「キサマラ全員に、ジゴクというものを見せてやる――。」
レイスは怒りに燃えたまま、羽を大きく広げ、羽ばたいた。
「逃げる気!?」
その行動に、マリーは逃がすかとばかりに、杖を構え、呪文を唱える。
「月と星のロンド――!!!!」
マリーの気合が込められた、最高クラスの魔法攻撃。
その攻撃は、レイスの体に命中し、レイスが叫び声をあげた。
「ガアアアア――!!!」
ウルリッヒが使用した、『奇跡の杯』というものが、レイスにダメージを与えやすく働いたようだ。
「よし、いける――。」
思った瞬間、レイスがマリーにめがけて滑空し、体当たりを仕掛けてきた。
早い、間に合わない――。
その瞬間、誰もが、逃げられない、と、そう思った。
マリーのおよそ10倍は軽くあるだろう、レイス体格からの衝撃を予想して、だめもとでマリーは防御をし、眼をつぶった。
が――。
「…………?」
いくら待っても訪れない衝撃に、マリーは恐る恐る目を開けた。
そこには――。
「……シュワルベ……?」
マリーの前に、マリーを庇うように立ちふさがっていたのは、シュワルベだった。
「シュ……。」
嫌な、予感がした。
シンと、何故か、仲間たちが静まり返っていた。
「……シュワルベ……?」
再度呼びかけたマリーの耳に、ポタリと、何かがシュワルベの体からつたい落ちるのが聞こえた。
マリーの見ている前で、シュワルベの背中が赤く染まる。
「はーはっはっは! バカな頭だ!!」
レイスの歓喜の声が聞こえた。
シュワルベの腹部に、レイスの爪が、深々と突き立てられていた――。
次の瞬間、シュワルベが、ゴボッと嫌な音を立ててむせ返り、大量に口から血を吐いた……。
「シュワルベ――!!」
叫んだのは、ルーウェンだった。
「頭。」
自らの爪で重症を負い、苦しげに息をはきながらも、ロッソがあこがれた強いその瞳で自分を睨みつけるシュワルベに、喜悦を感じ、レイスがシュワルベに向かって口をゆがめた。
「…………。」
シュワルベは、口の中に広がる、大量の血の味に苦い笑みを浮かべた。
今度こそ、やばいかもしれないと思った。
だが、あのまま、マリーがこの攻撃を受けていたかもしれないことを考えると、この行動が間違っていたとは思わなかった。
既に、全身ボロボロで、気力のみで意識を保っているような状態だった。
だが、間違っても、目の前のレイスにそんなことを悟られるつもりはなかった。
生ぬるいものが、肌に広がる。
……すでに、痛覚が麻痺しているのか、息苦しい、生暖かい感触は感じるのに、どうしてか、痛みを感じなかった。
「へーえー……。そーいや、その女、あのときの……。」
レイスは、そのシュワルベをしげしげと見たあと、シュワルベが庇った女に眼を向け、そして、今、気づいたように、楽しそうにそう言った。
「……………。」
シュワルベは、何も答えず、ただレイスを睨みつけた。
「ちょっと! 私は、あんたなんか、知らないわよ!!」
マリーは憤慨したように叫ぶ。
そんな場合じゃないと思いながらも、うかつにレイスに攻撃をしかけることが出来なかったのだ。
その苛立ちも加わって、マリーは、行動に移せない苛立ちを、叫ぶことでレイスにぶつけていた。
「いーや、間違いない。あのとき、聖騎士を引き連れてた、女錬金術師だ。」
そのマリーに、優越感でも働いたのか、レイスがニヤリと笑った。
「…………。黙れ。」
シュワルベの茶色の瞳に、剣呑な光りが宿った。
「それは、キサマの記憶ではない。……不愉快だ。」
腹部に致命傷になりかねない傷を負いながらも、自分を保ちつづけるシュワルベに、レイスは自分が飲み込んだはずのロッソの意識が興奮しているような気がした。
「まだ、言うか? あきらめの悪いやつだなあ。」
「……………。」
わけがわからないマリーは、話が通じているらしいシュワルベに、疑問の眼を向けた。
その間に、ルーウェンが慎重にレイスに近寄り、何とかシュワルベを奪還しようと飛び掛った。
が、レイスは慌てた様子もなく、自分の前足にシュワルベを串刺しにしたまま、攻撃を避け、後ろへと飛び退いた。
「グ……、ガハッ……。」
その衝撃に、感じていなかった筈の痛覚がよみがえり、同時に、シュワルベはまた、血を吐き出した。
「キサマ――!! シュワルベを降ろせ!!」
ルーウェンの顔が憤怒にそまる。
マリーはそれ以上レイスを動かせないようにそのルーウェンを手で制した。
マリーに、苛立ちの表情をルーウェンは向けたが、マリーの手が震えていることに気づいて、唇を噛み締め、今にもレイスに飛び掛りたくなる衝動を必死で抑えた。
「……何のこと?」
静かに問い掛けたマリーの声は、怒りの頂点を過ぎたのか、あまりにも落ち着いた響きを持っていた。
「……これは……、俺の昔の部下を……その、記憶を手に……入れている。……最初は、確かにそいつ……人間の、……形をしていた……。」
苦しい息の下、シュワルベが答える。
答えると同時に、また、シュワルベが咳き込み、ゴボリと血が口からあふれた。
「シュワルベ! もうしゃべるな!!」
「な、んですって……!?」
それで、マリーは全てを悟った。
つまり、人間を呑みこみ、利用して、おまけにその記憶を支配して、自分の思い通りに操っていたというのだ……。
表面上、決してそうは悟らせないが、仲間を思う気持ちの強いシュワルベにとって、それは、どんな気持ちだったのだろう……?
