「なつかしい……」

緑鮮やかで気候がよく、この地に住む人たちにとってもっとも過ごし易い時であろう、6月上旬の、ある晴れた日だった。

昼を少し回った頃だろうか、ここシグザール王国・王都ザールブルグの城壁の門をくぐったばかりの女性が、目を輝かせて町並みをみつめ、つぶやいた。






光の帰還






年のころは、40半ばか、若い頃はさぞかし美人であったであろう、整った優しい顔立ちをしており、少しばかり色のあせてきた長い黒髪を、歳相応に結い上げて、落ち着いた色合いの、彼女に良く似合う青い服――法衣を身にまとい、手には杖を持っていた。

それだけならば、このザールブルグでは、昨今、そう珍しくなくなってきた錬金術師だと認識されるだけであったかもしれないが、しかし、彼女の高い知性を感じさせる、その美しい濃い茶色の瞳に気づいたものは、年齢に関係なく、多かれ少なかれ、彼女に、見とれる様を見せた。

年若い青年や少女たちはもちろんのこと、彼女とそう年齢の代わらないものたちもまた、何故か彼女の瞳に、暖かく、優しく、包み込んでくれるような、母親を思わせる感情を抱いた。

女性の傍らに立つ、女性の伴侶と思われる男性は、静かに女性を見つめ、優しそうに、慈しむかのように微笑んでいた。

年のころを、50を超えたぐらいと思われるその男性もまた、人目を惹かずにはいられない、美しい、涼やかな容貌をしていた。
若い頃に比べれば、いくらかつやが失われたが、その金色の髪は、未だ十分に人目を引く美しい色をしており、長身で、とても均整のとれた体をしていた。

決して、筋骨隆々のたくましい体つきをしているわけではなかったが、その引き締まった体と、その機敏で隙のない動き、そして腰にある剣を見た、少し腕に覚えのある冒険者や騎士たちは、その男性が、かなりの剣の使い手であることを見抜いていた。

そして、もう少し感の鋭いものは、彼の知性にあふれた落ち着いた瞳と、どこか優雅な身のこなしに気づき、彼が一介の冒険者などではなく、騎士や貴族階級に属している、もしくは、属していた人間であるのだろうと思った。

「ああ、そうだな」

男性は、女性の言葉に同意をすると、女性から視線をはずし、王城を見上げて、まぶしそうに目を細めた。

そうして、何の合図もしていないのに、二人示し合わせたかのように微笑みあい、街へと歩き始めた。

決して短くない時間をかけて、二人で築き上げたのであろう、余人には入り込めない暖かい空気が感じられたが、その空気は、他の者に疎外感を味併せるようなものではなく、その場にいた人たち全てを、優しい幸せな気持ちにさせた。

目に見えない絆というものを、実感させてくれるような二人だった。

ただ、その二人を見かけた伴侶を持つものたちの内、ある者は自分の伴侶を思い浮かべて苦笑し、ある者はため息をついた。



二人はそのまま大通りを歩き、ザールブルグのほぼ中心にある、大広場へと辿り付いていた。

広場の中央には、二人の記憶と寸分違いない大きな噴水が水を絶え間なく空へと吹き上げ、その真正面には、荘厳なたたずまいの立派な城がその姿を見せていた。

そして、その城の手前には、見上げるほど大きく立派な門があり、その両脇に、青い鎧で身を固めた騎士が目を光らせて立っていた。

その様子を目に映した女性は、少女のように微笑んだ。

昔、自分はあの青い鎧に身を包んだ男性に恋をし、何かにつけて理由をつくり、よく城壁の外へと連れ出したものだった。

その男性は、もう20年以上も前にあの鎧を脱ぎ、自分だけを守る、騎士となったのだ。

「変わって、いませんね」

「ああ、変わっていない」

男の言葉には、ただ変わっていないことを懐かしんでいるだけでなく、どこか、とても重い、彼自身がこの地を離れたあと、ずっと心のどこかで抱えていた大きな何かを降ろし、安堵したような響きを持っていた。

