ダグラスは悩んでいた。
はっきり言って、彼が今まで生きてきた約20年の中で、今が、一番困っていると言っても過言ではないほどに――。
春の日の芽生え
「だからさ、ダグラス。そんなに悩まなくてもいいんじゃないか?」
たまたま休憩時間が重なり、めずらしく訓練場の隅で頭を抱え込んでいたダグラスに、近寄り、何をそんなに悩んでいるのかを聞き出したルドルフは、あっさりそう言った。
「そうは、言ってもな……。」
ダグラスにも、言われるまでもなく解っていた。
ほんとうに、こんなに悩む必要などないのだということくらい。
だが、頭ではわかっていても、感情がついていくというわけではない。
ダグラスは、こんなことを考えるくらいなら、一人で盗賊団のアジトに乗り込んだり、苦手な書類整理を押し付けられたりする方が、ずっとましだと思った。
季節は、春。
暦は、3月上旬。
まだ少し肌寒いと感じる日がつづいていたが、ここザールブルグでは、風の中に、街角に、あらゆる場所で人々は春の訪れを感じることができた。
人々は自然に、街を出歩くようになり、表情も冬と比べると段違いに多い。
また、聖騎士の間では、今月末より国中の各所に派遣される討伐隊に向けて、騎士たちの訓練に、普段以上の活気があった。
その中で、いつもは周囲のもの以上に張り切るダグラスが、頭を抱えて悩んでいるのは、かなり目立っていた。
ダグラスが悩んでいるのは、あと3日に差し迫った、恋人達のイベントである、ホワイトデーのことだった。
悩みの内容が周囲に知れ渡ったら、きっと、大体のものがあきれ返り、年かさの生真面目な先輩騎士たちには、根性を叩きなおしてやるとばかりに、しごきのような訓練を受けさせられるであろうこと、請け合いだった。
まあ、真面目なダグラスは、休憩中の今でこそ頭を抱えているが、訓練中や任務中にはそちらに集中するため、目上の者たちから追求されることなく、事なきを得ているのだ。
ルドルフも、悩みの原因に少しあきれたようだったが、幸いな事にダグラスの親しい友人であり、また、彼の性格を知り抜いていたため、「仕方がないか」と少し話を聞いてやることにしたのだ。
実は、ダグラスは、誕生日や、各イベントごとに女の子が群れを作って接近しようと躍起になるくらい、女にもてる。
その割に、何故こんなに不器用なんだと、同僚たちが首を傾げるほど、『恋愛』というものに縁がなかったのだ。
彼自身、強さを求めることだけに全力を注いでいたため、女にかまける余裕などなく、また、興味がなかったせいでもあるのだが。
そのダグラスが、生まれて初めて、身内以外の女のことで悩んでいる。
ルドルフはその様子を、ある意味、弟を見守る兄のような気持ちで見ていた。
「お前が考えてるのって、エリーって子だろ?」
「ああ。」
「あの子だったら、お前がくれるもんなら、何でも喜ぶんじゃないのか?」
「……たぶん。」
うぬぼれているわけではなく、彼女はそう言う性格だとわかっていたので、ダグラスは認めた。
彼女は、相手が誰であろうと、それがどんな些細なことであろうと、人が自分のために何かをしてくれたとすると、心の底から感謝の気持ちを表現するかのように、満面の笑顔で答えてくれる。
――その、気持ちが嬉しいのだ、と……。
自分が相手に何かをしたときも、相手が嬉しそうに笑うだけで、幸せになれるのだと、いつか言っていたのも覚えている。
そんな、彼女だからこそ、せっかくだから、本当に欲しいものをあげて、喜ばせてやりたいと思うのだ。
彼女の『本当に欲しいもの』について悩むダグラスに、ルドルフは、呆れ顔でため息をついた。
バレンタインに、片思いの女が男にチョコレートを渡し、そして、そのお返しに何が最も欲しいのかと聞いた場合、感覚がずれてでもいない限り、返ってくる答えはひとつだ。
『男からの自分への愛』であり、物など二の次だ。
(……こいつ、まじで気がついてないのか?)
