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目の前で、ステーキを焼いてくれる 出発点 食事の時、スリッパでは、NG(靴に履き替え、やっと食事) 結婚・会議に利用されるようだ。 富山庄川小矢部自転車道(石加越能鉄道跡) 石動駅〜富山庄川小矢部自転車道始点〜綾子〜矢水町−農免大橋−クロスランドおやべ
〜農免大橋〜藪波公民館〜藪波サービスエリア−新津沢大橋−津沢サービスエリア 〜柴田屋駐輪場〜福野町園芸植物園〜福野駅〜井波町・北川−道の駅庄川〜庄川水記念公園 チューリップ一面咲いている 荘川水公園 瑞泉寺 足湯が最近出来た
お昼に、F氏とF氏のお連れさん2名(地元の方)と、庄川水記念公園で、昼食した。 その後、閑乗寺公園に上り、砺波平野を、一望した。 既に、田植えが、終わった田、代かき中の田いろいろ見られ、所々、太陽光線で光り、綺麗だ。 また、この辺は、山からの風が強く、家の周りには「かいにょう」と呼ばれる杉の木立で囲まれてる。 次に、井波彫刻総合会館でコーヒータイムとした。 井波近辺は、彫刻が、盛んで特に、欄間は、有名だ。 お話を聞くと、井波は、瑞泉寺の門前町として栄えてきたが、瑞泉寺が度重なる火事で、消失。 その都度、再建されてきた。 安永年間(1763〜1774年)の瑞泉寺再興の時、本願寺より、御用彫刻師・前川三四郎が派遣され、、このとき、 地元大工・番匠屋九代七左衛門ら四人が参加し、彫刻の技法を本格的に習ったのが井波彫刻の始まりとされている。 次に、その瑞泉寺に向かった。 瑞泉寺は、明徳元年(1390年)、後小松天皇の命により、本願寺五代綽如上人(しゃくにょしょうにん)が創設した。 すぐ、隣に、井波八幡宮がある。ここは、綿貫民輔の自宅で、地元に帰るときは、ここに滞在されるようだ。 また、トナミ運輸(旧砺波運輸)は、ここが砺波市が発祥地とは、知らなかった。 今日の泊まりは、アラピア(コンビニでチケットを購入すると、¥500安くなる) |
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ピントが、合わない。カメラの調子がどうも悪い。 |
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