どのくらいそのまま動かずにいたのだろう。

ふと、香穂子が立っていた場所の脇の森の中から、人が現れた。

……土浦、だった。






あなたへ奏でる曲(告白編―土浦 2)






「……日野……。」

その土浦は、何故かとても苦しそうな顔をして、そして、同時に悲しそうな顔をしていた。

「……つ、ちうら、くん……?」

まだ、声を出すと泣き出してしまいそうだった香穂子は、それでも懸命にこらえながら、無理やり笑顔を作った。

「どうか、……したの?」

「……悪い。」

問いかけた香穂子に、土浦は、罰が悪そうに首をそむけながら一言告げた謝罪した。

その言葉に、香穂子は土浦が、金澤先生との会話を聞いていたのだと、瞬時に理解した。

「……………。」

お互い、何を言えばいいのかわからず、沈黙が降りる。

心臓の音だけがやけにうるさくて、全身が熱かった。

「……日野、……大丈夫……か?」

土浦くんの優しい声が、今は、逆に苦しかった。

彼が悪いわけじゃないのは、解っている。

それでも、今は、側にいられるのがつらかった。

「大丈夫……。ごめん。……変なとこ、見せて……。」

とにかくこの場から逃げ出したくて、土浦に一言断って立ち去ろうと思い、口を開いた瞬間、こらえていた涙がツーッと頬をつたった。

土浦が息を飲むのがわかった。

それだけ言うのが、精一杯だった。

これ以上、土浦の前にいるのが耐えられなくて、走り去ろうとした――が。

「何!? ――離して!!」

香穂子の腕を、土浦が強くつかんで、引き止めたのだ。

「…………。」

土浦の力強い腕が払いのけられなくて、それがまた悔しくて、悲しくて――。

涙が後から後から流れるのをとめることができなかった。

「……………。」

土浦の表情は、目の前で泣く香穂子に対する対処に困っているようだった。

言うべき言葉が見つからないようで、ただ、土浦は、香穂子を見ているだけだった。

(……だったら、離してくれたらいいのに!!)

泣き顔なんて、男の子に見せたいものじゃない。

少しでも早く、土浦の前から隠れたいのに……。

土浦の力は強くて、香穂子がどんなに暴れたところで、腕から逃れることができなくて、香穂子は次第に怒りが湧き上がるのを感じた。

「……悪い。」

どれくらいの沈黙の後だったのか、ポツリとつぶやいた土浦の言葉に、香穂子は、先程から高ぶっていた感情が爆発した。

「……土浦くんのせいなんだから!! 先生に誤解されたの!! ……あっちへ行ってよ!! 離して!! ……大っ嫌い!!」

違う。

そうじゃない!

思わず口から出た言葉は、土浦に対して、検討違いの暴言だった。

土浦くんは、優しいから、自分のことを、心配してくれただけなのだ。

……今だって、きっとそう。

いきなり自分の前から消えた香穂子の様子がおかしいことに気づいて、気になって捜しにきてくれたのだろう。

そして、泣いている香穂子が放っておけず、それでいて、どうしたらいいかわからなくて、困っているだけなのだ。

彼が悪いわけじゃないなんてこと、そんなこと、解りすぎるくらい、解っている。

「……………!!」

八つ当たりだ。

さらに、土浦に対して、ひどい言葉を投げつけようとする自分の口を抑え、地面にうずくまる。

同時にまた、こぼれた涙があふれて止まらない。

……嫌気がする。

――自分の醜い心に……。

「……っく。」

謝らなければと、思う。

何も悪くない土浦くんに、とても、不快な気持ちをさせた。

でも、声にならなかった。

「……日野。」

次に聞こえた土浦の声に、香穂子はビクリと肩を震わせた。

怒らせたのかもしれない。

いつも、無条件に優しくしてくれた土浦くんに、こんなひどい言葉投げつけて、傷、つけたかもしれない。

……今の言葉で、嫌われたかもしれない。

それでも……。

謝罪の言葉は、声にならなかった……。

土浦が、グイッと香穂子の腕をつかんだまま、一歩距離を縮めた。

土浦の性格から、女子は殴ったりしないだろう。

でも、怒鳴られるかもしれないと、香穂子は身構えた、が――。

「え……?」

気がつけば、土浦の腕の中に閉じ込められていた。

「……つ、ちうら……くん……?」

(怒ったんじゃ、ないの……?)

こんな、矛先の違う怒りを無遠慮にぶつけられて、今までの親切を、全て否定した女を、ましてや、自分だって、根拠のない噂を立てられて迷惑しているだろうに、それでもまだ、慰めようとしてくれているのだろうか……?