少し遠い目でダグラスを見ているルドルフに気付かず、ダグラスは必死で考え込んでいるようだった。
(ええと……、あいつが喜ぶもの……喜ぶもの……? やっぱり調合関係か……?)
ダグラスはエリーが持って喜ぶ姿を思い出す。
確か、一番最近見たのは……。
(『グラセン鉱石』? いや、そいつはこないだの採取で2つ見つけたと喜んでたしな……。)
第一、日程が足りない。
「ダメだな。」
「え? 何か言ったかい、ダグラス? ……そろそろ休憩も終わりなんだけど。」
隣でぶつぶつとつぶやくダグラスに、ルドルフのは声をかけたが、ダグラスの耳には届いていなかった。
ダグラスは、持ち前の集中力で、完全に思考に没頭している。
(あとは、『風のり鳥の羽』だっけ? ……駄目だ。今の時期じゃ、確か手に入らないとか言ってたな……。他は……。)
「おい! ダグラス!!」
「あ?」
かなり慌てたような声のルドルフを不思議に思い、視線を上げたダグラスの目に映ったものは……。
「た、隊長!!」
「……休憩は終わりだ。何をしている。」
「はっ! もうしわけありません!!」
慌ててダグラスは立ち上がる。
あまりに思考に没頭しすぎて、エンデルクが近づいてくる気配すら感じていなかった。
(失敗したな……。)
頭をかきダグラスは、ルドルフに笑われながら、慌てて持ち場へと向かった。
そのダグラスを、エンデルクが微笑ましそうに見ていたのには、誰も気付くことはなかった。
結局あの後、仕事に戻ったダグラスは、仕事が終わった後、ルドルフとも会わず、騎士団の独身寮にある自室に引き上げていた。
「あー! わからん!!」
叫びながら、備え付けのベッドにあお向けに倒れる。
古いスプリングのきしむ音が部屋に鈍く響いたが、ダグラスは一向に気にしなかった。
「はあ、まいった――。」
エリーが欲しがりそうなもので、ダグラスが見たことのあるものを、一つ一つ思い出しては見たものの、どれもプレゼントとしては、しっくりこないことがわかっただけだった。
「まじで、わかんね――。」
つぶやきながら、ダグラスはエリーにチョコレート(実際には、マリーから手渡されたわけだが)をもらった日のことを思い出していた。
あの日、自分に会いに来たというエリーを追って、見つけたのは、男にからまれて困り果てた顔のエリーだった。
助け出し、ホッとしたのもつかの間、ダグラスは、工房までエリーを送る間、エリーがダグラスからできるだけ見えないように、小さな包みを隠そうとしていた。
つまり、自分に見られたくないものだと理解し、すなわち、他の男に用意したチョコなのだと、何故かピンと来た。
そして、同時に、ものすごく複雑な気分になったのだ。
子供だ子供だと思っていたエリーにも、想う男がいて、しかも、そいつはダグラスには知られてはまずい相手なのだ。
昔、ダグラスの小さな妹が、となりのガキ(注:妹より年上)にチョコを渡すのだと騒いでいたときと同じくらい(いや、それ以上かも)に、面白くない気分になった。
だが、そんなことで文句を言う権利が、ただの護衛(よくて友人)の自分にあるわけがなく、自分は大人だと言い聞かせて、エリーの恋を応援してやろうと、さりげなさを装ったつもりで言った。
「そういや、エリー。……その手に持ってるものは、届けに行かなくていいのか? 誰かに渡しに行く予定だったんだろ?」
次の瞬間、エリーは一瞬だけ泣きそうな顔をして、二言三言答え、工房の中へと逃げ込んでしまったのだ。
あの後、ダグラスは、余計な事を言ってしまった罪悪感で、ひとり飛翔亭で自己嫌悪に陥っていた。
何時の間にか、同じテーブルに、ルーウェンやハレッシュが座り込んでいたのにも、実はかなりの間気付いていなかったのだ。
そのうち、何故か恐ろしい雰囲気を漂わせたマリーがやってきて、ダグラスは昼間エリーに言った言葉が、エリーにとってどんなにひどいことだったのか、気付かされたのだ。
