034.波音



海を見たくなったのは、テッドとのいつかの会話を思い出したから――。

『ねえ、テッド。海って見たことある?』

『ああ――。とても……、暖かくて……きれいだった』

急に問われた事で、ちょっと変な顔をしたけれど、すぐにテッドは、視線を宙に向け、懐かしいものでも思い出しているのか、とても幸せそうな顔でそういった。

『そんなに、きれいだったんだ?』

問い返してみると、今度はティルにちゃんと視線を合わせて、いつもの冗談っぽい軽い笑いではなく、本当に真摯な瞳でこう告げた。

『いつか、一緒に行けるといいな。……お前に、見せてやりたい』

その瞳は、言葉よりももっと印象的だった。

なのに、そのことを忘れていた自分に驚いた。

いろいろなことが、ありすぎたせいかもしれない――。

あのときの、テッドの言葉は実現する事はなかったけれど、テッドが見せてやりたいと思ったものが、どんなものなのか、ティルは知りたくなったのだ。



デュナン統一戦争の終戦後、しばらくはグレッグミンスターに滞在していたが、ティルの噂を聞いて懐かしい仲間たちが続々と現れ、それに便乗するように、『トランの英雄』を一目見ようという者までが、大勢押し寄せてきた。

そのことにうんざりしていたティルは、再びグレミオだけを供に、旅にでたのだ。

まあ、グレミオは、ほとんど無理やりついてきたのだが……。

トランより、南下すること、二年と半年余り。

途中、思わぬ足止めをくらったり、寄り道などもしていたため、予定よりかなり遅れて、ティルとグレミオはトランの南の国、クールークの最南端であり、軍事要塞のあるエルイールにと辿りついた。

予定といっても、急ぐ旅でもなく、明確な目的があるわけでもなかったので、特に計画を立てていたわけではなかったが、幾度か季節は巡り、トランではすでに、季節は冬に差し掛かる頃だった。

それなのに、この大陸の南端は、トランで生まれ育ったティルには信じられないほど暖かかった。

「すごいな、グレミオ。気温が全然違う」

「そうですね。グレミオも、同じ大陸でも、南がこんなに暖かいなんてことは知りませんでした」

ティルの言葉に、隣を歩いているグレミオも感心したように同意する。

「ああ、坊ちゃん。たぶん、あの丘の向こうじゃないですか?」

突然、グレミオが立ち止まり、前方に見える小高い丘を指差した。

海がきれいに見えるところはどこだろうか、と、先日泊まった村の宿屋の主人に尋ねていたのだ。

『それなら、エイリール要塞から2日ほど歩いた東にある、丘の上に行ってみな』

武骨そうだが、どこか温かみのある人好きそうな主人が教えてくれた。

その後、主人はこうも言った。

『まあ、人の好き好きにもよるが――、海は、夏の方がきれいに見える。あの海域は霧や雨が多いから、微妙だがな……。――とりあえず、海を見ることが目的なら、夕日が水面を照らすまで、眺めてみな』

もっときれいな海が見たいなら、いっそオベル王国あたりに行っちゃあどうだ。

――と。

彼自身、かなり海が好きなのだろう。

そっけない口調のわりに、どこの海がどの時間帯に最もきれいに見えるのか、かなり詳しく教えてくれた。

そのことに感謝して、二人は教えてもらった場所へと向かったのだ。

その丘の上にたどり着くより先に、波の音がはっきりと聞こえ、潮の香りが風に乗って感じられるようになっていた。

岩肌に打ち寄せる様や、その都度白くあわ立つ様子は、話に聞くより、力強く、そして、どこか抗いがたい雰囲気をかもし出していた。

ただ、天気はあいにくの曇りで、丘の上に辿り付いた二人には、薄暗いどんよりとした雲と、それを移した、すこしかすんだ青がかった灰色の海が見えた。

「――――」

「ああ……、残念ですね」

黙り込んでしまったティルの隣で、グレミオがため息をついた。

ティルはその海を見つめながら、テッドの言葉を思い出していた――。

(テッドが見せたかったものって、なんだったんだろう……)

もっと、つっこんで聞いておけばよかった。

あんな事になる前に、二人で冒険にでも出ればよかった。

今更ながら、後悔の念が湧き上がる。

時刻は、そろそろ夕方に差し掛かる頃だった。

宿屋の主人に教えてもらった時間帯だ。

だが、この分では、彼が言っていた光景さえ、見ることはかなわないかもしれないと思った。

だが――。

「坊ちゃん! 見てください!!」

グレミオが、興奮した声で叫んだ。

思考に没頭していたティルの意識が、周囲に向けられる。

すると――。

「あ……」

かすかに切れた雲の隙間から、赤みがかった太陽の光がもれてきていた。

その光は、まるで海面にスポットライトでもあてているかのように、一定の範囲を照らし始めた。

その光をうけて、灰色がかっていた海は、その個所だけが赤く染まり、宝石のように輝いた。

そして、不思議な事に、西側から照らしているはずのその光は、そのまま、南へとティルを導くかのように、長く光を伸ばし、そして、ゆっくりと消えていった。

ティルはしばらくの間、言葉もなくその様を見ていた。

まるで、テッドがその光に導かれるように、海面を歩き、南へ行こうと誘っているかのように、ティルの瞳には移っていた。

そんなことは、あるはずがないと解っていながらも、ティルはその誘いに乗るのもわるくはないと思った。

「……グレミオ。今度は、オベルに行ってみようか」

群島諸国連合の最南端の国であり、盟主国。

そこに行けば、テッドが真実、ティルに見せたいと思ったものが、見つかるかもしれないと、何故か、そう思った。

グレミオは、その言葉に少し驚いたような顔をしたが、すぐに頷いた。

「ええ。グレミオは、坊ちゃんの行かれる所なら、そこがどんなところであろうとお供をするつもりです」

当然とばかりにきっぱりと答える、グレミオに、ティルは微笑んだ。

そして、南へと視線を向ける。

絶え間なく聞こえる、波の音も、まるでティルを南の国へと誘っているかのように、感じられた。

南の国――オベルに、自分の求めるものがあるかもしれないし、ないかもしれない。

それでも、自分にとって、何か、大切なものを見つけることができる。

そんな、予感がした――。


【END】


ベストエンドの坊ちゃん。
Uの数年後、テッドとの思い出をたどって、
海を訪れる――。

こんな風に、テッドに導かれるように、4主と出会うのもいいな〜。

大陸の国の情勢とか、広さとか、よくわかりません。
真田の勝手な想像です。
間違ってたらすいません。


(04.12.23)


048.友の言葉に続きます。


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