「……?」
そのとき、何かをエンデルクは感じた。
再度振り返り、エリーを上から見下ろす。
気のせいか、とも思った。
呼吸は完全に止まり、以前見た、ばら色に染まっていた健康的な頬が、血の気を失っているのが痛々しい。
何より、自分が今、彼女が死んでいることを確かめた。
――間違うはずがない。
しかし――。
「…………ッハ……。」
苦しげに、エリーが息を小さく吐いた。
確かに――。
「ダグラス!」
「……?」
エンデルクの慌てたような声に、のろのろとダグラスは振り返った。
「見ろ!!」
「……隊長……?」
珍しく興奮したようなエンデルクの声に、ダグラスは不思議そうに首を傾げたが――。
「――!!!」
次の瞬間、ガバッと、音がするような勢いでダグラスは立ち上がり、エリーの傍らに膝をついた。
「……ケホッ……。ハァ……、ハァ……。」
苦しげに、かすかにだが、確かにエリーが息をしている。
『何故だ?』という疑問は、頭のどこかに吹き飛んだ。
ただ、エリーが息をしているという事実だけが、ダグラスにとって、大切なことだった。
「エリー!!」
ダグラスはエリーを抱え上げ、ギュウと抱きしめた。
「……ぁ……? ……ダ……グラ……ス……?」
苦しさからか、瞳に涙を溜めたエリーが、目を開けて目の前の人間を確認したように、呼びかけた。
その声に、さらにダグラスは安堵し、泣き笑いの表情になった。
――が、すぐにその自分を恥ずかしいとでも思ったように、エンデルクから顔を隠すように、エリーを抱いたまま、二階へと駆け上がった。
その様子を、エンデルクは内心ホッとしながら、苦笑した。
エンデルクがダグラスたちの後を追って、二階に上がったときには、エリーはすでに寝室に寝かしつけられていた。
そして、ダグラスが、照れくささからか、ぶすっとした表情でそのエリーを見下ろしていた。
その視線を受け、エリーは怯えたように、どうしてダグラスは怒ってるの? といったような感じで泣きそうな顔をしていた。
「……ダグラス。まず、事情を聞いてみたか?」
「……いいえ。」
ぶすっと答えるダグラスに、エンデルクは苦笑しながらエリーの元へ近寄っていった。
「すまないな。女性の寝室にはむやみに入り込むべきではいのだが。」
「い、いいえ。それは別に。――あの、私……、どう、したんでしょうか?」
「……それは、こちらが聞きたい。」
エンデルクは困ったように苦笑した。
そして、怖い目で睨んだまま、エリーを怯えさせているダグラスを少し後ろに下がらせた。
「君は息もせず、心臓もとまったまま、倒れていた。……ダグラスがまず発見して、君の死を確認し、私もそう判断した。……だが、君は息を吹き返した。――これはいったい?」
エンデルクの黒いまっすぐな鋭い光りをたたえた瞳に、見つめられ、エリーは小さくなるしかなかった。
迷惑を掛けたのだ。
エンデルク隊長と、そして――、ダグラスに。
「ご……! あ、い、いえ!! す、すいません。本当に――。」
顔が真っ赤になった。
あまりの恥ずかしさに。
「わ、私が、調合したアイテムが――。」
「アイテムが!?」
今までむすっとしたまま黙っていたダグラスが声を上げた。
エリーはビクッと体を震わせた。
「アイテムの効果でああなったってか!?」
ものすごい剣幕でエリーを睨みつけるダグラスに、エリーは生きた心地がしなかった。
どうして、ここまで怒られるのかが、わからなかった。
じわりとにじんでくる涙を必死でこらえる。
こんなにも怒られたのは、初めてだった。
いままで、エリーが失敗してダグラスや、他の誰かに迷惑をかけたとしても、確かにダグラスはエリーを嗜めるために怒りはしたが、ここまで恐怖は感じなかった。
本当に、本気で、ダグラスはエリーに怒っている――。
「……ダグラス。少し外に出ていろ。」
「隊長――!」
「……命令だ。」
「……はい。」
エンデルクの言葉に、ダグラスはしぶしぶ部屋を出て行った。
ダグラスの足音が完全に遠ざかってから、ようやくエンデルクは再び口を開いた。
「すまないな。……では、話を続けてくれ。」
「――は……い……。」
涙をこらえるので精一杯だった。
ダグラスに嫌われたかと思うと、本当に悲しかった。
それでも、泣くのをこらえてエンデルクに正直に事情を話した。
エリーの話を聞き終わると、エンデルクは小さくため息をついて苦笑した。
「……では、その『死にまねのお香』というアイテムで、仮死状態になったと、そういうことか。……そんな危険な効果のあるアイテムは、できれば作って欲しくはないし、ましてや使って欲しくはないな。……自分で使って試すなど、危険だとは思わなかったのか?」
