ダグラスの怒りは、レイスの前足を切り落としたくらいでは、収まらなかった。
「アアアアアアアアアア――――――!!!!!!!」
ダグラスの怒りの咆哮は、山を飲み込むかと錯覚させるくらいに大きく、空気がビリビリと振動した。
銀色のつるぎは絶え間なく宙を舞う。
その都度、レイスの口から苦しげな叫び声が上がった。
「グガガアアアアア―――!!!!」
聖騎士のつるぎがレイスの体を切り裂く。
突き刺す。
なぎ払う。
ダグラスの怒りに燃えた攻撃は、その無尽蔵の体力に後押しされて、逃げ腰になるレイスを逃がすかとばかりに追い詰めて、さらに攻撃を繰り返す。
ダグラスのその動きに、皆、唖然とし、立ち尽くしていた。
怒りに任せて攻撃を繰り返すダグラスは、ある意味ダグラスではなく、それでいて、普段のダグラスとは比べ物にならないほどに、――強かった。
「……これが、ダグラスの眠っている力、か。」
ポツリとつぶやいたウルリッヒの声に、シュワルベの治療をエリーに任せ、もどってきていたルーウェンと、アイゼルは機械的にわからないと首を振るのが精一杯だった。
マリーだけは、そのダグラスに、嬉しそうな顔を向けて、ニヤリと笑った。
「やるじゃない。……やっぱり、そうでなくちゃ。」
息をつく暇もないくらいに激しく動き回っているはずなのに、ダグラスの動きはまったく衰えることを知らなかった。
反撃らしい、反撃をダグラスにさせてもらえなかったらしいレイスは、重い音を立てて、地面に倒れた。
「はあ、はあ……。」
ようやく、そこで、ダグラスの動きが止まった。
さすがに、動きに現れていなかっただけで、内面的にはかなりの消耗があったらしいダグラスは、荒い息をつきながら、地面に倒れたレイスを睨みつけていた。
前足は片方なく、羽はボロボロに破れ、おそらくその機能をすでになさず、尾もどこかへ消え、何より胴体と思わしき場所に、無数の刀傷がのこされていた。
それらの傷口からは、血とも、体液ともわからない、外身と変わらない、真っ黒な影が溶け出したのかと思えるような液体のが流れ出していた。
「オノレ……オ……ノ……レ……。」
苦しそうな息の下、憎悪の瞳でダグラスを睨みつけている。
「セイキシ……メ……、ヨ……クモ……。」
「…………………。」
そのレイスの体が、皆の見ている前で、黒い靄のようなものがかかり始めるのがわかった。
「……何、を、する気……?」
呆然と、目の前の成り行きを見ていた全員が、一斉に武器を構えた。
「これを使え!」
ウルリッヒが、マリーとアイゼルに向かって、青い、何かを手渡した。
「……? これ、何?」
マリーは受け取りはしたものの、その正体がわからず、ウルリッヒの顔をジロリと見上げた。
「レヘルン……?」
アイゼルにしても、先程ウルリッヒから渡されたレヘルンに似ている、それより大きなそれの正体が解らないようで、真剣な表情で見つめた。
その間にも、レイスを包む靄はどんどん濃くなっていく。
ダグラス、ルーウェンがそれに向かって攻撃を繰り出していたが、一旦、その攻撃した場所の靄は周囲に散るように見えたが、すぐにまた復活する様を見て、キリがないと、少しばかり焦りを感じていた。
レイスが何をする気なのか、わからなかった。
「いいから。」
ウルリッヒに促され、マリーはその青いものを握り締め、アイゼルも覚悟を決めたようにレイスを見上げた。
そして、魔法力を集中させる。
「いっけえ――!!!」
威勢のいい掛け声と共に、その青いものは一斉にレイスの元へと放り投げられた。
ガシャ、ガッシャ――ン!!!!!
