目が、覚めた。
時計を見る。
「……まだ4時半……。」
窓の外は、まだ暗い。
深く息を吐いて、両手で顔を覆う。
眠れなかった。
……拒絶された。
側にいて、笑いかけてもらえるだけでよかったのに。
どうして、欲張ってなんかしまったのだろうか。
昨晩、いつまでたっても眠気が訪れないまま、無理やりベッドに入ることでやっと眠ったのは、2時を回っていたと思う。
眠らないと、今日つらいのは、自分なのに。
どうしても、安らかな眠りを享受することは……できなかった。
あなたへ奏でる曲(告白編―土浦 1)
「おはよー。」
「あ、おっはよ! ねえねえ、今日のさ――。」
いつもの日常。
校門をくぐると、賑やかに生徒たちが友人達と話をしている。
香穂子はひとり、重たい気持ちを抱えたまま、うつむき加減で歩いていた。
頭が思い。
くらくらする。
完全に寝不足が原因だとわかっていた。
目の前まで、暗いような、そんな気がする。
一瞬、体がグラリと揺れるような錯覚に陥り、香穂子は足を止めた。
そのとき、後ろから軽い足取りで歩いてきた相手が、ポンと香穂子の肩を叩いた。
「よお、日野。おはよう。何やってるんだ?」
土浦君だった。
「あ、おはよう、土浦くん――。」
顔を上げて、挨拶をし、ニコリと笑おうとして……、サーッと冷たい感触が頭をよぎり、目の前が真っ白になった。
――そこで、意識は途切れた。
あのあと、目が覚めたのは保健室だった。
寝不足と朝食を抜いたせいでの貧血だと保険医に怒られた後、ここまで運んでくれた土浦に礼を言っとくように言われた。
それに依存はなかったので頷いた香穂子に、保険医は何か勘違いをしたらしく、土浦と香穂子が付き合っているようなことを言っていた。
……否定した香穂子の言葉はちゃんと保険医には伝わらなかったようだった。
「頼りになる彼ね。いいわね。若いって。お大事に。」
言われた言葉に少し複雑な気持ちを抱えたまま、香穂子は保健室を退室した。
保健室で少し寝られたせいか、比較的ましな気分でその日の授業を終え、香穂子は帰ることにしたが、その前にやるべきことを思い出して、エントランスの方へと歩いていった。
「……いた。」
エントランスのギャラリーの上から見下ろした香穂子の目に、目的の人物はあっさりと見つかった。
少しばかり気恥ずかしい気はしたが、恩知らずと言われたくなかったので、思い切って近寄っていった。
「土浦くん!」
「? ……ああ、日野。」
背後から声をかけられて、土浦はゆっくりと振り返った。
「あのね。……今朝は、ありがとう。」
「……いや。」
香穂子の言葉に、今朝のことを思い出したのか、土浦は心配そうに香穂子の顔を覗き込んできた。
「そういや、大丈夫だったのか?」
「う……、うん。……ちょっと寝不足に、貧血が……。……も、もう、だ……大丈夫……。」
土浦の端正な顔が、香穂子の顔のすぐ前にあって、そのあまりの近さに香穂子は思わず赤面した。
「そうか、そりゃ、よかった。ちゃんと寝ろよ!」
そう言って、ホッとしたように明るく笑いながら土浦は、香穂子の頭をクシャクシャとかき混ぜた。
「よう! 土浦!! 見せ付けてくれんじゃねえの!!」
「あーあー! 俺も彼女ほしー!!」
どうやら、土浦の友人がその場には大勢いたらしい。
その様子を見て、口々にはやし立て始めた。
「うっせー! ちげーよ!!」
おざなりに、事実として否定する土浦の言葉など聞かず、友人たちはからかうように、ニヤニヤ笑って騒いでいた。
「朝っぱらから、見せ付けてくれたもんな〜。」
「そうそう。お姫様だっこだぜ。クー!! おれもやってみたい!!」
やけに乗りのいい友人たちに、土浦は困ったように頭をかいた。
「悪いな。あいつら、悪乗りしてる。」
「あ、ううん! 全然、平気!!」
ちょっと恥ずかしかったが、別に嫌だとは思わなかったので、そう言った香穂子の目に、金澤の姿が映った。
とたん、ドキンと心臓が跳ねた。
エントランスの真中で、騒いでいる普通科の男子生徒たちに、金澤はいつものごとくだるそうな目を向けた。
「おーい、お前ら、騒がしいぞ! ほら、さっさと散れ!!」
「へーい。」
「しゃーねーな。」
「ほんじゃ、さいなら―。せんせー。」
男子生徒たちは、口々に何かを言いながら散っていった。
「かなやん、助かったぜ。」
その場に残っていた土浦が、軽く息を吐いて金澤に話し掛けた。
香穂子は……動けなかった。
チラッとだけ、金澤の視線が動き、香穂子を見たのだ。
その瞳が、なぜか困ったような、それでいて、怒っているよな冷たい光りを浮かべていて、香穂子の体を凍りつかせた。
浮かんだのは、純粋な疑問。
(……どうして?)