「……嫌な、やつ。」
「ああ。」
静かに、だが、決してマリーに劣る事のないほどに怒りを称えているルーウェンが頷いた。
「最低ね。」
「……本当にな。」
マリーの言葉に、また、ルーウェンが頷いた。
「……おまけに、聖騎士を怨んでるみたいだけど? それに理由でもあるのかしら?」
キッと睨みつけ、杖を突きつけながら、マリーが言った言葉に、レイスはピクリと反応した。
「理由ー? さあな?」
言いながら、ニタリと笑ったレイスは、また、黒い塊で攻撃を仕掛けてきた。
だが、今度のものは、洞窟内でシュワルベたちを襲ったものと同じで、剣でなぎ払えば問題のないものだった。
「シュワルベ盗賊団を、瓦解させたのが、私と一緒にいた聖騎士だから? ……それとも、おまえが、魔物だからかしら? 魔物だからだったら、なるほど納得ね。毎年、数え切れないほどの魔物が、聖騎士に狩られているものね。」
殺気を背中に背負いながら、マリーはニコリと笑った。
その言葉に、レイスは答えなかった。
だが、その態度こそ、それが図星だと告げているように思えた。
「やっぱりね……。」
マリーの声が低くなる。
「だから、エリーをいたぶったの……。」
その声は、なぜか、その場に響き渡り、そして、一人の男の闘気が、静かに燃え上がった……。
ダグラスは、ルーウェンのように飛び出して行っても、シュワルベの状況を悪くするだけだと、必死で気を静め、次に攻撃するチャンスを伺っていた。
エリーの無事を確かめたことで、焦る気持ちはなくなっていたはずだった。
だが、どこかで、エリーを傷つけた相手に対して、感情が高ぶり、思うように相手と対峙できていなかったように思えた。
だからこそ、『呼吸』を整え、はやる気持ちを静め、確実に相手をしとめるために、集中力を高めていたところだった。
だが、マリーと、レイスの会話で、自分のはやる気持ちが逆にエリーを傷つける原因となったことに気づき、必死で抑えようと思っていた怒りが、関を切ってあふれた。
レイスに。
そして……。
……自分に……。
その瞬間、ダグラスの頭の中から、全ての物音が消え、あたりは静まり返った。
ダグラスの目には、すでに、レイスしか見えていなかった――。
「ウオオオオオオオオ―――!!!!!!!」
獣の咆哮のような声を上げながら、ダグラスは突進した。
「ダグラス!!」
仲間の声が、耳に届いたような気がした。
だが――。
ダグラスの聖騎士のつるぎが、閃光のようにきらめき、宙をまった。
次の瞬間、その場にいた人間の耳に響いたのは、叫び。
地面を震わし、空間を切り裂くような、耳を劈く、何かの悲鳴だった。
一瞬、何が起こったのか、その場にいた人間たちにも理解できなかった。
だが、何かが地面に倒れる様子が視界に移り、次の瞬間、頭が目の前の状況を理解した。
ダグラスの放った一閃が、レイスの前足を切り落としたのだ――。
次に、自分が何をするべきか気づいたルーウェンが、慌ててその倒れたもの――深々と尋常でない大きさの、真っ黒な獣の爪が突き刺さったままの状態で地面に倒れたシュワルベに駆け寄った。
「シュワルベ!!」
「……ぁぁ……。」
かろうじて、意識があった。
だが、極めて危ない状況なのは、間違いがなかった。
「しっかりしろ!! 意識を保ってろよ!!」
言いながら、ルーウェンがすばやく、だが丁寧に、シュワルベの体をレイスから離れた場所へ移動させる。
そして、自分の緑のマントを切り裂き、止血をした。
何処もかしこもボロボロで、はっきり言ってどこから手をつけるべきなのかわからず、ルーウェンが噛み締めた唇は切れ、血が流れた。
「ルーウェンさん!!」
それでも必死で、自分が知る限りの知識を生かして、シュワルベの治療を始めたルーウェンの元へ、何時の間にかエリーが来ていて、手伝いはじめた。
苦しげに眉をひそめるシュワルベに、真剣な表情で汗を浮かべながら簡素な治療道具で必死に手当てをするエリーと、それを手伝うルーウェンの表情は、決して明るいものではなかった。
持っていた薬もありったけ取り出し、最も効力の強いものから惜しげもなく使用した。
どれほど貴重な道具だろうと、シュワルベの命に代えられるものなどない。
「……助かって! お願い!!」
必死にエリーが叫ぶ。
「ルーウェンさん! そっち、きつく縛ってください。」
「わかった。」
「シュワルベさん! 意識をしっかり持ってください!!」
すぐ近くにある顔から聞こえるはずの声が、とても遠かった。
「……………。」
「…………。」
少女とルーウェンが、必死に何か言っているのが解る。
だが、聞き取ることはできなかった。
エリーの必死の手当ての中、シュワルベは、その少女の真剣な表情が視界の中でぼやけていくのを感じた。
意識を失ってはまずいことは、重々わかっていた。
しかし、体が言う事をきかなかった。
(おわり……か……。)
心の中でつぶやいた言葉は、自分の死を目の前にしてさえ、いつもの口調と変わることはなかった。
まだまだ、戦闘は終わっていない。
マリーや、他の連中……。
何より、レイスのことが気になったが、それでも、シュワルベは、どこか満足げ気持ちのまま、そのまま、意識を手放した――。
【To be continued】