その響きに気づいた女性は、すこしだけ驚いたように目を開いたものの、特に何も言うことなく、ただ、まぶしそうに王城を見上げる男性を、見守っていた。

男性もまた、その青い鎧を身にまとう若い聖騎士を見て、自分がその鎧に身をつつんでいた頃のことを思い浮かべていた。

その鎧を脱いで、既に自分の生きてきた半分ほどの月日が過ぎているというのに、未だその重み、硬質な金属の感触をまざまざと思い出すことができた。

その鎧を脱ぎ、剣の誓いを立てた主君ではなく、傍らに立つ愛する女性を守ることに全身全霊をかけることを誓った日のことを、ただの一度も後悔したことはなかった。

しかし、今でも号令さえあれば、主君のために剣を振るう事をいといはしない気持ちが、自分の中に存在することにも気づいていた。

どちらかを選ばなければ、迷い故に、おそらく自分はどちらをも失っていただろう。

自分にとって、より大切なものは何かを考えた結果、選んだ大切な人は、今、自分の傍らで幸せそうに笑っている。

彼女を選ばなければ、今現在、自分これほどには心穏やかにはいられなかっただろうと考えながら、男が傍らの妻に視線を移すと、二人の視線が交差した。

見つめられている事に気づいていなかった男は、少しだけ照れたように笑い、つられた妻もにこやかに笑みを浮かべた。

そしてまた、視線を城へと戻し、二人は言葉を交わす事なく、長い間その場に立っていた。

夕方近くなり、一日の仕事を終えた職人や商人たち、学校帰りの学生たちで、どの通りも人通りが多くなってきたのに気づき、ようやく二人はその場から動きはじめた。

それでもどこか、その場を立ち去る足が重いことに、二人は苦笑した。

しばらくこの地に逗留する予定で来ているのに、何を名残惜しむ必要があるのだろうかと――。

明日も、明後日も、この光景は変わることなくそこにあるのだということを、自分達に言い聞かせながら、宿場街へとその足を運んでいった。



二人は、職人通りのからほど近い宿場街の中を歩き、そうして、一件の酒場を目に留めた。

昔、女性がしばしば通い、依頼をこなし、その存在と錬金術をザールブルグ中に知らしめるきっかけを作った、あの『金の麦亭』とよく似た雰囲気の店だった。

迷うことなく、その扉を開き、中へと進む。

カウンターには壮年のよく似た雰囲気の男性が二人並び、手前にいる眼鏡をかけていない寡黙そうな男が、あまり表情の変わらないその顔を向けて「いらっしゃい」と声をかけた。

店の中は、まだ早い時間であるからか、客は数人しかおらず、席はかなり空いていたので、隣に人がいない場所を選んでテーブルについた。

すかさず、給仕が水を運び、料理の注文をとりに来た。

適当に、腹ごなしができる量の料理を頼み、この店お奨めの酒を一瓶注文した。

程なくして、二人が見たことのないボトルのワインが運ばれてきた。

「これは?」

女性は運んできた給仕に尋ねてみた。

答えようと口を開いた給仕の後ろから、カウンターの向こうで眼鏡をかけた男性が答えをくれた。

「ここで依頼をこなしてる、アカデミー生が調合したオリジナルワインだ。銘はないが、味はいける。まあ、騙されたと思って飲んでみな」

かなり乱暴だが、それでもこのワインには自信があるのだろう、店主と思われる男性のその言い草に、女性は苦笑した。

「幸福のワインというんです」と給仕がこそっとささやいて、下がっていった。

ワイングラスに注いだ赤い色の美しい液体は、とても芳醇で、濃厚な香りがした。

男性のほうは、その香り惹かれ、これは期待できそうだ、と微笑んだ。

女性は、アカデミー生がこれをつくったというだけで、その出来栄えにかなり興味を持っていたので、この香りには驚きとともに嬉しくなった。

チンっという軽いグラスをあわせた音の後、二人はそれぞれにワインを口に含んだ。

「これは――」

「美味しい!」

それ程アルコールは強くないようだが、その味はとてもまろやかで、口当たりがよく、職人でもなく、まだ、大人としても、ましてや錬金術師としても、一人前になっていなアカデミー生が調合したとはとうてい思えない、とても上品な味がした。

「どうだ、いけるだろ?」

カウンターの向こうで、店主がしてやったり、という表情で、二人を見ていた。

「ええ、本当。とっても美味しいです」

もともと、二人ともそれ程は酒を嗜まない。

普段はどちらかといえばお茶を好んで飲み、たまに、気が向いたり、何かのお祝いの時に、美味しいお酒を一瓶か二瓶、二人で飲むくらいだった。

けれど、女性もまた、錬金術で様々な酒を調合することがあり、男性は仕事がら同僚や上司と、酒を酌み交わす事がしばしばあったため、味がわからないということはない。

逆に言えば、大量に飲まない代わりに、味にうるさいのだ。

その二人に認めさせたそのワインは、料理が運ばれてくるまでの間、大いに二人を楽しませた。

運ばれてきた料理もあらかた片付けられた頃、酒場は次々に訪れる人たちであふれ返り、その賑わいを見せていた。

その賑わいは、二人が最初見込んだ通り、眉をひそめるようなものではなく、陽気に楽しめる、品の良いものだった。

ゆっくりと、懐かしい空気と、美味しい料理、酒を味わっている内に、かなり夜がふけている事に気が付き、二人は立ち上がった。

「店主、勘定をお願いする」

店が込み合って来て、忙しそうな給仕に声が届かず、苦笑しつつカウンターの店主のもとへと足を運ぶ。

「ああ、すまんな」

店主―ディオは、ざっと二人が立った席を見て、勘定をはじき出す。

言われた金額を払いながら、男は、ディオに尋ねた。

「この酒場は、宿もやっているのか?」

「ああ、やってるよ。利用するかい?」

今なら、まだ部屋は空いてるというディオの言葉に、女性が夫にうなづきつつ、「一部屋、お願いします」と言った。

ディオは了解したとばかりに、宿帳を引っ張りだし、記帳を促した。

男は、サラサラと流暢に、外見に相応しい整ったきれいな字で、妻と二人分の名前を書いた。





――ウルリッヒ・モルゲン―

――リリー・モルゲン――





――と。






【END】



やってしまいました…。すいません。
これは、アトリエシリーズって言うより、
オリジナルに近い(?)かも…。



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