「……本当に、すいません。……使うつもりはなかったんです。……こうなったのは、事故で――。」
ダグラスに怒鳴られた所為で、完全に落ち込んでしまっているエリーは、うつむいたまま、しょんぼりと答えていた。
「まあ、事情はわかった。……以後、このようなことは無いように、今まで以上に気をつけてくれ。」
「……はい。本当に、申し訳ありませんでした。」
真剣な顔で、深々と頭を下げるエリーに、エンデルクは頷いた。
「――それと、ダグラスのことだが……。」
エンデルクが話を切り替えて、ダグラスの名前を出した瞬間、エリーの小さな肩がビクリと震えた。
「あれが、あそこまで怒るのも仕方ない。……動かない君を見たダグラスの気持ちを考えてやれ。」
その言葉に、エリーはハッと顔を上げた。
エンデルクは、今までエリーが見たこともないくらいに優しい顔でエリーを見ていた。
「……はい。」
再びうつむいたエリーの瞳から、こらえきれなくなった涙があふれた。
驚かせた。
迷惑をかけたのだ。
怒るのは、当然の事だった。
それなのに、自分は何があったのかもわからず、ケロッとして、ダグラスの剣幕に、ただ恐怖した。
それが、恥ずかしかった。
「――ありがとう、ございます。」
「それは、ダグラスに言ってやるといい。」
そう言って、エンデルクはその大きな手で一度だけエリーの頭を撫ぜると、「今日はゆっくり休め。」と一言残して、部屋を出て行った。
しばらくして、エリーの工房から、2人の聖騎士が並んで出て行くのが2階の窓から見えた。
その姿が見えなくなるまで、エリーはずっと窓際に立っていた。
次の日、エリーはダグラスを訪ねて、城門の前に訪れた。
ダグラスは城門前にはいなかったため、警備の聖騎士に尋ねたところ、昨日、任務に遅刻したことより、その件の罰則としてダグラスの嫌いな書類のまとめ、整理等をさせられているとの話だった。
「……今日は、いつごろ終わりますか?」
「いや、ちょっと、わからない。呼んでこようか?」
「……いいえ。」
教えてくれた聖騎士に頭を下げて、エリーは王城前の広場の噴水の前で待つことにした。
仕事を邪魔したくなかった。
今、ダグラスは仕事に遅刻した所為で罰則をくらっていると言った。
それは、明らかに自分の所為であって……。
……自分の都合で、これ以上、迷惑をかけたくなかった。
いつまでも待つつもりだった。
どうしても、今日、早いうちに謝りたかったから。
夕方になり、あっという間に日が暮れた。
それでもダグラスは姿を見せなかった。
ギュウと握り締めたままの手は、既に感覚がなかった。
緊張していた。
許してもらえるかわからなったから。
時間がたつに連れて、悪い考えに思考が進む。
軽蔑の目で見られたらどうしよう。
こんなはた迷惑なエリーの相手をするのは、もうこりごりだと思われていたらどうしよう。
ダグラスに許してもらえなかったらと思うと、悲しくて、悲しくて、しょうがなかった。
「あ、のさ……、やっぱり、ダグラス、呼んでこようか?」
何時間も城門の前でダグラスを待ちつづけるエリーに、心配そうに先程の聖騎士が声をかけてきた。
エリーは首を振って再度断った。
そのとき――。
「あ……、ほら、ダグラスが――。」
自分がホッとしたように、その聖騎士が声を上げた。
声に促されてそちらを見ると、仕事が終わったらしいダグラスが、城門から出てくるのが見て取れた。
心配してくれた聖騎士にペコリと頭を下げると、エリーは一目散にダグラスに駆け寄った。
「――ダグラス!!」
ダグラスは、エリーにチラリと視線をくれただけで、立ち止まりもせず、そのまま歩いていく。
その様子に、エリーはズキリと胸が痛んだような気がした。
「ダグラス!!」
それでもエリーはあきらめずに、ダグラスを追いかける。
ダグラスは普通に歩いているだけなのに、エリーは小走りでダグラスの後を必死でついて歩いた。
「ダグラス、あの……。……あの……。ご、ごめん、なさい。」
「………………。」
「……本当に……。その……、迷惑かけて……本当に……。」
「………………。」
ダグラスは何も答えなかった。
エリーは、ダグラスについていくのが精一杯だった。
そして、今更気づく。
ダグラスはいつもエリーと歩くとき、エリーの歩く速度にあわせてくれていたのだということに。
それなのに、今、返事をしてくれないどころか、足を緩めてさえくれない。
それが表すことは――。
「……ごめん……なさい……。」
許すつもりはない、と、そう、無言でエリーに言っているのだ。
もう、エリーに面倒をかけられるのはごめんだと。
迷惑だと、そう、言っているのだ。
エリーの足は、自然に遅くなり、とうとう止まってしまった。
