「そこまでだ」

「!?」

何とかして男の手をはずせないかもがきながら、叫んでいたエリーの耳に、聞きなれたとても安心できる声が聞こえた。

男の方も驚いたように、声がした方に勢いよく顔を向けた。

そこには――。

「ダグラス!」

ダグラスは無言のまま、男の腕からエリーを救い出すと、男の目の前に仁王立ちになった。

エリーからはすでに、男の顔が見えない。

ダグラスが男からエリーを隠してくれたのがすぐにわかった。

あまりの安心感のせいで、エリーは泣き出しそうになり、ダグラスの白いマントにしがみついた。

「……いやがる女を、どこへ連れて行こうとしたんだ?」

「い、いや、その……、しょ、食事にでも……」

男の方は、ダグラスの迫力にたじたじになっているようだ。

「そういうことは、相手の同意を得てからにするんだな」

「は、はい!!」

男は、そう返事をするとそのまま脱兎のごとく逃げ出した。

ダグラスは一瞬、追うかどうか考えたが、カタカタと震えたままダグラスにしがみつくエリーを放っておくこともできず、チッと舌打ちをしてあきらめた。

「……大丈夫か、エリー?」

先ほどとは打って変わって優しい声に、エリーはダグラスのマントに顔をうずめたまま首を縦に振った。

「……送ってく」

心配そうな響きを持ったダグラスの声に、エリーはまたコクンと頷いて、ダグラスのマントからようやく離れ、きゅっと頬を引き締めると顔を上げた。

その様子を見ながら、少し安心したようにダグラスはエリーに笑いかけ、頭をなでるとゆっくり歩き出した。

その少し後を、エリーが追う。

しばらく、無言で歩いていたが、エリーはふと気がついて、ダグラスに尋ねた。

「そういえば、ダグラス、どうしてここに?」

「ああ、ルドルフが……。今日門番してた奴が、お前が来てたって教えてくれたんだ」

ようやくいつもの様子を取り戻してきたエリーに、ダグラスもいつもどおりの様子で答える。

「それで、追いかけてくれたの?」

「何か、用があったんだろ? おれにわざわざ会いに来たんだから」

「え……、そ、その……、あ、さ、採取! 採取に行きたいの!! 近々、ヴィラント山に!!」

エリーは頭をフル回転して、おかしくない理由を考えた。

ヴィラント山に行きたいのも本当だ。

コメート原石はそろそろストックがなくなるし、カノーネ岩も少なくなっていたはずだ。
何より、グラセン鉱石がまったくなかった。

「ああ、いいぜ。行ってやるよ。いつがいいんだ?」

何の疑いも持っていない様子のダグラスの答えに、エリーはホッと胸をなでおろした。

「えっとね……、明後日はどう?」

「16日な……。了解っと。着いたぜ」

気がつくと、すでにエリーの工房の前にたどり着いていた。

「あ、ありがとう、ダグラス」

「礼を言われるようなことはしてないさ。国民の安全を守るのは、おれたち騎士の役目だからな」

胸を張るように、自信たっぷりに言うダグラスに、エリーの胸はまたツキンと音を立てて痛んだ。

ダグラスは、相手がエリーじゃなくても、同じように助けて家まで送っていくということだ。

当たり前のことを自分の中で確認してしまって、エリーは軽く自嘲した。

「じゃあ、明後日、本当によろしくね!」

それじゃあ、本当にありがとうと、もう一度礼を言って、工房に入ろうとしたエリーに、ダグラスは今気づいたように言った。

「そういや、エリー。……その手に持ってるものは、届けに行かなくていいのか? 誰かに渡しに行く予定だったんだろ?」

「え……」

エリーは思わず自分の持っているものに目をやった。

さりげなく隠しているつもりだったのだが、ダグラスには気づかれていたようだ。

しかし、それが自分に当てられたものだとは、露ほども考えていない様子のダグラスに、エリーはわかっていたはずのことを再確認して、頭を鈍器で殴られた気分になった。

ダグラスは、エリーが誰にチョコをあげても何とも思わないのだということを――。

一瞬、せっかく止まった涙がまたあふれそうになって、エリーは奥歯をかみ締めてこらえた。

「い、いいの!! ど、どうせ、ダメだと思ってたから!! じゃ、じゃあね。ダグラス」

それだけ言うと、エリーは扉の中に体を滑り込ませ、ばたんと閉めた。

扉の向こうで、ダグラスがエリーを呼びかける声が聞こえたが、すでに涙腺が限界だったエリーは答えることができなかった。

しばらくして、ダグラスの立ち去る足音が聞こえた。

エリーはホッと息を吐いて、チョコを調合台に放り出すと、部屋へ駆け込み、ベッドに飛び込んだ。

そして、そのまま枕に顔を押し付けると、声をこらえたまま泣き続けた。

――ダグラスへの想いは、決して届かないのだ……。



「…………」

その様子を、マルローネがこっそり、エリーの部屋のドアの隙間から見ていた。

エリーが帰ってきたのも、様子がおかしいのも気づいていたのだ。

だが、声がかけれなかった。

静かにドアを閉めると、マリーはため息をついた。

「フー……。どうしたもんかね」

小声で、そうつぶやくと、マリーは階下に降りて、エリーが放り出したチョコの袋を覗いてみた。

エリーの字で「ダグラスへ エリーより」と書かれたメッセージカードが添えられており、綺麗で落ち着いた茶色の箱の中には、かわいらしい、おいしそうなチョコが綺麗に並んでいた。

