ザールブルグを経ってから、数日。
通常の行軍より早いペースで、エンデルク率いる討伐隊は、盗賊団がアジトを構えているとの情報があった山を視界にいれていた。
「……皆、無事でいろ。」
それぞれ、個々の力を信用してはいるが、どんなときにも危険はつき物だ。
完全には、安心できることはないと、エンデルクは身をもって知っていた。
「皆、ここから、山道の傾斜に入る。覚悟をしておけ。」
エンデルクの言葉に、討伐隊の隊員たちは、神妙な顔でうなずいた。
山道へ入り、そしてさらに傾斜の激しい、森の道なき道に足を踏み入れた討伐隊は、通常よりもさらに慎重にあたりの気配を探りながら、一歩一歩踏みしめるように足を進めていた。
そのとき、エンデルクは、ある物音に気づいた。
「――エンデルク隊長……。」
エンデルクのすぐ後ろを進んでいた聖騎士のルドルフも、同じく気がついたようで、緊張した面持ちでエンデルクの顔を仰いでいた。
討伐隊の内、過半数の者が、その物音に気づいているようだった。
「ああ。」
遠くから響く、聞きなれた音。
足を進めれば進めるほど、その音は大きく、断続的になっていた。
「……誰かが、爆弾を使用しています。」
ルドルフの言葉に、エンデルクは無言でうなずいた。
『誰か』と言ってはいるが、エンデルク、そして、ダグラスの部下であり、友人であるルドルフにはわかっていた。
特に、エンデルクには、考えるまでもなく、その爆弾を作った人間であろう女性の顔が頭に浮かんでいた。
「……マルローネ……。」
無事であったことを喜ぶべきか、それとも、あまりにも派手な爆弾の使い方をしている相手、その敵に、危険を感じるべきか。
エンデルクは軽くため息をついた。
しかし、次の瞬間、すぐ近くで、獣でも、魔物でもない、人間の気配を感じ取った。
かなりの人数がいる。
だが、いきなりその気配がとまった。
討伐隊の隊員たちも、その気配に気づいており、警戒の態勢をとり始めていた。
しかし――。
(殺気がない。)
その大半が、足音さえ消すことのできない、素人同然の歩き方をしていた。
しかも、エンデルクが感じ取った足音は、異様に軽かったように思う。
その気配の主たちは、どうやら、討伐隊とそう遠くない場所で立ち止まったようだったが、その中の一人が、気配をほぼ消しながら、こちらに向かってきているようだった。
その気配を追いながら、エンデルクは隊の人間を見回した。
気配を消すことができない様子の大人数の方の歩みが止まったことには、全員が気づいていたようだが、ついで、一人離れた気配に気づくものは、手だれの数人だけのように見えた。
その数人に、エンデルクは、相手の正体を確かめる前に攻撃は決してしないよう、目でいい含めてから、自分の気配は消さず、その気配の主が自分に気づき、姿を見せるのをじっと待った。
――――――――――――――
「ミューさん。」
「はい、何ですか? リリーさん。」
列の真ん中を歩くリリーから、先頭を行くミューに声がかけられた。
山の傾斜に広がる森の中、とらわれていた女性を連れたミューとリリー、そして、サイードは、順調に山を下っていた。
「あちらの方へ、行ってみません?」
リリーが指差す方へ、ミューは顔を向け、木々のせいで見渡せるはずもない方向を、なぜか目を細めて眺める様子を見せた。
「あー……。」
そして、納得したように、首を振った。
「どう?」
「うん、そうしましょー。」
ミューと、リリーの間だけで交わされた言葉に、サイード他、女性陣は、ただ、首をかしげただけだった。
「うーん……、このまま、進んでいいと思います?」
先ほどの、ミューとリリーの間のみで言葉が交わされた後、ほんの少しだけ、今まで進んでいたルートから逸れて、まっすぐ進んでいたミューから、リリーへ質問がとんだ。
「大丈夫、と、思うけれど……。」
少しだけ首を傾け、困ったように笑うリリーに、ミューは頭をかいた。
「んじゃ、あたしだけ、先に行って様子見てきます!」
「ええ、お願いね。」
うなずいたリリーを確認して、ミューはこの場にとどまるよう、全員にそういうと、柔らかい土の上、木の葉や、木の枝が落ちているにもかかわらず、まったく足音を立てることなく、そのまままっすぐに進んでいった。
「……リリーさん。」
ここまでつれて来てもらった女性陣たちは、ひそひそと何があったのか、お互いに話すものの、実際リリーに問いかけようとする者はいなかったが、最後尾を進んでいたサイードだけが、リリーに疑問をぶつけた。
「こっちには、何があるんですか?」
