ゴーザという男は、『ロッソ』に向かって頭を下げた。
だが、ゴーザが言う『主』が、シュワルベの知っているロッソではないことは、シュワルベの目には明らかだった――。
すかさず、膝をついたままのザッツに2太刀目を浴びせようとするゴーザに、慌ててウルリッヒが飛び掛る。
ゴーザは、獣のような身軽さで、ウルリッヒの攻撃をかわした。
ダグラスも急いで体勢をたてなおした。
「ザッツと言ったか。……しっかりしろ。」
ウルリッヒは、膝をついた男に声をかけた。
「……かまうな。」
そう一言答えた男の口から、血がこぼれた。
「…………。」
ウルリッヒは眉をひそめた。
ウルリッヒがすばやく無言で手渡した薬を、男は少しだけ躊躇したものの、結局素直に受け取りはしたが、本当に応急処置くらいにしかならないことは、誰の目にも明らかだった。
早急に、医者や錬金術師――魔法力の高い人間に手当てをさせる必要がある。
だが、思い当たる人物――リリーは、女たちとともに外へと出した。
ダグラスの求める相手も、錬金術師ではあるらしいが、……無事かどうかわからない。
ウルリッヒの思考を邪魔するかのように、ゴーザと黒い影が同時にウルリッヒに襲い掛かってくる。
ウルリッヒは、とりあえず負傷した男を庇って壁際へと飛び退いた。
「……俺のことは放っておけ。」
庇われたことが不服なのか、それとも別の理由からか、ザッツは不機嫌そうな顔でウルリッヒを睨む。
その様子にそんな場合じゃないとわかっていながら、ウルリッヒは苦笑した。
プライドが高く、頑固な人間は嫌いじゃない。
一瞬、空気を和ませたウルリッヒの耳に、また、あの不快な『音』が聞こえてきた。
『あっはっはっ!! なさけねーなあ。なあ、頭。』
「……………。」
『音』は不快で、おまけに、地鳴りは警戒心を呼び起こす。
だが、それと同時に言われた言葉の意味に、ウルリッヒとダグラスが目を見開いた。
「頭?」
「………………。」
負傷した男――ザッツという名前らしい男は、何も答えなかった。
ただ、目の前の黒い影の塊を静かに睨みつけるだけだった。
「おまえ! 盗賊じゃないと――!!」
ダグラスが驚いた表情のまま叫ぶ。
『へーえー。そんな嘘、ついてたのか?』
不快な声と、地鳴り。
シュワルベは、思いきり顔をしかめた。
「――貴様!! ロッソを語るのをいい加減にしたらどうだ!!」
見た目、無口で、冷静そうな男の叫びに、ダグラスはまた驚いた。
ザッツは、叫んだ拍子に咳き込み、また血を吐いた。
「仲間意識だけは、強いようです。……その割に、何故、仲間になるのを断ったのでしょうなあ?」
ゴーザと呼ばれた男が、黒い影の塊の側に立つ。
『人間というものの、意地か? ばかばかしい。一度は盗賊に身を落としたものが、何をしようとムダだろうに。』
面白がっている様子の黒い影に、ダグラスは、心底不快な気分にさせられた。
ザッツという人間が、元、盗賊で、最初ダグラスが切りかかった人形の相手が、ザッツの元部下だったのだろうと想像はついた。
今、自分たちが対峙している相手は、おそらく、その『ロッソ』という人間をのっとった化け物なのだろう。
仲間割れか、裏切りか。
それとも――。
そんなことを考えているダグラスの目の前で、ゴーザと呼ばれた人間が、影に取り込まれていく。
初めは見間違いかと思った。
だが、改めて見直したダグラスの目にも、ゴーザの体が徐徐に、黒い影に飲まれていくのが見えただけだった。
しかしそれは、決して無理やり取り込んでいるようには見えず、逆に、ゴーザがそれを望んでそうなっているように見えた。
時間にして、ほんの数秒。
ゴーザを完全に取り込んだ黒い影の塊は、また、人型をとった。
だがその姿は、通常の人の3倍もの大きさがあり、ロッソにも、ゴーザにも似ていない、不気味な雰囲気をもつ、黒い巨人だった。
その瞳は、黒い穴がぽっかりあいたかのように、無機質な空洞のようで、すべてを飲みこんでしまいそうな、深淵の闇を思い浮かばせた。
「……これは、また。」
ウルリッヒは、久しく感じていなかった闘争心を煽られ、どこか感心したようにつぶやいた。
だが、瞬時に気を引き締める。
ダグラスは、体中の毛が総毛立つような感覚に襲われた。
ザワザワと皮膚があわ立つ。
「…………。」
シュワルベは、荒い息を抑えながらも、ただ、その巨人を睨みつけていた。
「マリー! あれじゃない?」
森の中、先頭を進んでいたミューが、すぐ後ろにいるマリーに声をかけた。
そのミューの指先がさす方向に、ぽっかりと山肌に空いた洞窟が見えた。
「あれね!」
マリーの青い瞳がきらっと光り、形のいい唇をゆがませ、笑みが浮かんだ。
その笑みに、ミューは、背筋がぞっとし、「あはは……。」と力なく笑った。
まだまだ距離的にはかなりありそうだが、それでも目的地が視認できたことで、マリーの気は少しだけ収まったようだった。