涙がもう、こらえる事も出来ずに溢れ出した。
「……ダグラス……。ごめ……。」
涙で滲む視界の中、すでにかなり前まで歩いてしまっていたダグラスが、ピタリと足を止めたように見えた。
そして、クルリとこちらへ向き直り、ずんずんと歩いてくる。
その顔は、明らかに怒っていて、怖かった。
でも、それでもダグラスが振り向いてくれたことが嬉しかった。
怒鳴られてもいい。
殴られてもいい。
それでも、ダグラスの声が聞きたかった。
ギュッと、覚悟を決めたように頬を引き締め、ダグラスの顔を見上げるエリーに、エリーのすぐ前まで戻ってきた、怖い顔をしたままのダグラスは立ち止まった。
「……なんだ、その顔は? ……俺が、殴るとでも思ってるのか?」
「……ダグラスの気がすむなら……。」
「……これ以上、怒らせるなよ? ――女なんか、殴れるわけねえだろ!」
その荒っぽい声に、エリーはまたビクリと怯え、涙をこぼした。
「ご、ごめ……。」
「……ったく、人の気もしらねえで――。」
ハア……と、でっかくダグラスはため息をつき、聖騎士の白いマントでエリーの顔を乱暴に拭く。
「ダ……! ダグ!! よ、汚れちゃうよ――。」
「……だったら、とっとと泣きやめ。……俺がオマエになんかしたみてえじゃねえか。」
「……うん。」
慌てて袖口でごしごしと涙を拭いた。
目や顔が赤いのは、この際どうしようも無かったが、それでもなんとか涙は止まった。
「……昨日、本当に……。……迷惑かけて、ごめんなさい……。」
そして、改めて謝罪を口にして、エリーは頭を下げた。
そのエリーに、またダグラスがため息をついた。
「ほんとに、わかってねえな……。」
「……え?」
「――例えば、だ。……オマエが、俺の死体を見つけたとする。……オマエはどうする?」
「そんなの嫌!! そんなの例えでも言わないで!!」
即答したエリーに、ダグラスはため息をついて、その後苦笑した。
「……ということだ。……まったく、驚かすなよ。」
そう言いながら、グシャグシャとエリーの頭を乱暴にダグラスはかき混ぜた。
「まったく……。オマエを見つけたとき、こっちの息が止まるかと思った。……あんなのは、もう、勘弁してくれ。」
困ったような、自嘲するような笑みを浮かべながらそう言うダグラスを、エリーは呆然と見上げていた。
『迷惑』ではなく、『心配』したのだ、と。
ダグラスは言っている。
エリーの死体なんて、見るのも嫌だと。
死んで、くれるな、と。
「ご、ごめんなさい!!」
「……これ以上謝ったら、しばらく口きかねえ。」
「あ、あ、ご――。」
また謝りかけて、慌てて口を抑えたエリーに、ダグラスはニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべた。
「こんな簡単なことも言われなきゃわからんくらいのガキには、このくらいの仕置きがちょうどいいだろ?」
「ダグラス〜……。」
「ガキはガキらしく、もっと安全なおもちゃで遊べよ。」
「〜〜〜〜〜!!!」
ダグラスがふざけてるのはわかる。
そして、まだ、少し怒っているのだ。
それでも、これでチャラにしてやるよ、というダグラスのメッセージがその言葉に込められているのがわかった。
「――ありがとう!」
それが嬉しくて、笑みを浮かべてお礼を言ったエリーに、ようやくダグラスはいつもの太陽のような明るい笑顔を向けた。
それが嬉しくて、エリーは満面の笑みで答えたのだった。
この後、ダグラスはエリーを工房まで送ってくれた。
今度はエリーにあわせてくれた歩調に、エリーはそっとダグラスの足元を伺い見た。
エリーが2歩進んで、ようやくダグラスの1歩くらい。
今まで気づかなかった。
こんなゆっくり歩くのは、面倒だし、歩き難いだろう。
それなのに、エリーが全く気づかないくらい自然に、それが当然だとばかりにいつも行ってくれていたのだ。
嬉しいと思う反面、いかに自分が子供かと思い知らされる。
自分が思う以上に優しくしてもらっているのに、それが当たり前すぎて、気づいていないことがきっと、まだたくさんあるのだろう。
――早く、大人になりたいと思った。
大人になったからと言って、そのダグラスの優しさに、全部気づけるようになるとも限らない。
それでも――。
(ダグラスの隣を自信を持って歩く事ができるくらいには――。)
早く、なりたいな……と、今まで以上に、そう、切実に思った。
【END】
(05.10.18)
(05.10.31up)
うーん…。思いっきり、駄文でした。
もうしわけありませんでした…。
…次、頑張ります…(汗)
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