まったく分からない、といった顔で問いかけるサイードに、リリーは困ったように微笑んだ。
「あなたも、冒険者を名乗り、守りたい人がいるのなら、このくらいのことは自分で気づいてもらわないと……。」
そう言われて、サイードは、ムッとしたように眉をひそめた。
その様子に、若さ、未熟さをさらに感じ、リリーは苦笑した。
サイードという名に、聞き覚えがあった。
たしか、教え子のアニスが、困った幼馴染がいるのだと、嬉しそうに話していた。
今、アニスはザールブルグのイングリドの元で勉強をしているはずだ。
彼らは、ザールブルグから来たという。
おそらく、間違いはないのだろう。
アニスを守りたいと思うなら、もっと、もっと強くなる必要が、この青年にはある。
「……もっとも早く、自分で気づけるように、頑張りなさい。」
それだけを言って、結局教えようとしてくれないリリーに、サイードはただ、不満の目を向けたのだった――。
一人になって、ほぼ気配を消したまま、ミューは、先ほどから自分たちが目指していた、大勢の人の気配がする方向へとずんずんと進んでいった。
そして、その気配が立ち止まり、その中の数人だけが、自分に注意を向けているのを感じていた。
「ふむふむ。気づいてる人と、気づいてない人がいるな。」
能天気にそう小さくつぶやくと、ミューもまた、慎重に相手の気配を探りはじめた。
しかし、程なくして、目が丸くなった。
一人だけだが、忘れようもない、よく知った気配を感じ取ったのだ。
感じ取れたのは、偶然ではなく、おそらく、自分がここにいるのだと知らせるためにわざと気配を消さなかったからだと、ミューにはよくわかった。
すーっと息を吸うと、ミューは叫んだ。
「エンデルク――?」
一応の警戒態勢をとっていたエンデルクたち討伐隊のメンバーの耳に届いたのは、なんとも気の抜ける、隊長を呼ぶ女の声だった。
唖然とした表情で、皆の視線がエンデルクに集まる。
エンデルクは、思わず心中でため息をついた。
「そうだ。」
少し大きめに、呼びかけてきた相手に聞こえるように答えたエンデルクの元へ、浅黒い肌の妙齢の女性冒険者がひょっこり顔を出した。
「あー! ホントにエンデルク! 早かったね〜。」
緊張感のかけらもない、能天気な話し方に、ミューをはじめて見たらしいエンデルクの部下たちが、口を間抜けのようにあけたまま突っ立っていた。
「……お前がここにいるのに、マルローネはまだ戦っているのか?」
エンデルクたち討伐隊が、とりあえず身近な気配に注意を向けている間も、爆弾の音は続き、そして、それが治まってきたと思ったら、次に魔法攻撃の気配がしていた。
「ああ、うん。そうみたい。……結構、手ごわそうな感じだったけど……。」
「……お前は、何をしている?」
「あ、捕まってた女の人たちを先に安全なとこへ連れて行ってくれって、頼まれたの。」
「なるほど。わかった。」
それで、すべて納得がいった。
つまり、途中で止まった素人集団の気配は、その女性たちだったというわけだ。
それが分かった次のエンデルクの行動もはやかった。
エンデルクが引き連れてきたのは、聖騎士20名の精鋭部隊だった。
ただの盗賊討伐にしては大げさすぎるような編成だったが、万が一を備えた万全の装備だった。
特に、今回のように、未確認事項が存在する相手の場合、このくらい備えておくことが、大切だった。
とりあえずリリーたちが待機していた場所へ、エンデルクは隊を進め、そのうちの3人に女性たちの護衛を命じ、ミュー、リリー、サイードと共に、先に山を下らせることにした。
「んじゃ、後、よろしくね!」
国一番の騎士であるエンデルクに対して、なんとも軽い感じのミューに、討伐隊の隊員たちは、複雑な顔をしていたが、当のエンデルクに気にした様子はなかった。
リリーは、エンデルクに話しかけるとき、少しばかり困った顔をしていたが、その点についても、エンデルクは何ら反応することはなかった。
「――エンデルク隊長。後を頼みます。」
「はい、お任せ下さい。」
エンデルクの対応は、単に、目上の、しかも女性であるリリーに対して、何の不自然さもなかったが、なんとなく、ミューは、エンデルクの雰囲気が、いつもと違うような気がしたが、特に問題とするものでもないだろうと、次の瞬間には忘れてしまっていた。
エンデルクたち、討伐隊は、その後、ミューたちが下ってきた方向へ向かって、進み始めた。
その姿が完全に木々に隠れて見えなくなるまで、残りの隊員たち、そして、ミュー、リリーたちもまた、じっと見つめていた。
【To be continued】