「……っつ! ……離して!!」

一瞬、香穂子は混乱した頭のまま、呆然と土浦の顔を眺めたが、怖いまでに真剣な表情の土浦に、背筋が冷たくなり、慌ててその腕の中から抜け出そうともがいた。

やはり、怒っている。

「離してったら!!」

一言、謝れば解決することなのかもしれなかったけれど、完全に混乱していた香穂子の頭には、もう土浦から逃げ出すことしか考えることができなかった。

「………………っち。」

土浦が、暴れる香穂子にいらついたように舌打ちしたのが聞こえた。

香穂子はビクリと体を震わせて硬直した。

それが、恐くて、うつむいて目をギュッと閉じた。

「……俺が、嫌い……か。」

次に聞こえた言葉は、香穂子には、自嘲のように聞こえた。

その声で、土浦は怒っているのではなく、傷ついているのだということがわかった。

否定、しなければならないと思った。

さっきは、思わずそう言ってしまったけど、土浦は本当に頼りになる友人だ。

だから、嫌いなんて、そんなことないのだと――。

だけど、今は、土浦の言葉を否定して、謝ることができなかった。

口を開いてしまえば、また、自分が何を言い出すかわからなかったから――。



何も答えず、自分の腕の中でうつむいたまま、怯えている香穂子を見下ろしながら、土浦はため息をついた。

金澤の言葉に打ちのめされて、泣きそうな顔で笑っていた日野を、どうしてか、放っておけなかった。

思わず、いつものように手を差し伸べて、おせっかいを焼こうとして……。

拒絶された。

「嫌い」と、癇癪のように言われたその言葉が、信じられないくらいにショックだった。

どうして、ここまでショックを受けたのか、自問すると、簡単に答えが出てきた。

普通科からコンクールに出ると聞いて、興味を持っただけの相手だった。

その相手が、音楽に対して全くの素人だと知り、放って置けなくてかまううちに、自分まで巻き込まれた。

何故か、あれほど避けていた音楽の道に引き戻されたことに対して、こいつと一緒なら、悪くないか、とあっさり受け入れた。

共に競う内に、こいつの音楽自体に興味が出てきて、ライバルくらいに思ってもいいかと感じた。

……しばらくして、誰から言い始めたのか、こいつと俺が付き合っているという噂が、ちらほらと聞こえてきた。

別に、そんな噂を立てられて、聞かれたくない相手がいるわけじゃないし、誰から始まったか解らない噂に腹を立てるのもバカらしかった放っておいたのだが、今朝、こいつが倒れたときに保健室へ運んでから、思いっきりおおっぴらにからかわれ始めた。

なんとなく、否定してはいたが、……どうも、悪い気はしてなかったらしい……。

……ここで、気づけよな。

日野に気づかれないように、苦笑する。

(嫌いだって言われた瞬間に、自覚するなんて、な……。)

どうしようもないくらい、バカだと思った。

俺の腕の中で、俺に怯えて震えている日野に、たまらなく苦い思いを噛み締める。

「日……。」

「離してよ!!」

抱きしめたまま、何も言わず、離そうともしない俺に、震えていてもしかたないと思ったのか、日野は、無理やり吐き出すようにそう叫ぶと、右手をブンと振り上げた。

バシッ!

「……………っ痛。」

「……!!」

自分で殴っておきながら、ハッと罰が悪そうな顔をして、唇を噛み締めた。

まさか、綺麗に命中するとは思っていなくて、さらに土浦を怒らせてしまっただろうかと、体が震え、今度は恐怖に駆り立てられて、無我夢中に土浦の腕の中で暴れだした。

どうしても、素直に謝れなかった。

……土浦が悪いわけじゃないのは、解っているのに。

それでも、どこかで、誰かの所為にしたかった。

そんな香穂子の胸中など、土浦にはわからないだろうし、わかっても迷惑なだけだろう。

そんなことも、頭のどこかで冷静に考えている自分に嫌気がさした。

その時――。

グイッ……。

「……え?」

いきなり土浦の腕にこめられる力が強くなり、さらに香穂子は土浦の腕に囚われた形になった。

「つち……?」

一瞬、何をされているのか、全くわからず、問いかけようとした香穂子の耳に届いた言葉が、信じられなかった。

「――だ。」

「……え?」

聞き違いかと思った。

だから、ポカンと口を開けて、土浦の顔を思わず見上げてしまった。

土浦は、聞こえなかったと思ったらしく、苦笑していた。

――どこか、悲しそうな顔で。

「……おまえには、迷惑かもしれないし、不快なだけかもしれない。でも、な……。」

土浦の真剣な顔から、目が放せなかった。

心臓がドクドク、大きな音を立て、全身が、先程とは別の意味で震える。

周囲の音など、自分の心臓の音で聞こえないような気がするのに、やけに、木々のざわめきだけが耳に響く。

香穂子の視界に映る、土浦の唇の動きが、スローモーションのように見えた。

「おまえが、俺を嫌いでも、……俺は、おまえが――。」




――好きだ。




「嫌い」と言われて、どこかが麻痺したのかもしれない。

こんなときに、こんな精神状態の日野に、告白するのは、弱みに付け込むことになって、まずかったかもしれない。

それでも、一度言葉にしてしまったものは、戻るはずもなく。

失恋して、泣く日野に、自覚したばかりの気持ちを告げてしまった。

これ以上、金澤のことで泣く、日野を、見ていたくなかった……。

結局、それ以上、泣きはらした顔に驚きと……どこか怯えた表情を貼り付けた日野の前にいることが耐えられなくなり、俺は制服の上着を日野の頭からかけるとその場から逃げ出した。



……俺らしくないと思った。



だが、それしかできなかった――。




【END】




投票で得票数の多かった月森、土浦の両方で続きを書かせていただくと宣言してから早3ヶ月。
ようやく、土浦―告白編が終了いたしました。
今までお待ちくださった方に、熱くお礼を申し上げるとともに、心よりお詫びしたいと思います。
次も遅くなるとは思いますが、必ず書きますので、お待ちいただけると嬉しいです。
どうかよろしくお願いいたします。


(05.08.31)



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