ビターにスウィート、ミルクにホワイト――。
いろんなチョコがあるけれど。
『あの人』が喜んでくれるのは、どんなチョコ?
想いが伝わる日
「たっだいま〜、って、この甘ったるいにおいは何!?」
ザールブルグの職人どおりにある、赤い屋根の工房には、現在二人錬金術師が住んでいた。
工房の主は、現在アカデミー在学中のエルフィール・トラウム。
もう一人は、アカデミー過去最低の成績保持者でありながら、5年間の留年期間で世界最高峰の錬金術師の一人となった、以前の工房の主、マルローネ。
ケントニスアカデミーからエリーとともにザールブルグに戻ってきたマルローネは、エリーたっての願いで、数ヶ月前からともに住んでいた。
今日、1週間ほど前から、自ら受けた依頼のため、留守にしていたマルローネが帰宅したのだ。
「あ、マリーさん!! え、えっとですね…。そ、その〜」
マリーが出かけていたのはへーベル湖。
往復で4日かかる場所であるため、マリーが帰ってくるのは少なくともあと、2〜3日は先だと思い込んでいたエリーは、慌てて、真っ赤な顔でマリーに何か言い訳しようとしている。
「はっは〜ん」
マリーはそのエリーの様子と工房内に充満するあまったる〜い匂いの正体に気づき、そういえば今日は…と、考え、ニヤリと笑った。
「なるほどね。ダグラス君へのプレゼントってわけね」
「ち、違います〜!!」
エリーは、かわいそうなくらい真っ赤になって、首をぶんぶん振った。
「隠さない、隠さない。別にいいんじゃない? よろこぶっしょ、彼」
「だから、マリーさん〜」
面白がってる様子を隠そうともしないマリーに、エリーは泣きそうな顔で否定しようとする。
「うふふふふふ」
不気味な笑いを浮かべながら、マリーは採取してきた調合材料を籠から出して、エリーに場所を空けてもらったマリースペースに並べる。
その間も、エリーはなぜか必死で言い訳をしていたが、マリーの耳には右から左だった。
(若いね〜)
エリーは、はたから見てもばればれなくらい、ダグラスに首っ丈(死)であるのに、それでもまだ、皆には気づかれていないと思い込んでいるらしかった。
エリーの周囲の人間も、人のいいものばかりであるから、その様子をほほえましく見守っていた。
まあ、肝心なダグラスが、戦闘に関しては野生の動物にも負けないくらい勘が鋭いのに、いつも隣りにいるエリーの想いに気づいていないのだ。
ダグラス自身が、そういったことに全く関心がないからかもしれないが…。
ただ、真実エリーを可愛がっていて、憎からず思っていることは明らかで、その状況で、周囲の人間が何かいうのは野暮というものだった。
「よそ見してると失敗するよ〜」
「え!? あ…!!」
まだまだ、何か言い募ろうとしていたエリーも、今のマリーの言葉にハッとしたように、テンパリングしているチョコレートに目を戻した。
その様子を横目に見ながら、マリーは「休ませてもらうわ〜」と言いながら、二階へとあがっていった。
「だから、マリーさん! 違うんですからね!!」
その後姿に向かって、エリーがまだ叫ぶ。
「はいはい」
どうして、ここまで否定したがるのか、マリーには理解ができなかったが、おざなりながら返事をして、そのまま借りている部屋へと入っていった。
「ふえ〜ん……。……マリーさんのばか〜」
半分本気で泣きそうになっていたエリーは、テンパリング中のガナッシュ用チョコレートを見つめた。
細かく刻んだスウィートチョコに、生クリームと煮立てたシャリオミルクを入れた。
ここに加えるお酒は、エリーが考えられるだけの種類を用意した。
しかも、お酒の大半がエリーの特製手作り。
エリーが作ろうとしているのはトリュフ。
バレンタインに最も一般的で、人気があるとされるチョコレート。
(――ダグラスは、受け取ってくれるかなあ?)