マリーたち一行が、洞窟を視界に捉えたままめざして歩いていると、洞窟では何か騒ぎが起こっているのがわかった。
「……ダグラスかな?」
ルーウェンの言葉に、アイゼルが頷く。
「おそらく。……あの門番が暴れているに決まっています。」
言い方はどうかと思うが、それでも、ダグラスの強さと、エリーへの気持ちを理解しているアイゼルの表情は、どこか柔らかかった。
「……そうだな。」
そう言って、もう一度、洞窟に目を向けたとき――。
「あれは?」
洞窟の中から、女の集団が出てきた。
1人の年配の女性に率いられ、一丸となって、女たちを捕らえようとしているらしい盗賊を相手に、爆弾の類を投げつけて退治していた。
その年配の女性の道具の使い方、武器の振るい方で、錬金術師であることが、遠目にもルーウェンにはわかった。
が、次にルーウェンが気付いたとき、すでにマリーは、その女性達を助けるために、盗賊たちの中へ飛び込み――、一瞬にして、片をつけていた。
唖然としたのは、逃げてきたらしい女性達。
マリーの魔法攻撃の影響で、舞い上がった砂埃の中、驚いて、どこか怯えた表情さえ浮かべて、マリーを見ていた。
その中で、唯一、マリーに対して気後れしなかったらしい、年配の女性が、マリーたちに向かってニコリと笑った。
「ありがとうございます。」
「あ、いいえ。ぜんっぜん、気にしないで下さい。」
盗賊たちに溜まっていた鬱憤を少しばかり吐き出すことができて、マリーは、少しだけ晴々とした表情で答えた。
そのことに気付いた女性は、苦笑した。
マリーは、答えながらも、女性達の顔をざっと確認して、せっかく少し晴れた気分が重くなり、顔をしかめた。
エリーがいない。
「……どうか、されまして?」
そのマリーの様子を敏感に感じ取ったらしい女性は、心配そうに尋ねてきた。
「……つかまってた女は、これで全部!?」
「え? ……おそらく。」
年配の女性――リリーは、マリーの剣幕に少しだけ驚いたように答えた。
ようやく砂埃が収まってきて、マリーの周囲に他のメンバーが駆け寄ろうとしたが――。
「エリーがいない!!」
マリーの叫びに、ミュー、ルーウェン、アイゼルが動きを止め、顔の表情が硬くなった。
「どういうことですか!?」
気を取り直したらしいアイゼルが、リリーに詰め寄った。
「『エリー』……? ……ダグラス……の?」
リリーも、聞こえてきた名前に呆然とつぶやいた。
先ほど別れたとき、ダグラスはどんな顔をしていたのか……?
彼が、あれほど求めた女性が、この中にいないことなど、彼はあの時、すでにわかっていただろう。
「ダグラスを知っているのか?」
ルーウェンの言葉に、リリーは頷いた。
「ええ。今、私の夫とともに、この洞窟の奥にいるわ。」
その言葉を聞いたとたん、火がついたように、マリーは洞窟へと飛び込んでいった。
その後をミューも追おうとして――。
「待て、ミュー!!」
「え?」
ルーウェンに呼び止められて、ミューはピタッと立ち止まって振り向いた。
「……君は、サイードと共にこの女性達と山を降りてくれ。」
「ええ!?」
「……本当は、アイゼルに頼みたいことだけど――。」
「いやです!」
チラリと視線を向けられたアイゼルが、きっぱりと言った。
「――な?」
ルーウェンの言いたいことがわかって、ミューは、ちょっとだけ残念そうに笑った。
「はーい。了解〜。」
「……というわけで、この2人をつけますから、人里まで下りてください。」
ルーウェンの言葉に、リリー神妙に頷いた。
「ありがとう。確かに私1人では、この全員を守ることは難しいことですから、助かります。」
「お気をつけて。」
「ええ。あなたも。」
リリーの返事を聞き、アイゼルと共にルーウェンは洞窟の中へと飛び込んでいった。
その様子をリリーは心配そうに見つめていた。
「大丈夫ですよ。絶対。マリーは、ものすごく強いし、ルーウェンもああ見えて、歴戦のつわものなんですよ!」
そのリリーを励ますように、あっけらかんとした様子で言うミューの言葉に、リリーは苦笑した。
「……あなたも、強そうだわ。」
「えへへ。ありがとうございます〜。」
ともかく、この女性達を安全な場所に移動させるのが先決とばかりに、リリーとミュー、サイードは山を下り始めた。
一見軽い様子に見えるミューも、チラ、チラと洞窟を、リリー以外の他の人間に気付かれないように振り向いていた。
ただ前を見つめ、それを見て見ぬ振りをしていたリリーの心中も、決して穏やかではなかった。
(ウルリッヒ様、ご無事で。どうか、ダグラスを……。)
心の中で、リリーはこの世の中で最も信頼している伴侶に向かって祈った。
ダグラスが自暴自棄になって、命を粗末にしないように。
決して、絶望に打ちひしがれて、正気を失わないように。
どうか、支えてやってください。
リリーの切なる祈りは、ただ、森の木々に溶け込んで消えていった――。
【To be continued】