単に、エリーがダグラスに秘密にしておきたかったことを、ダグラスが知ってしまったことに、ショックを受けたのではなく、遠まわしに、気付かないうちに、エリーを振るような台詞を、自分は口にしていたのだ。
ダグラスは、その手の感情を、表情から読み取ることには鈍かったが、まったく、女心を理解できないほどの阿呆でもなかった。
だから遅まきながら、自分がエリーにどれだけ無神経なことをしてしまったのかに気がついたのだった。
あの後――、エリーの元へ行き、とりあえず、自分が思ったことだけを告げて、逃げるように立ち去ってしまった。
だからその後のエリーの様子はわからず、その翌々日、ヴィラント山へ行くと約束した日、いつもどおりのエリーの顔を見るまで、実は気が気ではなかった。
結局採取の間、エリーは、いつもどおりに採取に夢中で、あの日のことなど話題にはならず、ダグラスも自分から言い出すことはなく、無事にザールブルグへと帰還した。
そして、その数日後。
ダグラスは、現在のような状態に陥っていた。
いくらエリーが何も言ってこなくとも、さすがにこのまま何のリアクションもなければ、気になるだろう。
かといって、自分がエリーにしてやれることとは何なのか、ダグラスは本当に検討がつかなかった。
ダグラスは、エリーのことを間違いなく大切に思っている。
この感情に嘘偽りはなく、堂々と宣言すらできるだろう。
だが、この感情は、周囲のやつらがいう『恋』に当てはまるのか、といわれると、よくわからなかった。
嘘をつくのも、ごまかすのも、考えるのも苦手なダグラスは、その感情について深く追求するのはあきらめ、誠実に、エリーの気持ちが嬉しかったのだということを、プレゼントを渡す事で、改めて伝えるつもりだったのだ。
ふと、気が付くと、周囲の部屋は静まり返り、人の気配も希薄になっていることに気がついた。
「……寝るか。」
結論はでないが、明日の任務を寝不足で滞らせるわけにもいなかい。
ダグラスは、未だ訪れない睡魔を無理やり引き寄せて、眠りについた。
次の日のダグラスの任務は、いつものごとく王城前の城門の警備だった。
時折、生あくびをかみ殺しながらも、真面目に任務をこなすダグラスを、王城の一室の窓から、エンデルクとブレドルフ王子が眺めていた。
「へえ、ダグラスがね……」
「はい」
「ふーん……。相手は、あのエリーって子か。……お似合いだね。」
「はい」
人好きのする柔和な顔の王子の言葉に、いつも変わらず無愛想なエンデルクが生真面目に返事をする。
「で、ぼくに、ダグラスの相談にのってやれって?」
いたずらっ子のような笑みを浮かべながら、王子はエンデルクを見る。
「はい。王子はそのようなことが、お好きでしょうから。」
堂々と、国の王子――上司に自分部下の相談に乗ってやってくれと、頼みに来る部下など、聞いたことないな、と少しあきれたような顔をした王子だったが、こんな面白そうなことを逃す手もないだろうと、2つ返事で引き受けた。
そして、エンデルクがこんなある意味非常識なことを言うようになった原因であろう、自分の友人でもある女性を思い浮かべて、王子はエンデルクに気付かれないように笑った。
【To be continued】
一応、2月14日にアップした「想いが伝わる日」の続編です。
他の登場人物(マリー、ルーウェン、ハレッシュとか)も出したかったのですが、
前回、長すぎるとの苦情を受けましたので(泣)、
ただでさえ長めの物を更に長くするのはどうかと思い、我慢しました。
別の機会にでも書けたらいいな……。
ほんの少しだけ、伏線張ってます。
(まるわかりだとは思いますが……)
(05.03.09)
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