「……まあ、盗賊の首領ではなかったとしても、最も詳しいことを知っているのは、その『シュワルベ』という男だ。」
話が進まなさそうなマリーとダグラスに苦笑しながら、ウルリッヒがエンデルクの元へと歩み寄った。
「久しぶりだ、エンデルク。……立派に、なったな。」
エンデルクも、さすがに驚いたような表情をし、次に改めて姿勢をただして、正面からウルリッヒを見返した。
「ありがとうございます。……ウルリッヒ殿。貴殿もご健勝なようで、喜ばしく思います。」
普段から礼儀正しいエンデルクが、さらに姿勢を伸ばしてウルリッヒに頭を下げたことで、その場にいた全員――マリーたちだけでなく、現場検証を行っていたエンデルクの部下たちまで驚いたように固まった。
「……騎士隊長が、むやみに一般人に頭を下げるものではない。」
言いながら、ウルリッヒはエンデルクの肩をポンと叩いた。
そして、ウルリッヒが説明を始めた。
「わたしがダグラスと共に、ここに辿り付いたとき、シュワルベという男が、ロッソという、盗賊の幹部……もしくは、この盗賊団の実質的な頭だったのだろう相手と交戦中だった。」
ニコリと優しく微笑みを向けられて、続きを促されたダグラスは、驚いた表情のまま、後を続けた。
「ロッソは、魔物にとりつかれており、その意志を取り込まれ、後にレイスと名乗りました。そのレイスという魔物は、この場のメンバーの手を借り、退治いたしました。……盗賊団は、レイスの登場によって、かなりの人数が逃げ、そして死亡しましたが、残党がまだ森の中にいると思われます。」
「そうか。」
エンデルクは頷いた。
森の中の残党狩りは、すでに部下に命じてあった。
程なくして、その残党も片をつけられるだろう。
これで、ひとまず、魔物を操る盗賊の討伐は完了したと言える。
懸案事項だった、『魔物を操る人間』の存在について、魔物がとりついた結果、得た能力であることが予想できた。
それならば、前例はなくとも、全く考えられないとはいえない範疇の出来事だと思われた。
これで、ほぼ、解決したと、言えるのだろう。
その後、他、いくつかの事をダグラスに確認し、一段落したらしいエンデルクに、ウルリッヒが話し掛けてきた。
「リリーには、会ったか?」
「はい。奥方さまたちには、数名の部下をつけましたので、今ごろはふもとの村に無事たどり着いていることと思われます。」
「そうか、ありがとう。」
それだけを確認すると、やはりどこかホッとしたようにウルリッヒは微笑んだ。
「……いい、部下を持ったな。……すこしばかり、無鉄砲さが否めないが……。」
「ええ。……近いうちに、私が倒されるとしたら、間違いなくアイツであろうと確信しています。」
自分が倒されることを、嬉しそうに語るエンデルクを、少しばかり意外に思ったが、ウルリッヒは次に納得した。
時間が、過ぎたのだ――と。
自分が、ザールブルグを発って20年以上の年月が経っている。
落ち着いたその外見、性格では生来のものらしかったが、それでいて若く、猛々しいまでに勇猛だった少年は、落ち着いた、地位も立場も理解した大人の男にと変化していたのだ。
自らの力だけを追い求めるのではなく、後任の、若い騎士の成長を見守り、それを楽しむことができるほどまでに――。
「……わたしも、歳をとったものだな。」
隣に立つエンデルクにさえ、聞こえないほどの声で、ウルリッヒはつぶやくと、どこか寂しさを漂わせながらも、本当に嬉しそうに笑った。
「ねえねえ、あの2人、知り合いだったの?」
マリーは、エンデルクたちとは離れた場所で、傷だらけになった体を手当てしながら、ルーウェンにひそひそと訊ねた。
「……俺が、知るわけないだろ? ……ダグラスは、知らなかったのか?」
「……知らん。」
そのあまりの強さ、見たことも無い道具に、不信感を抱いた相手が、エンデルクと親しそうに話をしている。
どうも、居心地が悪かった。
「……門番、ウルリッヒさんの家名、わかる?」
アイゼルが、ダグラスに尋ねた。
「確か……。ウルリッヒ・モルゲン……、だったはず……。」
「モルゲン!?」
小声ながらも驚いたように反応したアイゼルに、全員の視線が向けられた。
「しってるの? アイゼル。」
エリーがきょとんとした顔でアイゼルに問い掛けた。
「……なんで、門番、知らないわけ?」
「……なんだよ、それ。」
あきれたように言われ、ムッとダグラスはアイゼルを睨みつけた。
「……元、聖騎士隊長じゃない。エンデルク様の前の。しかも、ザールブルグの貴族の出よ。……20年以上前に家を捨てて、出奔したって聞いてたけど……。」
「…………え。」
本当に知らなかったらしいダグラスに、アイゼルはこれ見よがしにため息をついた。
「あなたって、本当に、頭が足りないのね。」
「うるせえ!!」
顔を赤らめてアイゼルに噛み付くダグラスを放っておいて、マリーとルーウェンは納得したように頷いた。
「なるほど。それならあの強さに納得がいくわね。」
「ああ、本当だ。しっかし、驚いたな〜。」
うんうん、頷くマリーに、空を見上げながら頭をかくルーウェン。
