから、機嫌なおしてよ〜〜。」
自分では何をしたのかわからない、しかし、明らかに、自分がダグラスに何かをしたため避けられていると気付いたエリーは、『誘惑のカクテル』を新しく調合して、ダグラスの元へ届けたのだった。
「……………これは……。」
エリーを徹底的に避けたため、エリーを可愛がる飛翔亭の面々や、アカデミーの人間たちに、延々と説教をされ、数日あけて漸く自分を取り戻したダグラスは、エリーが差し出してきたカクテルを見て絶句した。
「『誘惑のカクテル』って言うの。ちょっとダグラスには甘いかもしれないけど、不思議な味ですっごく美味しいよ!!」
無邪気な顔で言われたダグラスは、その名前と、身をもって知った効力を思い浮かべ、引きつった笑みで受け取りながらも、何とかお礼を言ったが――。
「仲直りの印に、一緒に飲も!!」
その言葉に、あやうく受け取ったばかりのカクテルを落としそうになった。
口をパクパクさせ、一瞬言葉につまったが……。
「……おれが悪かった。仲直りするから・……、これは、一人で飲ませてくれないか?」
「?」
「この通りだ。おれが、悪かった。もう、子供扱いしたりしねえ。」
「??????」
エリーは、いつになく、弱気な感じで頭を下げてくるダグラスを、不思議そうに見た。
「ほんと?」
「――ああ。」
「じゃあ、いいよ。」
どことなく、ダグラスの様子がおかしいような気はしたが、それでもエリーは、ダグラスの言葉に満足して、ニッコリと笑ったのだった――。
【END】
4000hit キリ番で、リクエストを下さった、朝凪しのぶ様に贈らせていただいた小説です。
いつもと違った、新鮮な感覚で書かせていただきました。
とても、勉強になった気がします。
まだまだ未熟ですが、どうぞよろしくお願いいたします。
(05.05.23)
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