048.友の言葉
グレミオとともに、生まれて初めての海での長い航海の末に、オベルに辿り付いたティルは、その国の美しさに心を奪われていた。
四方を、青い宝石のように輝く海に囲まれ、緑鮮やかな自然が、港を訪れる人たちを歓待していた。
港を行き交う人たちは、皆生命力にあふれ、笑い、日々生きる事の喜びにあふれているようだった。
「すごいな……」
「ええ、本当に。こんなに豊かな国だとは、知りませんでした」
感心したようにつぶやくティルの言葉に、グレミオはいつものように律儀に答える。
ふたりは、港から続く階段を、人波に乗りながらのぼり、港を見下ろせる高台に上がった。
高台には、人気は少なく、比較的静かな空気が流れていたが、それでも、下のほうから聞こえる人々の活気のある声が、気分を明るくさせる。
「なるほど、ね」
「何がです? 坊ちゃん」
しばらく黙って海を見つめていたティルが、ポツリとつぶやいた。
「いや、あの親父さんの言う通りだったな、と、思って」
「ああ、そうですね」
その言葉に、グレミオの脳裏にも、クールークで、どこの海がきれいなのかを尋ねたティルに、詳しく教えてくれた宿屋の親父さんが思い出された。
そのまま、時間が経つのも忘れて海に見入っているティルに、微笑ましい笑顔を向け、しばらくそのままにしていたが、太陽の位置が次第に西に傾き、赤みを帯びてきた時間になると、さすがにグレミオは苦笑した。
オベルの港についたのは、昼を少し回った時間だった。
よく考えてみれば、お昼もまともに摂っていない。
「坊ちゃん。そろそろ日が暮れます。宿に部屋をとりませんと、野宿するはめになるかもしれませんよ? お腹も空きましたでしょ?」
「ん――……、別に、野宿でもかまわないけど……、気温も高いし、寒くはないだろう?」
お腹も特に空いてないし……と続けたティルに、さすがにグレミオはここ最近、少し抑え気味にしていた過保護の虫が騒ぎだした。
「いいえ、いけません! 食事と休養は身体にとって最も大切なものだと、グレミオはこれまでに何度もお教えしたはず。食糧がないわけでもありませんし、また、ここは、人里はなれた森の中でも、砂漠でも、荒野でもありません。必要に迫られて、以外での野宿は、このグレミオが絶対に許しません。そもそも、野宿と言うのは……」
「わかった、わかったよ、グレミオ」
延々と続くグレミオの口上をさえぎって、ティルは苦笑した。
「だいたい、坊ちゃんは、グレミオに心配するなと申しますが、グレミオとて、いつまでも……」
「わかった。悪かったって。ごめん」
一度は止まったものの、また新たに続くグレミオのお小言に、ティルは素直に謝った。
グレミオはようやく口を閉じた。
その様子を見て、再度苦笑しながら、ティルは続けた。
「ちゃんと、食事もするし、宿屋にも泊まる。……だからもう少し、日が……くれるまで、ここにいさせて欲しいんだ」
刻々と変わる海の色、波の様子に、ティルはすっかり魅せられていた。
テッドがティルに見せたいと思っていたものが、何なのかは、相変わらず解らないままではあったけれど、ティルは、このオベルの海に、既に心を奪われていた。
初めは、ただ、きれいな、晴れた空のような明るい青だと思った。
けれど、次第にその青い色が、見つめているうちに、深みを帯びた蒼い透明な染料でも流したかのような色に変わっていった。
そして、その色から、青碧色とでもいうのか、青とも碧ともつかない美しい透き通った色にと変化していた。
そしてまた、夕日の赤みをその海面に移し、赤紫――ともいえない、不思議ななんとも表現しづらい色へとその姿を変えてきつつあった。
それだけでなく、始終波が海面を移動し、その都度海面は盛り上がり、光を受け、キラキラと輝き、そこへまた、水しぶきが泡のように散ったりして、本当に言葉にならないくらい美しく、見ていて飽きない様子だった。
そして、浜や岩に打ち寄せる波の音も、湖とはまた違った響きを感じ、聞いていてとても心地よかった。
だからこそ、ティルはこの場所を離れがたかったのだ……。
その気持ちが伝わったのか、グレミオはため息をついた。
「わかりました。では、グレミオが今から宿屋の手配をしてきます。その後、食事を何かお持ちしますので、ここにいてください」
「ありがとう」
その言葉にティルは、本当に嬉しそうに微笑むと、そのまま視線を海に戻した。
海は、その間も刻々とその様相を変え、一時も同じ姿をとどめている事はなかった。
その海を恍惚とした表情で見つめる、主の、久しぶりの幸せそうな顔を見て、グレミオも嬉しそうに微笑むと、宿の手配をするため街の方へと消えていった。
それから、いくらも経たない内に、太陽は完全に西に移動し、夕焼け特有の美しい赤い色へと姿を変えていた。
それに伴い、海もまた、赤く染まり、昼間は青い宝石に例えた海が、今度は赤い宝石に例えられるような姿へと変わっていった。
「うわ……」
その美しさに思わず声を上げたティルの耳に、笑い声が聞こえてきた。
「お前さん、オベルは初めてか?」
話し掛けられて振り向くと、そこには、いかにも海の男といった、漁師風の服装をした、日に焼けた浅黒い肌の、たくましい身体つきの長身の男が立っていた。
年齢は、グレミオより少し上の、40前くらいを思わせたが、かもし出す雰囲気から、只者ではないように感じられた。
危険な感じではない。
漁師、と言うには威厳があり、そして、人をひきつけるような魅力を持っている人物だと感じた。
「はい、そうです。……ここに来るまでも、船から散々海を眺めていたのですが、ここから見える景色ほど、美しいと感じたことはありませんでした」