自分には到底できそうもない芸当だ。

「さてさて、この可哀想なチョコは、誰の口に入るのかな〜?」

口調はふざけているようだが、マリーの顔は真剣で、静かな怒りが浮かんでいた。

結局、エリーは日が落ち、ランプの火を入れなければ、足元も見えない時間になっても、部屋から出てこなかった。

マリーは、もう一度ため息をつくと、エリーのチョコを持って、飛翔亭へと向かった。



飛翔亭は、いつも以上の賑わいを見せているように見えた。

友人と共に浮かれているもの、悲しそうに一人酒を手酌で汲んでいるもの、様々で、今日の成果が一目でわかるものが多かった。

顔なじみのハレッシュは、これ以上となく幸せな顔で、鼻の下が伸びていて、その様子をディオが殺気だった様子でにらみつけているし、ルーウェンは、目の前に置かれたチョコらしい箱を見つめながら、真剣に考えこんでいるようだった。

その横で、ちょっと不機嫌そうに手酌でエリーがこの酒場に卸しているワインを呑んでいる男がいた。

――ダグラスだ。

マリーはニヤリと笑うと、つかつかと酒場の中を歩き、ドンッという大きな音をわざと立てて、ダグラスの前に手をつくと、エリーのチョコを突き出した。

「ダグラス〜。これ、あ・げ・る(ハート)」

酒場の中が、シーンと静まりかえった。

マリーを知らないものが、この飛翔亭にいるはずがなかった。

いや、ザールブルグ全体をとってしても、彼女を知らない人間は少ないかもしれない。

酒場にいた人間は、一人残らずこのマリーの行動の結果を見守っている。

カウンターの向こうのディオも、クーゲルも、さっきまで鼻の下を伸ばして、醜態をさらしていたハレッシュも、真剣に考え込んでいたルーウェンも、息を呑んで様子を伺っていた。