喧喧囂囂とやりあうダグラスとアイゼル。
その日常に戻ってこれた嬉しさに、エリーは1人微笑んだ。
そして、いつまでも遣り合ってそうなアイゼルとダグラスに、疑問を投げかけた。
「ねえ、国に地位もあって、身分もあって、それでもって、騎士隊長にまで上りつめたんだから、人望もあるんでしょ? なのに、どうして、出奔なんてしたのかな?」
その疑問に、今までダグラスと言い合っていたアイゼルは、何事も無かったかのようにエリーの方を向いた。
そのアイゼルに、まだ何か言っているダグラスは、どうやら無視のようだ。
「さあ? はっきりと原因は知られてないわ。ただ、『他の何を捨てても、失っても、守りたい、やりたいことがある』と、彼は、そう言ったそうよ。……ヴィント国王の前でね。」
「「「「……………。」」」」
全員が、言葉をなくして黙り込んだ。
それほどまでに、大切なもの。
それは、どんなものだろう。
「…………。」
ダグラスは、無言でエリーを見つめていた。
なんとなく、ウルリッヒが守りたいもの、というものに、心当たりがあった。
そして、おそらく、自分も同じ事をしかねないことも自覚していた。
隣で笑う、エリー。
その存在を取り戻せたこと。
その笑顔が失われなったこと。
そのことを想い、全てが片付いたことから、本当に、心の底から今のこの瞬間を感謝していた。
(ザールブルグへ帰ったら――。)
伝えよう、この気持ちを。
2度と、後悔しないように。
守ろう、命をかけて。
この誓いは、決して破られることはない。
例え、エリーが自分以外の男を選ぼうが、それは同じだ。
……エリーが自分以外の男を選んだとき、おそらく、自分はエリーの前で平気で笑うことはできないかもしれない。
それでも、彼女の笑顔だけは守りたい。
自分のために、笑うのでは、なかったとしても……。
この笑顔、彼女の命を守るためなら、どんなことも耐えてみせる。
ダグラスは、優しい瞳でエリーをいつまでも見つめていた……。
ザールブルグへもどる前、ダグラスたちは、エンデルクの指示で、盗賊たちのアジトから最も近いシグザールよりの村へ訪れた。
そこには、先に山から下りていたリリー、ミュー、サイードがいた。
彼女たちが先に逃がした女性たちは、すでにこの村へ同行した騎士たちにより、身元の確認後、故郷へと送られていった後だった。
「みなさん、無事でなによりでした。」
リリーは、ダグラスたちの無事な姿に心底ホッとしたような表情で笑い、迎えてくれた。
そして、全員を見渡し、エリーに目を向けるとまっすぐに歩いてきた。
「あなたが、エリーさん?」
「は、はい。そうですが……?」
リリーは、じっとその琥珀の瞳を見つめたまま何も言わなかった。
「あの……?」
エリーがもう一度声をかけると、リリーはニコリと母親のように微笑んだ。
ダグラスたちから聞いてはいたが、初めて顔を合わせたはずの、ウルリッヒの奥さんであるリリーが、エリーを見て、とても懐かしそうに、そしてとても親しみのある笑顔で迎えてくれたことに、エリーは少しばかり戸惑った。
「無事でよかった。」
と、涙を浮かべてエリーの無事を喜び、そしてその手を握り締めてきたリリーに、エリーは拒絶することはなかったが、完全に混乱してしまったようだった。
その混乱して、戸惑うエリーを見て、リリーは少しばかり反省するように、苦笑した。
「ごめんなさいね。ダグラスから、事情を聞いていたものだから、とても心配していたの。……とても、いい青年ね、彼。あなたのことを、本当に大切に思っているのね。」
最後の言葉は、エリーにしか聞こえないように紡がれていた。
その言葉に、エリーの顔が、ポンッと音を立てて赤くなった。
「そ、そんなこと、な、ないですよ!! ……だったら、嬉しいですけど……。」
小声で、ゴニョゴニョと言ったエリーの独り言を聞き取って、リリーは微笑ましそうに笑った。
それからこの場にいたダグラス、マリー、アイゼル、ルーウェン、ミュー、サイードに順に目をやり、最後にウルリッヒに目を止めて、ニコリと笑った。
「今日は、嬉しいことばかり。怪我をしたシュワルベという彼も、何とか命を取り留めたし、エリーさんも無事だった。本当に、よかったわ。」
「そうだな。」
ウルリッヒがリリーの言葉に同意し、周りにいた全員も頷いた。
それを確認してから、リリーは、また、エリー、マリー、アイゼルを順番に見て、ニコニコと笑いかけた。
「何か?」
不思議に思ったマリーが、首を傾げて尋ねた。
「その上、可愛い妹たちの教え子が、こんなに立派な錬金術師になっているなんて、こんなに嬉しいことはないわ。」
そうして、少女のようにその女性は微笑みを浮かべた。
そのリリーのとても嬉しそうな顔につられて、その場にいた全員もそれぞれに笑みを浮かべて、その夜は、ささやかながら、楽しい晩餐となったのだった。
まあ、その『可愛い妹たち』が誰かというのを聞いたあと、3人の若い錬金術師たちだけでなく、その場にいたウルリッヒを除く全員が絶叫したのは言うまでもないことだったが――。
【To be continued】