自らに対する害意がないと判断したティルは、率直に思ったことを口にした。
その言葉を聞くと、男は、うんうんと頷き、豪快に笑った。
「そうか、そうか! 嬉しい事を言ってくれる! 俺もここから見える海は最も美しいと思うがな、他所から来た人間にそう言って貰えるのは本当に嬉しいことだからな!!」
そう言いながら、男はティルの隣に並び、そのまま海を見渡した。
「……ここの海はな、誰よりも強く、誰よりも優しい、海の守り人がいるんだ。だからこそ、いつまでもこの美しさを失うことはない――」
聞きなれない言葉に、首をかしげながらも、この国にはそういう言い伝えか、風習でもあるのだろうとティルは思った。
男は、そんなティルに気がついているのかいないのか、特に気にした様子もなく海を指差し、見てみろ、とばかりにティルを促す。
男に促されるまま、ティルが再び海に視線を向けると――。
「……――!!!」
ティルは、驚き、思わず目を見開いた。
先ほどまでは、影も形もなかった、今まで見たこともないくらい巨大な船が、真正面に停泊していたのだ。
これほど、大きな船が近づいてくるのを、自分が見落としていたとは信じられなかった。
驚きのあまり、声もでないティルは、瞬きも忘れたまま、その船を凝視していたが、ふとした違和感を覚えた。
あれだけの大きな船が、港の真正面に停泊しているのに、港からは何の声もあがらない。
港は賑やかと言えば賑やかであるが、特に先ほどまでと変わった様子は見られなかった。
さらに、よくよく眼を凝らして見れば、その巨大船の着水部分の波は、他の場所と同じく、障害物にぶつかっておこる飛沫をあげることもなく、波は緩やかに海面を移動していた。
さらに、視線を少し上げると、船の向こう側に、小船が通るのが見えた。
……透き通っている――幻なのだ。
慌てて、傍らに立つ男を問いただそうと顔を向けると、そこには誰もいなかった。
男が立ち去る気配など、感じなかった。
いくら、驚いていて、そちらに気を取られていたとしても、手を伸ばせば触れられる場所にいた男が、立ち去る気配を、自分が感じられないはずがなかった。
何故か、妙に納得してしまい、視線を海に……幻の巨大船にもどす。
そこには、徐々に透き通ってきた巨大船が、未だ停泊していた。
――そして、その甲板には、先ほどまではなかった、人影が見えた。
(ああ――、やっぱり……)
その人影の一人が、ティルに向かって、ひらひらと手を振るのがわかった。
つい、さっきまで、ティルの隣に立ち、親しげに話し掛けてきた、漁師風の男だった。
その男が、甲板の手すりに腰をかけていた、16,7歳の少年の肩を叩き、ティルのほうを見るように促す。
バンダナを頭に巻いたその少年は、透き通ってい全体的に白っぽく見えたが、なぜか、その瞳が、海の色とも空の色とも似通っていて、どこか違う、印象的な青い瞳をしていることがわかった。
その少年は、ティルの方を向くと、ふんわりと笑い、そのまま消えた。
声をかけた男は、二カッとティルに笑い、そうして、今度は、船のマストの方を向いて手招きした。
そこから、現れたのは――。
「あ……」
呼ばれた事に不快感でも感じているのか、暗い憮然とした表情をしていて、自分が知っている「彼」とは、どこか違うようにも感じたが――……。
自分が、「彼」を、見間違うはずがなかった――。
「テッド――!!」
その声が聞こえたかのように、テッドはティルの方を振り向き、驚いたような表情のまま、固まった。
そのテッドの頭を、男は、くしゃくしゃとかき混ぜ、豪快に笑った。
声が聞こえるわけではなかったけれど、テッドが、男に抗議している様がありありとわかる。
そして、テッドは、ようやく男から解放された頭を乱暴に撫で付け、照れたように、ティルの方を向くと、何かを言った。
そうしているうちに、その巨大船は見る見るその姿を海に溶け込ませるように消えていった。
ティルはその様子を、一瞬も見逃さず、見つめていた。
もっと、テッドを見ていたかった。
あの男には悪いけど、テッドが自分に語りかけに来て欲しかった。
少しの不満はあったけれど、ティルは、何故か満ち足りた気分になっていた。
その巨大船が、完全にその姿を消して、すぐ、グレミオがティルの元に駆けてくるのがその足音でわかった。
その音を聞きながら、ティルは、テッドが先ほどティルに向かって告げた言葉――。
音にはなっていなかった筈なのに、何故か自分の耳に届いた言葉を思い出していた――。
『約束、覚えていてくれて、サンキューな。……親友』
――いつの時代かはわからないが、確かにテッドはこの海を訪れ、そして、ここに心を残していったのだ。
彼の全てを、このソウルイーターが喰らい尽くしたのでは、なかったのだ。
そのことに、喜びを感じ、ティルは、不覚にも涙をこぼした。
【END】
034.波音の続編です。
あはは。4時代の宿星たちは、あの巨大船に強い思い入れを持って、
心をそこに還したのです(希望)。
うーん…4の時の船に乗っている(?)テッドが坊を知っているのは、
矛盾しているかもしれないですが、残した心は、
自分の本体が見聞きしたことを知っていると言う事で…(乱暴…)
ちなみに4主は幻として出てきましたが、死んだわけではありません。
テッドの心と一緒で、一部を海に残しているのです。
リノさん、また登場しました(ひいき?)
亡くなった後も、あの巨大船に乗って、オベルを守護してます。
動かしやすいんです。何故か。
(05.01.20)
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