おいていかれた。
おいていかれた。
いつも一緒だったのに。
いつまでも、一緒にいられると思っていたのに。
取り残された心
「すげーよな! とうとう、あいつ、騎士隊長のエンデルクに勝っちまったんだろ!?」
「なんだよ、お前。見てなかったのか? まじで、かっこよかったんだぞ!! 最初はさ、エンデルクの方が優勢だったんだけど、何か、突然、爆発したみたいに、反撃して、あっという間にエンデルクの剣を弾き飛ばしちまったんだ!!」
「俺も見てたぜ! ダグラスだろ? ダグラス・マクレイン。たしか、今まだ22だっけ? これからまだまだ強くなる可能性があるんじゃねえ?」
「あったりまえだろ〜!! なんてったって、あの火龍を倒したエンデルクを打ち負かしちまったんだからな!」
新年が明けたばかりのザールブルグは、今、年末に開催された武闘大会の話で持ちきりだった。
それもそのはず、10年以上もの長きの間、誰にもシグザール王国最強の座を譲らなかった聖騎士隊長エンデルク・ヤードが、20歳を超えたばかりのいわゆる若造に、その座を奪われたのだ。
その若者の名は、ダグラス・マクレイン。
17の若さで、このシグザール王国No.2の座を得、エンデルクを倒すのは、この男しかいないだろうと言われてはいた。
しかし、それもあと5年は掛かるだろうとも……。
だからこそ、人々の関心は高かった。
ザールブルグ中の、どこを向いていもその話題で持ちきりで、老いも若きも、男も女も関係なく、皆一様に、明るい顔をしていた。
いかに、その若い騎士が人気者であるかがわかる光景だった。
現聖騎士隊長エンデルクを神聖視し、英雄とあがめるものは多い。
だが、若い英雄の誕生を喜ばないほど、このシグザール王国の国民の心は狭くない。
何より、エンデルク自身が、大会の後、ダグラスの勝利を祝い、観客の前で笑顔さえ見せたのだ。
まあ、来年はこうはいかせないとのコメントつきではあったが――。
そんな、お祭り騒ぎの中、一人の少女がうつむき加減で小走りに、職人通りを駆け抜けていた。
彼女の目に、通りをにぎわす店や、人々の姿は映ってはいなかった。
そのまま、職人通りの角にある赤い屋根の工房に飛び込むと、木造の扉を勢いよく閉じ、扉に背を預けたまま、ずるずると床に座り込んでしまった。
彼女の名前はエルフィール・トラウム。
ザールブルグ高等教育機関であるアカデミーの4年に在籍する、錬金術師見習いであった。
エルフィール――エリーは、全身の力が抜けてしまったかのように、その場から立ち上がることができなかった。
ザールブルグ中が、ダグラスを認め、褒め称えているのを聞いて、最初は自分のことのように、喜んでいた。
なによりあの大会の最中、エリー自信が、誰よりも彼を応援し、その勝利を信じて、声援を送っていたのだから――。
なのに、今――自分は――。
「ど……して……」
自らの頬を伝うものに気が付いた。
慌てて、エリーは袖口で顔を拭く。
泣くようなことなど、何もないはずだ。
それなのに、涙が次から次へとあふれて止まらない。
「どうして……」
エリーは、いつまでも止まらない涙と、既に、水をかぶったかのように濡れてしまった袖口で顔を拭くのをあきらめ、両手で顔を被って、嗚咽をこらえながら、泣きつづけた。
扉の向こうから、日常のありふれた、人々の生活の音が聞こえてくる。
ただ、工房だけが、違う空間に取り残されてしまったかのように、エリーのこらえきれないかすかな嗚咽だけを響かせ、静まり返っていた。
今日、エリーは、いつものように、飛翔亭へ依頼の品を届けに出かけた。
そして、いつもの通りに品を渡し、ディオの検分が終わるのを、少し落ち着かない気持ちで待っていた。
ディオは、「いい品だな」と一言誉め、予定の価格より大目にお金をくれた。
そのとき、エリーは誉められたことを素直に喜び、幸せな気持ちでいた。
……今のように沈んだ気持ちになったのは、ディオの次の言葉のせいだった。
お金を受け取った後、すでに習慣化されているように、エリーは、ディオに情報を聞いた。
有料の情報は、特にないらしく、「すまんな」と答えた後、ディオは、少しだけ、声を小さくして、嬉しそうな表情で、エリーにある『噂』を教えてくれた。
それは、王宮からのちょっとした噂ではあったが、それに関係する人物を、ディオもよく知っており、エリーに教えたら、エリーが喜ぶだろうと、本当に、善意から教えてくれたものだった。
「ダグラスが、次の騎士隊長候補に挙げられたらしいぜ。まあ、正式に決定するのは、まだまだ先の話らしいが……。とりあえず、今の副隊長がそれなりの年だろ? だから、来年には、副隊長に任命されるらしい」
――と……。
エリーはその言葉に、何と答えたのか、記憶にはなかった。
とりあえず、ディオとクーゲルに頭を下げて、飛翔亭を後にしたことしか覚えていない。
あとは、もう、一目散に工房に向かって走っていた。
悲しむべきことではない。
むしろ、喜んぶべきことで、いつものように城門に行って、ダグラスにお祝いの言葉をかけるべきことだった。
ダグラスは、長年の夢をかなえ、そして、今まで以上に栄誉ある地位につけるのだ。
彼は、一番大切な、友人、なのだから……。
「いやだ、ダグラス――!」
無意識にこぼれた言葉に、エリーはハッとして、口を押さえた。
(わたし……、今、なんて――)
どろどろとした心の暗黒の世界に、自分で足を踏み入れてしまった気分になった。
