金澤先生に弾いてくれといわれた曲に、先生への気持ちをこめて演奏した。

『先生が、好きなのだと――。』





あなたへ奏でる曲 (失恋編)





「あれー? どうしたの、香穂。今日は、元気ないじゃない。」

放課後、エントランスの隅のベンチに座っていた私を、天羽さんが目ざとくみつけて声をかけてきた。

「……うん、ちょっと。疲れてるだけ。」

「体調悪いなら、保健室までつきあうよ?」

心配そうに言ってくれる言葉に感謝しつつ、やんわりと断った。

「ありがとう。でも、本当に大丈夫だから。」

「そ?」

ちょっと、納得いかなそうに首を傾ける天羽さんに、苦笑しつつ、ベンチから立ち上がろうとした。

そのとき――。

「あ、かっなやーん!」

私のいる場所からは死角になっている、エントランスの二階ギャラリー部分に金澤先生の姿を見つけたらしく、天羽さんが元気に呼びかけた。

「天羽か……。……おまえはムダに元気だな。」

あきれたような金澤先生の声が耳に届いて、心臓が跳ねた。

そして、明らかに生徒とは違う靴の足音が聞こえてくる。

その靴音が近づいてくるに従って、自分の頬が熱くなっていくのがわかった――。



昨日の放課後、先生に告白をした。

先生は困った顔をして、「冗談を言うな。」「勘弁してくれ。」と言った。

本気には、……してもらえなかった。



先生は、エントランスの階段を降りきったとき、ようやく私に気がついたようで、驚いたような顔をして立ち止まった。

けれど、その顔は一瞬で、次の瞬間にはもう平気な顔で天羽さんに話し掛けていた。

「で、天羽、なんか用か?」

「用なら、いっくらでもあるよ! まずは、金やんの時のコンクールについて、でしょ。このコンクールがどうして、不定期にしか開催されないのかでしょ。それから、何で、金やんは、オペラ歌手やめちゃったのかとか――。」