当のダグラスは、目を白黒させて、状況が飲み込めていないようだった。

「……おれに?」

「そうよ〜。他に、誰がいるというの?(ハート)」

怖い、怖すぎる。

付き合いの長い連中にはわかった。

マリーの後ろに炎が見える。

明らかに、怒っている。

原因はわからないながらも、マリーをよく知る人物たちは、冷や汗を流しながら、ダグラスに受けとるよう促した。

「な、なあ、ダグラス。マリーがわざわざ持ってきたんだ。受けっとっとけよ」

「そうだな。悪いことじゃないだろう?」

「ああ、そのほうがいいだろう」

「……な? ダグラス。ほら」

周囲の人間に促されて、ダグラスはのろのろと手を出した。

まだ、事の成り行きが飲み込めていないようだが、とにかく、ここは逆らわないほうが得策だと感じたのだろう。

ダグラスが受け取るのを見て、マリーはその綺麗な顔で、女神のように微笑んだ。
ただ、その背後には、どこから来たのか想像もつかない暗雲が立ち込めていたが――。

「中は、見ないの?」

「あ、ああ……」

ダグラスは、覚悟を決めて、鬼が出るか蛇がでるか、恐る恐る袋の中をのぞいてみた。

周囲の人間は、爆弾でも入っていると思ったのだろうか、クモの子を散らすように、酒場の壁までほとんどが逃げ出した。

が――。

中を覗いたダグラスが、先ほどまでの呆けたような、どこかおびえたような顔を一変させて、がたんと椅子を鳴らして立ち上がった。

隣に座っていたルーウェンが思わず椅子から滑り落ち、ハレッシュは後ろにひっくり返った。

ディオはワインを取り落とし、クーゲルはグラスを手から滑らせた。

ガタ、ドタ、ガシャ、バリーン、と派手な音が続けさまに鳴り響いた。

「マリーさん、これ……」

真剣な表情のダグラスが、マリーのほうを見た。

「わかったか、この大ばか者」

「……はい」

「だったら、さっさと行って来い! 行かないと、フラムをくらわしてやるわ!!」

「わかりました!」

ざっと音を立てながら、ダグラスは飛翔亭を出て行った。

勘定がまだだったが、様子の一変したダグラスと、それをにらみつけているマリーのせいで、ディオは声がかけれなかった。

まあ、知らない仲でもないし……と、ディオはつけにしておくことにしたが――。

「マスター! 私にもワイン!! じゃんじゃん、持ってきて!! も・ち・ろ・ん、ダグラスのつけ、ね(ハート)」

ダグラスが立った席にいつの間にか座り込んだマリーが、にーっこり笑いながら言った。

「……わかった」

逆らわずにそう答えたディオの言葉に、この酒場にいた全員が、ダグラスが払うことになるだろう酒代が、一体いくらになるのだろうと考えて、ダグラスに同情したのだった。



その頃、ダグラスは赤い屋根の工房を目指して早足で歩いていた。

その手には、マリーから渡されたチョコレートの袋があった。

張り詰めた、緊張した雰囲気で夜の街を歩くダグラスは、まるで非常事態に駆けつけるかのようであり、すれ違う人々はその姿を遠巻きに見ていた。

工房の前にたどり着くと、ダグラスは扉をドンドンと叩いた。

「エリー! いるんだろ!? 開けてくれ!!」



その声を、二階の自分の部屋で聞いたエリーは、ビクリと体を振るわせた。

「ダグラス……? なんで……」

訳がわからないながらも、エリーは慌てて顔を洗い、ランプを持って階下に降りた。

ひとしきり泣いたお陰で、まだまだふっきるのには時間がかかりそうだったが、とりあえずダグラスと顔をあわせても泣き出さないくらいには落ち着いていた。

だから、扉を開ける気にもなったのだ。

昼間の態度もおかしかったのに、もしここで開けなければ、ダグラスはもっとエリーに対して疑問を持つだろう。

そうしたら、言い訳が苦手なエリーは逃れられない。

きっと、自分の気持ちを言わされて、気まずくなって、修復できない仲になってしまうかもしれない。

それだけは、避けたかった。

たとえ、この気持ちが届かなくても、ダグラスの側にずっといたいのだ。

「ダグラス? どうしたの?」

恐る恐るといった様子で顔をだしたエリーに、ダグラスはあからさまにホッとした。

昼間の自分の心無い言葉に、エリーが傷つき、もう会ってくれないかもしれないと思っていたのだ。

「……これ、マリーさんからもらった。……その、昼間は、悪かった、な……」

困ったように、顔を背けながら、エリーの目の前に突き出したダグラスの手には、エリーが放り出したはずのチョコの袋が握り締められていた。

「え……、え――!!」

ダグラスの手にある、思いもかけないものに、一瞬きょとんとしたが、エリーは我に返って驚き、叫んでしまった。

(マ、マリーさ〜ん!!)

なんで、マリーはこれをダグラスに届けてしまったのだろう……。

恥ずかしさと、自分の心臓の今までにないくらい早い鼓動に息苦しさを感じ、エリーはダグラスの方が向けず、顔を下に向けた。

そして、おそらくこう答えるであろう、ダグラスの次の言葉を待った。

『悪いな。お前のことは、妹にしか思えない』

両手は、知らない内にぎゅっと力が入り、カタカタと震えていた。

血の気がサーッと引いていく気がした。

今のエリーは、ダグラスの前で立っているのが精一杯だった。

「その……。ありがと、な。嬉しかったぜ……」

「え……?」

思ってもいなかった言葉を聞かされ、エリーはゆっくりと顔を上げた。

ランプの光では良くわからなかったが、横を向いたダグラス顔が、ほんのり赤くなっているように見えた。

「昼間、ちょっと、気になってたんだ。……お前が、誰に、その……、これをやろうとしてるのか……」

「ダ……グラス……?」

「そ、そんだけだ!! じゃあな!!」

それだけ言うと、ダグラスは身を翻して、まるで獣のようにその場を駆け去ってしまった。

エリーは、張り詰めていた気が抜け、そのままずるずると床に座り込んでしまった。

そして、思考が停止状態の頭を必死に働かせて、ダグラスの言葉の意味を考えた。

(『ありがと』って言ったよね? 『嬉しかった』って。『気になってた』って――!!)

エリーは、ぎゅっと両手で自分を抱きしめた。

(うれしい――)

例え、ダグラスにとって、妹と大差ない位置にいたとしても、ダグラスはエリーに好意をよせられて、嬉しいと感じるくらい、誰かに想いをよせているのを気に入らないと思うくらいには、エリーを好いてくれているのだ――!!

(ありがとう。ダグラス――)

そう思ってくれるだけで、充分だった。

また、新たにエリーの瞳から、涙がこぼれた。

けれど、今度は胸が苦しくなることもなく、ただ、温かい思いで一杯だった――。



―― St. Valentine's Day ―― 全ての人の上に、幸福の天使が舞い降りますように――。



静かな夜に、フローベル教会の鐘の音が鳴り響いた――。



【END】



バレンタイン、ダグエリです。(皆別人・・・)

フリー期間は終了しました。


(up:05.02.14)
(改:05.02.26)


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