その不安な心が、この調理を始めたときからエリーの心を占めていた。
だから、誰の為に作っているか、同居人であり、あこがれの女性でもあるマリーの言葉を素直に認められなかったのだ。
ダグラスは酒好きの辛党だが、甘いものも結構いける。
だから、ものすっごく甘いお菓子でない限り、よろこんで受け取ってくれるだろう。
――妹として可愛がっている、エリーからなら……。
「ううう……」
自分の考えに、エリーはへこんでしまった。
どんな状況だったかは、忘れてしまったが、前に、ダグラスがエリーに言ったのだ。
「なんか、お前を見てると、故郷にいる妹を思い出すんだよな〜」
そうして、エリーの髪をくしゃくしゃにしながら、エリーの大好きな優しい笑顔で笑ったのだ。
つまり、エリーはダグラスにとって、妹でしかないということなのだろう。
まあ、妹が兄にバレンタインチョコを渡しても何の不思議もないのだが、まったくその意図に気づいてもらえないのも、悲しい気がする。
まあ、気づかれて、気まずくなるのはもっと嫌なのだが……。
グルグルと考えながらも、調合で手馴れている上に、もともとおかし作りが得意なエリーは、手際よく少量ずつあらかじめ用意しておいたお酒と混ぜる。
ラム酒はもちろん、ブランデーにコニャック、チェリーにリンゴ、オレンジのお酒。
ちょっと白っぽく、つやがなくなってきたら、ガナッシュはOK。
次はコーティング。
これまたコーティング用においておいた、細かく刻んだスウィートチョコに、カカオバターを、混ぜて溶かして適量加える。
空気が入らないように、押さえるように混ぜて、人肌より少し低い目の温度になったら出来上がり。
手早くガナッシュにコーティングする。
そして、仕上げ。
ちょっと苦味のあるココアパウダーをまぶすもの。
真っ白い、雪のような粉砂糖をまぶすもの。
小さくカールするように削ったチョコをまぶすもの。
見かけも3種あったら、それなりに可愛らしい。
それを、ラッピング用の濃い茶色の小箱に崩れないよう、壊れないよう、包装材とともに飾るようにいれて、蓋をした。
そして、シンプルな細い茶色い皮の紐で縛ると、そっと紙袋にいれた。
時計を見ると、まだ3時を少し回ったところ。
ダグラスは、今日は夕方まで勤務だと言っていた。
つまり、5時くらいには、今日の仕事は終わり、帰宅するなり、飛翔亭に行くなりするだろう。
今から行けば、充分、城門の前で立っているダグラスに会える。
ぱっと渡して、帰ってくればいい。
それで、いいのだ。
エリーは、きれいに調理台を片付けると、チラリと階段の上を見る。
帰ってきて、自分の部屋で休むと言ったきり、マリーは一度も一階には下りてきていない。
特に依頼を受けているものもないので、とりにくる客はいないだろうし、と、エリーは、疲れて眠っているだろうマリーを起こすことなく、工房からそっと外にでた。
エリーは小走りに職人通りを駆け抜け、城門前の広場に辿り付いた。
だが、そこにダグラスはいなかった――。
「あれ……?」
エリーは首をかしげた。
ダグラスの門番の周期は把握しているつもりだった。
「おかしいな……」
ポツリとつぶやいて、一応、ダグラスのいつもの定位置に立っている聖騎士にトコトコと近寄った。
その騎士は、幸いにもダグラスの同僚で、エリーとも認識のある相手だった。
「すいません。あの、ダグラス、今日はどうしたんですか?」
騎士は、「ああ」と気づいたようにエリーに笑いかけた。
「いやね、今朝からダグラス目当ての女の子たちがここに集団で押し寄せてきてね。それがあんまり多いから、公務に支障が出て、急遽ぼくと交替したんだ」
「え……」
「もー、すごかったよ。ダグラス、ああ見えて、結構真面目だろ? だから、迷惑極まりないって感じで、『お前ら帰れ!!』って感じで怒鳴り散らしてたよ」
「へ、へえ〜」
エリーは、ナイフでも付き刺さったかのように、胸が痛んだ気がした。
ダグラスがもてることに、ショックを受けたわけではないと思う。
そんなことは、以前から理解していた。
ちょっと粗野でぶっきらぼうなところがあるが、真面目で誠実で、見目もよい、将来有望な聖騎士である彼に女性が惹かれないはずがないのだ。
なんとか平静を装って、その騎士にお礼を言うと、そそくさとエリーは立ち去った。