次から次へと出てくる天羽さんの言葉に、金澤先生は辟易したように両肩をすくめた。

「全部、ノーコメントだ。」

「え――!!!」

「用がそれなら、俺はもう行く。これでも、忙しいんでな〜。」

「金やーん! そりゃないよ〜。」

天羽さんが、食い下がって後をついていく。

「か、金澤先生!」

思わず声をかけた私に、天羽さんは振り向いたが、肝心の金澤先生は、まったく気付かなかったかのように、そのままスタスタとエントランスの出口から、出て行ってしまった。



しばらく、呆然と立ち尽くしていた私のところへ、結局追い払われたらしい天羽さんが戻ってきた。

「ごめんごめん、いきなり消えちゃって。……しっかし、金やん。いくら私を相手にしたくないからって、香穂のことまで、無視することないのにね!」

「……聞こえなかったのかも、しれないし……。」

「んなことないでしょ。隣にいた私にはっきり聞こえてたんだから。」

そう言って憤慨する天羽さんに、私は曖昧な笑顔で答えた。



あきらかに、避けられている。

ギュッといつの間にか握り締めていた手に痛みを感じ、ハッと両手を開いた。

手のひらに爪の跡がくっきりとついていて、痛いはずだと笑った自分の顔が、引きつったような気がした。





あのあと、天羽さんに無理やり保健室に押し込まれた。

どうやら、かなりひどい顔色をしていたらしかった。

保健室で小一時間程休ませてもらって、私は屋上へ向かった。

なんとなく、そこに、金澤先生がいるような気がしたから……。



屋上へと出るドアを開けると、思った通り、金澤先生が手すりにもたれて煙草をふかしていた。

その後姿に、今度は逃げられないように、足音を忍ばせて近づく。

「……金澤先生。」

そっと呼びかけた私に、金澤先生は驚いたように、勢いよく振り返った。

「日、日野……。」

焦ったような表情で一度だけ私の名前を呼んだ後、何事もなかったかのように、いつもどおりのふざけたような軽い表情にもどして、ニヤッと笑った。

「質問か? 面倒なのはごめんだぜ。」

明らかに、ごまかそうとしているのがわかった。

ここで、退きたくはなかった。

……まだ、きちんと答えを、もらってはいないのだから――。

「……もう一度、『夢のあとに』……、聞いてください。」

「日野……。」

祈るような気持ちでそう言った私を、取り繕った表情が崩れて、困り果てて、今にも逃げ出しそうな顔で見る金澤先生に、胸が痛む。

そんな顔、させたいわけじゃない。

「……これで、終わり……、最後に、しますから――。」

顔を見ていられなくて、うつむいて懇願する。

まっすぐに伸ばした自分の髪が、ちょうどいいくらいに、顔を隠してくれた。

「………………。」

しばらくの沈黙の後、目の前で、先生がため息をついたのがわかった。

「わかった。聞いてやる。」

言われた言葉に、涙がでそうになった。

「――ありがとう、ございます。」

深く頭を下げて、ヴァイオリンを構える。

『これで、最後。』

自分で言った言葉に、胸が重くなる。

息を大きく吸って、そうして、ヴァイオリンを弾きはじめる。



『夢のあとに』――。



フォーレ作曲の、フォーレが失恋した後、その恋を偲んで作ったといわれる曲。


失った恋を、幸せな思い出を、夢の中での再現を願う。

幸せな、燃えるような恋。けれどそれは夢の中にしかない。

だから夜に呼びかける。戻ってこい、と。何もかも捨ててもいい恋を失った痛みの歌……。



先生に教えてもらったことだった。

そうして、先生はこの曲を、「未練たらしい歌だ。」と言い切った。

たしかに、そうかもしれない。

自分でも、今の自分は未練たらしいと思う。

でも、先生に、はっきりと振られたわけじゃない。

この曖昧な状況じゃ、あきらめられない。

……はっきりとした答えが、欲しいのだ。

(先生が、好きです。)

自分の気持ちを全て、ヴァイオリンの音色にこめる。



気持ちがあふれてくる。

止まらない。

こんなにも、先生を好きになっていたなんて、今まで自分でも気付かなかった。

振り向いて欲しい。

私に、応えて欲しい。

けれど、それが叶わないのなら……。



私の今、もてる技術で、表現力で、精一杯の演奏をした。

先生は、黙って私の演奏を聞いていてくれた。

弾き終わり、息をついた私は、覚悟を決めて先生の顔を正面からみつめた。

「先生が、好きです。……先生は、私のこと、……どう、思っておられますか?」

まっすぐに見据えた、先生の色素の薄い瞳が揺れる。

口が、ゆっくりと開くのがわかった。

「……すまない、日野。おまえは、可愛い生徒だ。……俺には、そうとしか言えない。」

解っていた言葉。

解っていた答え。

先生の表情が、苦しげで、どこか、悲しそうに見える。

(ああ、私を傷つけたと思ってるんだ。……私が、困らせてるんだ。)

つーっと、冷たいものが頬を伝う感触がした。

「そう、ですか。……わかりました。……おかしなことを言って、申し訳……、あ、りません、で、した……。」

それだけ言うのが精一杯だった。

わっと泣き出してしまいそうな、こみ上げる涙を必死でこらえて、先生の前から逃げ出した。

困らせたかったわけじゃない。

こんなふうに、変に煩わせて、傷つけたかったわけじゃない。

どこかで、うぬぼれていた。

先生は、ごまかしてはいるけど、私のことを、見ていてくれているのだと……。

私のことを、好きでいてくれているのだと――。

けど、今、はっきりと答えを得た。

(バカだ……。)

一気に二階分ほど階段を駆け下りると、空いていた教室に飛び込んで、扉を閉める。

そうしたとたん、両足から力が抜けて、ずるずると床に座り込んでしまった。

「ごめんなさい、先生。」

明日から、普通に接するから。

「ごめんなさい。」

先生も、何もなかったようにいつものとおり、軽く笑い返してください。

「……ごめん、なさい。」

だから、嫌いになったり、しないで下さい。



放課後の教室。

夕日が赤い光りを発し、教室を、オレンジ色に染めた。



その中で香穂子は一人、静かに泣きつづけた――。



【END】



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突発的に書きたくなったものです。初めての失恋物。
こういうものは、どういうふうに捉えて頂けるのか……。

(失恋編)と題していますが、この後、(告白編)…男から香穂子へ、(恋愛編)…両思い、
と続きます。

4444hit 自爆記念



(05.05.18)
(05.05.26)


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