青年がシュワルベに向かって飛び掛ってきた瞬間を見逃さず、盗賊は一目散に逃げ出したようだった。

(……さて、どうしたものか……?)

青年と剣を交わしながら、シュワルベは冷静に考える。

技はまだまだ荒削りだが、その動きと力、相手の攻撃に対する反応の早さを見れば、シュワルベよりはるかに上をいき、普段であれば、容易とまではいえなくとも、決してシュワルベに遅れなどとらない力量の持ち主であろうことは、すぐに読み取れた。

だが、青年は、惜しい事に心に余裕がないらしく、おそらくいつもの実力が出し切れていないように思えた。

身体の動きと、呼吸が合っていないのだ。

「……惜しい。」

「!?」

ポツリとつぶやかれた言葉に、青年は激しく反応を見せ、そして、次のシュワルベの攻撃を避ける際に、体勢を崩した。

その隙を見逃すほど、シュワルベは甘くない。

キンッ――。

……と、硬質な音がして、青年のつるぎが飛ばされ、近くの木の幹に突き刺さった。

「……ック……。」

悔しそうに眉をひそめる青年に、シュワルベはため息をついた。

「……何を焦っているかは知らんが、落ち着け。……呼吸が合っていない。」

「な!?」

まさか、こんな事を言われるとは、夢にも思っていなかったのだろう、驚いたように目を見開いた青年は、呼吸すらすることを忘れているようだった。

驚きのあまり、戦意をなくした相手を確認し、シュワルベはファルカタを退いた。

「……どんなときでも冷静に対処できなければならん――と、エンデルクに学ばなかったのか?」

「――!! おまえ!?」

「……何故、聖騎士がこのような場所に単独でいるのかは知らんが、一人で行動するのなら、余計に気をつけることだ。」





「……おまえ、一体何者だ!?」

ダグラスは、目の前にいる相手が隊長の名を出し、しかも、よく知っている相手を語るような自然な口調に驚愕した。

この相手は、有無を言わせず襲い掛かっていった自分に対して、怒りを覚えるわけではなく、落ち着かせる為にわざと剣を交わし、おまけに指導のような真似事までしてきたのだ。

「……………。」

「何故黙る!?」

ダグラスには、相手の男が全く理解できなかった。

ダグラスに対して敵ではないというような行動をとっておきながら、正体についてだんまりを決め込む理由が見つからなかったのだ。

ここで、ひとつ、ダグラスは大きく呼吸をした。

相手が盗賊でなかったことは残念だったし、おまけに抑えていた盗賊を逃がしてしまったことからも、あせりを感じていたが、とりあえず、気持ちを落ち着けることにしたのだ。

「……おれは、ダグラス・マクレイン。シグザール王国、王室騎士団、聖騎士隊第一中隊隊長を任ぜられている。」

そうして、改めて正式に名乗りをあげた。

男は、いきなり落ち着いた様子で名乗ったダグラスに、少しだけ驚いたように目を見開いた。

だが、それはほんの少しの変化だけで、すぐにもとの無表情に戻った。

「……………。」

「…………。……あんたの名前は?」

それでも名乗ろうとしない相手に、また少しムッとしながらも、ダグラスは促した。

「……ザッツだ。」

ボソリと告げられた名前に、どうしてここまで言うのをためらったのか、ダグラスはわからなかった。

「……で、あんたは何をしてるんだ?」

「おまえには、関係のないことだ。」

「……こんな、盗賊が出没する森の中にいるやつが言う言葉か?」

キッとにらみつけるように男を見たが、男は、全く意に介した様子はなく、ただ、黙って立っていた。

「……何とか言ったらどうだ!?」

「……時間が惜しい。」

「!!」

そう、最後に一言言うと、男はその場からザッと、身を翻した。

「おい、待て!!」

ダグラスが叫んだ言葉に反応したのか、一度男は立ち止まった。

「……盗賊のアジトは、南東、山の中ほどにある岩屈だ。」

「な!?」

「おい、待て!!」

ダグラスは叫んだが、男の声はもう、返ってこなかった。

男は振り向きもせずに、足音も、衣擦れの音さえ立てず、気配を再び森に溶け込ませると、不規則に生えそろった木々の間を、全く障害物などないかのように、静かに森の中へ消えていった。