「ダグラスに用があるなら、呼んで来ようか?」という彼の申し出は、丁重に断った。
ダグラスを呼んでもらっても、きっと、エリーも午前中に現れた女性たちと同じように、怒鳴られて追い返されるだろう。
それどころか、仕事中に、真面目な要件でもなく、ダグラスが頼んだものでもないものを届けに来て、わざわざ呼び出したのだと知られたら、怒られて、軽蔑されるかもしれない。
(ダグラスが城門にいなくて、よかったのかも……)
ぎゅっと、チョコの入った箱を胸に抱きしめ、エリーは、うつむき、泣きそうになるのをこらえながら、工房へと走った。
早く工房へ帰りたいという気持ちで一杯だったエリーは、わき道から出てきた男に気づかなかった。
「え?」
気づいた時点では、すでに遅かった。
前も見ず突進していったエリーも、相手も避けられず、二人は勢いよくぶつかった。
男の方は、衝撃はあったものの、身体の小さいエリーにぶつかられたところで、少しよろめいただけだったが、エリーは衝撃に絶えられず、後ろへしりもちをついた。
「ご、ごめんなさい!」
エリーは、完全に自分が悪いのがわかっていたから、慌てて謝った。
同時に、もともと沈んでいた心に、自己嫌悪としりもちをついた際の痛みが加わって、涙がこぼれた。
「え!? そんなに痛かった?」
男は、エリーの涙に驚いたのか、慌てた声を出した。
「あ、ち、違うんです! ごめんなさい。ほ、本当に、すいませんでした……」
涙を慌てて拭き、もう一度誤って、そのままエリーは立ち去ろうとした。
しかし、男がエリーの腕をつかんで離そうとしなかった。
「あ、あの?」
どうかしたのだろうかと、エリーは涙がにじんだままの瞳で恐る恐る、男の顔を見た。
「君泣いてるじゃん。どうしたの?」
エリーより少し年上の、ダグラスとそう変わらない若い男だった。
ただ、雰囲気が全然違って、口調やしぐさは柔らかい感じがするのに、どこか怖い感じがした。
服装からは、とくにすさんだ様子は見られない。
中流階級か、もう少し上くらいのそれなりの家の子息なのかもしれない。
「な、なんでも、ないんです。本当に――」
エリーはどうにかして男の手から逃れようとしたが、男の手を振り払うことはできなかった。
「あ、もしかして、振られたとか?」
「…………離してください」
振られたわけじゃない、と反論しようかとも思ったが、そんなことを言う義理もないと、エリーは答えなかった。
「だって、君の持ってるのって、チョコレートだろ?」
男は、ニコッと笑顔を浮かべたが、エリーには君の悪い笑顔にしか見えなかった。
「あなたには、関係ないです」
「君、かわいいのにねえ。見る目のない男がいるなあ。ね、良かったら、おれがもらってあげようか? 結構好みなんだよね〜」
いきなり口説き始めた男に対して、背筋がぞわぞわして、気分が悪くなってきた。
「結構です。いい加減に、離して! ぶつかったことには、謝ります。だから……」
「そんなこと、どうでもいいじゃないか。ね、ね、おれと付き合おう?」
「嫌です」
きっぱりと断ったエリーに、あきらめるでもなく、特に気分を害した様子もなく、男はきっと慣れているのだろう自然なしぐさで、エリーの肩を抱いてきた。
エリーは助けを求めて辺りを見回したが、こういうときに限って、人通りがない。
「さ、一緒に、食事にでも行こう」
「嫌! 離して!!」
エリーは、とうとう耐え切れずに、男の頬をつかまれていない方の手で叩いた。
「いて! ……やってくれるね」
男は、表情は変わらないまま、エリーの手をつかむ手に力を込めた。
「痛い!」
ぎりぎりと容赦のない力で握られて、エリーは悲鳴を上げた。
そのまま、男はエリーを、今出てきた路地に引きずりこむと、歩き出した。
「離して!!」
「――――」
男は無言のまま、エリーを引きずっていく。
「嫌なの!!」
【To be continued】
あまりに長すぎるという苦情(笑)を受けましたので、
ちょっと分割しました。
どこで切ろうか迷ったのですが・・・。
結局、後編の方が長い・・・(汗)
(up:05.02.14)
(改:05.02.26)
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