こんな、おめでたいことなのに、それを祝えないどころか、ねたんでいる自分がいる。
「いや……、いやあ!!」
エリーは思わず、頭を抱え、ひざに顔を埋め込んだ。
こんな醜い心、知りたくなかった。
(私は、ダグラスを――)
――自分の所まで、引き摺り下ろしたいのだ……。
どのくらい、そのままでいたのだろうか、薄暗かった工房の中は、ひっそりを夜の闇に覆われ、窓の外から入り込む光のおかげで、ものの形がかろうじて見える程になっていた。
(私、ダグラスの隣に、もう、いられない……)
いつも、いつも、すぐ隣にその存在を感じて、誰といるよりも強い安心感を与えてくれた。
一緒にいられるだけで幸せな気分にしてくれた。
彼の笑顔に、何度励まされたかわからない。
調合で産業廃棄物を作ったときも、失敗して先生にしかられても、彼が笑って、側にいてくれるだけで、いつの間にか元気がでた。
ザールブルグに来て、右も左もわからなかったエリーを、ぶっきらぼうで、乱暴な言葉ながらも、最初から親身に面倒をみてくれた。
親しくなって、お互い夢を語り合った。
誰よりも、近くにその存在を感じていた。
彼は、ずっと、エリーの側に、隣にいてくれると思いこんでいた。
けれど――。
(思い込んでいた、だけ、だったのかなあ……)
エリーは、未だに思うように調合ができない。
頑張って、頑張って、やっと最近レベル5のアイテムを、作ることができるようになったところだった。
それも、100%には程遠い。
いつになったら、目標としているあの人に、認めてもらえるくらいの力がつくだろう?
とりあえず、最高の薬と言われるエリキシル剤を調合することができるようになったら、彼女に会いに行っても恥ずかしくないかな、と考えていた。
その、エリキシル剤を調合するには、まだまだエリーのレベルでは無理だった。
……エリーの夢がかなうのは、まだまだ先のことになるだろう。
いや、それ以前に、自分の実力でそこまで到達できるようになるだろうかということに、最近、不安が大きくなってきていた。
そこに、ずっと一緒にいた、ダグラスが、先に夢をかなえてしまったのだ。
確かに、今の状況では、完全にエンデルクを超えたとは言えないかもしれない。
それでも、彼は、確実に近いうちに、エンデルクを超える。
――それが、わかった――。
夢を、いつかかなえるために、お互い努力をしているつもりだった。
なのに、彼は、彼の夢に手を届かせ、隣を歩いていたはずが、いつのまにか、エリーよりずっと先に行ってしまっていた。
なのに、エリーは今の位置から、一歩もダグラスとの距離をつめられない。
きっと、彼は、「待って」と一言言えば、振り向いて、手を差し伸べてくれるだろう。
……やさしいから。
例え、その結果、目標にたどり着くのが遅れたとしても、彼は、気に求めることなく、いつものように笑って、エリーの手を引っ張ってくれるだろう。
足手まといにはなりたくないのに。
彼の足を引っ張りたいと望む心が存在する。
なんて、醜い……。
こんな醜い自分では、ダグラスの側にいることすらできない。
ダグラスも、地位を得て忙しくなるし、向こうから断ってくるかもしれない。
『悪いなエリー、そんな暇がねえ――』
想像した言葉に、胸が苦しくなる。
「いや、いや――」
ダグラスから、断られるなんて耐えられない。
だからといって、このまま一緒にいられるわけがないし、……何より、一緒にいるとき、自分が何を言ってしまうかわからない。
今、エリーの心の中にある気持ちを、不用意に彼に言ってしまった場合、きっと彼は怒るだろう。
今は、友達と思ってくれていたとしても、きっと、嫌いになってしまうだろう。
「冒険者、解雇、だね」
つぶやきとともに、また、大粒の涙がこぼれる。
それが、きっとお互いの――いや、エリー自身のためなのだ。
これ以上、一緒にいたら、自分の心はもっと醜く、汚くなるだろう。
そんなエリーに、ダグラスはきっと、あきれて、軽蔑するだろう。
嫌われたくない。
なのに、ねたむ心がとめられない。
「どうしてえ……」
――置いて行かないで。
――先になんか進んでしまわないで。
――手の、届かない人になんて、なってしまわないで。
ただでさえ、遠い存在になりつつあるダグラスに、こんな心を知られたら、完全に、彼は手の届かないところへ行ってしまうだろう。
通りですれ違っても、声さえかけてくれなくなるかもしれない。
目もあわせてくれないかもしれない。
――あの、笑顔が見れなくなるなんて、きっと、自分には絶えられない。
だから――。
自分から、離れる以外に、他に道は、ないのだ――。
「それでいいよね? ……ごめん。ダグラス」
だれに尋ねているのか、自分でもわからない。
誤ることすら、自分にはおこがましいことかもしれない。
それでも、誤らせて欲しかった。
(ごめんね。ダグラス)
私――、あなたと一緒には、もう、いられない――。
【END】
うーん…。
やっぱり、真田は暗いものが書き易いようです。
おかしいな〜。
このダグラスとエリーは付き合っていないし、
まだ、エリーはダグラスに対する思いを自覚していない
つもりで書いていたのですが…。
なんか、間違っているような…?
ダグラス登場させようかと思って、止めました。
ものすごく中途半端。
すいません〜。
(05.02.12)
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