「……何もんだ、あいつ……。」

不振人物であることは、疑いがないと思う。

だが、エンデルクを知っているような口ぶりと、ダグラスに対する対応の仕方が、男を、一言でそう言い切るには、頭のどこかが否定した。

ぎゅっと、奥歯をかみ締める。



『どんなときでも冷静に対処できなければならん。』



ザッツと名乗った男に言われた言葉は、確かに、エンデルクによく言われる言葉だった。

感情に支配されやすく、熱くなりやすい自分に、エンデルクはしばしば言って聞かせていた。

「……初めて会った奴に、指摘されるとは思わなかったな。」

ポツリとつぶやいた言葉は、自分に対するあざけりを含み、どこか、遠くで聞こえた――……。



―――――――――――――



調査隊組織のために、あわただしくなったザールブルグの王城の中で、忙しく動き回っていたエンデルクの元へ、文書庫の執務官が駆けて来た。

「エンデルク様!」

「……なんだ。」

いつもと全く変わらない無表情で答えるエンデルクに、少したじろいだようだったが、若い執務官は、持っていた手紙をエンデルクに差し出した。

「あ、あの! 余計なものだったら、も、申し訳ないのですが……、エンデルク様宛てにお手紙が届いていたもので……。」

何故か、うつむきながら、不安そうな声で言う執務官を不思議に思いながら、エンデルクは手紙を手にとった。

「………………。」

その手紙には、宛名どころか、差出人にの名前すらなかった。

こういった手紙は、不審文書として、文書庫の方で処分されることになっていたはず――、とエンデルクはその執務官にもう一度目を向けた。

そのエンデルクの目線に、その意味を問われていることに気付いたのか、執務官は、恐る恐る言葉を発した。

「も、申し訳ありません……。ただ、……そ、その……、何故か、非常に気に……なったもので……。その……、俺……、いや、私の独断で……。」

「……つまり、これは、文書庫を通過したものではないのだな?」

「……いえ、そ、その……、上司が、不審文書として処分しようとしたものなのですが……。」

自分でも、納得のいかないと思われる言い訳をしながら、執務官は、叱責を受け、悪ければ処分されるかもしれないと、冷や汗を流しながら、言葉を紡いだ。

何故なのか、本当に、自分でもわかっていなかった。

ただ、どうしても、これは届けなければならないと、そう、思ったのだ。

エンデルクは、ひとまず害がなさそうな事を確認し、とりあえず見てみることにして、小柄を取り出し、封を切った。

そのエンデルクを見て、執務官は少しだけ、胸をなでおろした。

エンデルクが慎重に開けた封筒から出てきたのは、何の変哲もない白い便箋が一枚と、……金属のかけらだった。

(この金属――グランツ銀か……。)

魔法力が備わっているという不思議な金属が、持ち主の意思を反映して、エンデルクのところまで手紙を届かせてきたのだろうか――。

「……どうして、わたし宛だと?」

「あ、あの……。」

「何だ。

「は、はい。『エンデルクに届けろ。』と、一言だけ言って、木の鳥が落ちたんです。」

「…………………。」

紙には、決して洗練されているとは言えないながらも、几帳面な相手の性格がよくわかる、落ち着きのある整った字が書かれていた。

どこかで見たことがあると思いながら、エンデルクは内容に目を通す。

「………………。」

まだ、不審な手紙を届けてしまったのではないだろうかと、責任を感じていた執務官は、中身を読むエンデルクの表情が徐徐に変化していく様を、生きた心地がしない様子で見ていた。

「あ、あの……?」

「ああ、届けてくれたこと、感謝する。」

「へ?」

エンデルクは、何がなんだかわかっていない様子の執務官には目もくれず、その手紙を握り締めると、身を翻し、歩き去った。

「え?」

その様子を、ただ、呆然と、執務官は見送ったのだった。



【To be continued】






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