そして、それが、先程のレヘルンと同じ……いや、それ以上に大きい、ガラスの砕けるような音を発するとともに、辺りに冷気が走った。
「ふせろ!!」
聞こえた声は、ウルリッヒのものだったと思われた。
皆、その声に逆らうことなく、体を丸め、地面へとうずくまった。
同時に感じる、ピリピリと肌に刺さる冷たい空気。
そして、レイスの周囲に凝縮していたと思われる、黒い靄がその爆弾の衝撃により霧散し、ダグラスたちの肌や服を浅く切り裂きながら、飛び散った。
「……っ。」
一瞬のようで、長い時間、うずくまったまま全員が動く事を忘れていた。
「……しずまったか……。」
言いながら、最も早く立ち上がったのは、ウルリッヒだった。
目の前には、黒い氷付けの銅像――もとい、レイス。
黒い靄が霧散したせいか、それとも氷付けにされたからか、レイスは先程までより一回りほど小さく見えた。
誰もが、終わったと、一息ついた。
全員が、爆発によって飛び散った粉塵などで、薄汚れ、細かい傷をたくさんつけられていたが、それでも、大きな怪我がなかったことを喜んだ。
「……あんた、何もんなんだ……?」
その中でダグラスは、ウルリッヒに、今更ながら警戒を呼び起こされ、その青い瞳で睨みつけながら立ち上がった。
こんな強力な、しかも、見たこともないような武器を平然と持ち歩き、使用する。
一歩間違えれば、とてつもない危険人物になりかねないのだ。
「……20年……いや、30年ほど前なら、ザールブルグに普通にあったのだがな……。」
言いながら、ダグラスが自分に警戒を向けていることを知って苦笑した。
「今の、爆弾、……なんですか?」
アイゼルが恐る恐る訊ねた。
「ラングレヘルンという。レヘルンより、非常に攻撃力があるため、使うには、かなりの注意が必要だ。」
言いながら、まだ持ってたらしいラングレヘルンをマリーに手渡した。
「好きにするがいい。」
「……ありがと。」
ちょっとだけためらったものの、マリーは次に素直に受け取った。
その爆弾に興味があった。
「!?」
その瞬間、全員が、何かの気配を感じて振り返った。
氷付けになり、その活動を止めたと思ったレイスが、ギギギ……となりそうな固い動きで動き、始めていた。
「……しつこい、ヤツね。」
マリーの皮肉な笑みを浮かべた言葉を無視して、ダグラスは、今度こそ引導を渡すべく、つるぎを構え、気を集中させる。
ウルリッヒも、ダグラスにあわせて剣を構えた。
「シュベート・ストライク――!!!!!」
「アインツェルカンプ!!」
「ギイヤアアアアアアアアアアア――――――!!!!!!」
ダグラスと、ウルリッヒの必殺攻撃を受けて、レイスの体は砕け散った。
「……終わった……か?」
ウルリッヒがポツリとつぶやいた瞬間――。
「月と星のロンド!!」
とどめとばかり、地面に砕け散ったレイスの氷の塊に向け、マリーが魔法を放った。
その意図に気づいたアイゼルも同じように杖を構えた。
「ロートブリッツ!!」
「「「「「……………。」」」」」
皆が見つめる中、レイスは今度こそ、跡形もなく消え去った。
「やった……。」
「ええ!!」
「そうだな。」
漸く危険が去ったことで、皆の顔に笑顔が戻った――。
粉々になったレイスであったものの残骸は、土に混じり、風に飛ばされ、森の中に消えていった。
それを、ただ言葉もなく見送っていた全員の胸の内は、漸く穏やかさを取戻し始めた。
これで――、終わったのだと、全員が、安堵の内に、息を吐き、そしてお互いの顔を見合わせて、小さな笑顔を浮かべた――。
エリーは、目の前でだんだんその生気が弱まっていく男に対して、自分の無力さを実感していた。
後ろでは、皆が命がけで戦ってくれている。
なのに、自分は彼らの手助けすらできず、目の前の男性を助ける術さえ持たない。
「どうしたら、いいの……? どうしたら……。」
泣き出しそうなか弱い声で、応えを求めるでもなくつぶやきつづけるエリーに、ルーウェンもかける言葉が見つからなかった。
大丈夫だと、エリーを安心させる為だけの嘘を言う事は出来なくはなかったが、――したくはなかった。
グッと唇を噛み締めて、意識を完全に失い、徐除にその脈すら弱まっていくシュワルベを見ていた。
こんなところで、死なせたくない。
シュワルベは自分のことをどう思っているのかは解らない。
ただ、ルーウェンは、シュワルベをとても大事な仲間だと思っていた。
マリーを大切にし、マリーを守るために命さえ投げ出す。