「あー、おまえさんらもな、いちゃつくならよそでやれ。学校は、そんなことする場所じゃねえぞ〜。」
「はあ!?」
言いながら、金澤は、土浦のあきれたような、驚きの声を無視してくるりと方向を変えると、エントランスの出口の方へ歩きながら、肩越しにひらひらと手を振った。
「用がないなら、さっさと帰れよ〜。」
「おい! かなやん!!」
叫んだ土浦君の声は、完全に金澤には無視された。
「……なんだってんだ、一体。」
困ったように、頭を掻きながら香穂子の方を振り向いた土浦は、香穂子が急に金澤を追いかけて走り出したのに気づき、驚いた。
「おい! 日野!?」
かけられた声に反応することなく、香穂子は金澤が消えていった方向へと走り去った。
エントランスを出た香穂子は、すぐにキョロキョロと辺りを見回した。
金澤はすでにかなり進んでしまっていたらしく、森の広場の方へ向かう白衣の姿がちらっと見えて、すぐに木陰に隠れて見えなくなった。
グッと唇を噛み締めて、小走りに金澤先生の後を追いかけた。
森の広場は、人1人捜すにはとても広く、ようやく広場の最も奥の木陰で、金澤先生を見つけたのは、30分以上も経ったあとだった。
「……金澤、先生。」
木陰で、ネコをいとしむような目で見つめ、餌をやっている金澤先生が、私に気づいて逃げ出したりしなように、そっと近づいてから、声をかけた。
案の定、金澤先生は驚いたように立ち上がり、バッと勢いよく振り返った。
「……日野……。」
そして、私を視認すると、スッと感情の冷めた目で、見下ろしてきた。
頭に浮かぶ声は、「どうして?」の一言だった。
昨日の時点で、とても困らせてしまったのは自覚していた。
けれど……、何か、自分でも気づかないうちに、怒らせるようなことをしてしまったのだろうか?
……これ以上、迷惑はかけないと、自分で宣言した。
……まだ、気持ちの整理はつけきれず、振り向いて欲しいという気持ちも明らかに自分の中にある。
けれど、もう、先生にそれを直接望むようなことを言うつもりはなかった。
……先生を、二重、三重に悩ませるだけだということが、よく、わかったから。
しかし――。
(……嫌われたくない。)
自分が金澤先生を求めるように、金澤先生が自分を求めてくれることは、あきらめるつもりだった。
でも、それでも、生徒として、好かれていたいのだ。
こんな、冷たい目で、見られるのは、……耐えられない。
「……どうして……。」
怒っているのか、と聞く勇気がない。
声に出しかけた言葉は、自分の耳に届くのがやっとのくらいの大きさでしかなかった。
『おまえが嫌いだから。』
と返されたら、きっと、自分は立ち直れなくなってしまうから。
「……用事がないなら、行くぞ。」
目の前に立ち尽くし、何も言おうとしない香穂子に業を煮やしたのか、金澤が香穂子の隣をすりぬけて、去って行こうとした。
「待ってください!」
今、勇気が出せなかったら、次は、もっと出し難くなる。
先生は、香穂子が目の前に立つことさえ、厭うようになるかもしれない。
「……日野……。」
すがりつくように腕をつかみ、うつむいたまま金澤の顔を見ようともせず、ただ小刻みに体を震わせる香穂子に、金澤はあきれたようにため息をついた。
そのため息に、香穂子は更に大きく、ビクリと体を震わせた。
「……大人を……、教師をからかうのはいいかげんにしろ。」
「…………え……?」
言われた言葉が理解できず、一瞬思考が停止し、ポカンと顔を上げて金澤先生の顔を見てしまった。
その香穂子に、金澤は、小さな子供でも叱るような顔で一度睨むと、もう一度ため息をついて苦笑した。
「おまえさん、土浦と付き合ってんだって? それなのに、俺みたいなジジイに告白してくるなんて、なあ……。なんかのゲームか? それとも、土浦と喧嘩でもしたあてつけだったのか?」
「……え?」
更に続けられた言葉が、余計にわからなくて、香穂子は混乱した。
香穂子のその混乱した様子には気づくことなく、金澤はさらに言葉を続けた。
「土浦、いいヤツじゃないか。あんま、いじめてやんなよ。それからな、俺だからこそ、冗談で流してやれるけど、他の真面目な先生にそんなことやったら、怒られるだけじゃすまんから、絶対やるなよ。そんじゃあな〜。」
言いながら、自分の腕にしがみついたままだった香穂子の手をそっとはずすと、金澤は森の広場の出口に向かってゆっくり歩き始めた。
香穂子は、必死に、混乱する頭の中で言われた言葉を理解しようと考えた。
そして、金澤が、香穂子が土浦と付き合っていることを信じていて、香穂子の告白が冗談だったと思っているということに、やっと思考が辿り付いた。
「……ま……って……。」
口を開いたとたん、どっとあふれそうになった涙をこらえる、香穂子の声を金澤に届かなくした。
嗚咽をこらえながらも、なんとか呼び止めようとするも、胸が痛いくらいに苦しくて、息ができなく、……声が出なかった。
……香穂子の本気の告白を……信じてさえ、くれなかった。
そんなにも、香穂子は、金澤にとって、軽い存在だったのだと、思い知らされた。
呆然と、突っ立ったまま、金澤を見送ることしかできなかった香穂子は、その場に座り込むことさえ、できないくらい、体と意識が切り離されていた……。
あまりのショックで、香穂子の世界は、しばらく外界から全く切り離され、ただ、心の寒さから来る震えに、自ら体を抱く事で必死で耐える事しか、できなかった……。
【To be continued】
(05.08.28)
大変お待たせいたしました。
もう、言い訳のしょうもございません…。
土浦の告白編でございます。
…あまりにも長くなりましたので、2話に分割しました。
次も程なくアップさせて頂きます。
4444hit 自爆記念におきまして、香穂子のお相手を募集させて頂き、
ご意見を賜りましたこと、本当に感謝しております。
まだまだ、つたない文章ではございますが、少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
これからもよろしくお願いいたします。
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