それほどまでに、マリーを大事に思っているのに、それを伝えることを最初から諦めているようだった。
――おそらくは、マリーを困らせないために。
優しく、そして、不器用な男だということをルーウェンは知っている。
失いたくない、死なせたくない。
大切な、仲間だから――。
「シュワルベ――!!」
ルーウェンが、叫んだその時、背後で感じられていた、不気味な気配が、消えた。
エリーも感じたのか、2人でバッと勢いよく後ろを振り返った。
もうもうと、土煙が上がる中、戦闘の音は静かに収まっていた。
勝った、のか、と期待しつつも、警戒を解くことなく、視界がはれるのを待つ。
そして、視界が晴れたとき、中間達の元気な姿が目に映った。
(皆、無事だ。)
それが、エリーとルーウェンにとってはとても嬉しく、そして、勝てたことに安堵の気持ちがあふれた。
だが――。
楽観できない状態の男が、ここにいる――。
エリーは、ダグラスたちの気が落ち着くのだけを待って、そして叫んだ。
「ダグラス!!」
エリーの泣きそうな声で、ダグラスの顔が引き締まった。
「エリー!?」
慌てて駆けつけると、エリーの前に横たわる男が目に入った。
「ダグラス!! どうしよう!? 血が、止まらないの!!」
目の前で、自分を、そして皆を助けてくれようとした人が、徐々に弱っていく。
それがつらくて、悲しくて、何も出来ない自分が悔しくて、泣き言なんていいたくないのに、ダグラスが目の前にいるだけで、すがりつきたくて――。
情けないと思うのに、ダグラスに助けを求める自分が止められなかった……。
「……やばい、な……。」
エリーにすがりつかれるままに、ダグラスはシュワルベの容態をざっと診た。
ダグラスも怪我人は見慣れている。
この、シュワルベという男が、非常に危険な状態だということは、一目でわかった。
まだ、シュワルベに対する疑いを、完全に消したわけではないが、それでも、このまま死なせることは、避けたいと思った。
素性がどうあれ、ダグラスを庇い、マリーを庇い、そして、エリーが助けたいと願っている相手なのだ。
「アイゼル! マリーさん!!」
とりあえず、自分よりは医術に詳しいであろう2人に呼びかけたダグラスの感覚に、何かが触った。
「……?」
はっとした表情で森の方――山裾を向いたダグラスに、皆が不思議な顔をした。
が、ダグラスに遅れること少し。
全員が気づいた。
「……討伐隊だ。」
程なくして現れたのは、エンデルク率いるザールブルグの討伐隊だった。
エンデルクは、ぐるりと周囲を見渡して苦笑した。
「……遅かったようだな。」
「そうよ!! まったく、グズいんだから!!」
口は悪いながらも、エンデルクの登場にホッとし、泣き笑いになっているマリーの様子に、エンデルクは微笑ましさを感じたが、次に聞こえたダグラスの言葉に、その感情を吹き飛ばした。
「エンデルク隊長! 非常に危険な怪我人がいます。至急、救護斑を!!」
「わかった。」
エンデルクが頷くとともに、討伐隊メンバーの救護兵が進みでる。
野外では結局のところ、できる処置に限りがあるとはいえ、準医師の資格をもつ救護兵の手当ての方が、エリーたちよりずっと的確だった。
「……この患者は、至急、設備の揃った場所へ移動させ、早急な手術を施す必要があります。」
「……。」
救護兵の報告に、エンデルクは頷くと、担架を用意させ、丁重に運ばせることにした。
その際顔を確認して、少しだけ驚いたが、ある意味納得してそのまま部下に任せた。
「……さて、ダグラス。……状況を説明してもらおうか。」
ダグラスの隣に、きちんと自分の足で立っているエリーを確認して、エンデルクは表情には出さないまま、胸の内で安堵した。
「はい。……シュワルベ盗賊団の頭、と思わしき人物は――。」
「ちょーっと待った!!」
チラリと担架で運ばれていくシュワルベに視線を向けたダグラスを制して、マリーが声をあげた。
「あれは、無関係だと思うわよ。」
言いながら、マリーは担架で運ばれていくシュワルベを指差した。
「マリーさん!! けど、アイツの名前が――。」
目の前で言い争いをはじめようとする2人に、エンデルクは咳払いをした。
「今回、討伐隊がこのような速さでここにたどり着けたのは、1人の情報提供者がいたからだ。……『シュワルベ・ザッツ』という、な。」
「な!?」
ダグラスは、エンデルクの口から出た名前に驚いた。
マリーは、「ほーら、やっぱり。」と、勝ちほこったような顔でダグラスを見た。
【To be continued】