「…………………。」
シュワルベは、意識が戻るなり見えた真っ白い天井を無言で見詰めていた。
自分が今、どこにいるのか把握できなかったものあったが、あの傷で未だ生きている自分に、半ば驚いていたのだ。
清潔な包帯で巻かれた傷口。
プンッと匂う、新しい薬草の香り。
多少引きつる感じは否めないが、すでに命に関るには程遠くなったであろう自分の怪我の具合を、冷静に判断していた。
そのシュワルベの耳に、廊下から硬い響きの足音が聞こえてきた。
その主に、心当たりがあり、同時に自分が寝かせられているこの部屋についても想像がついた。
「……気がついた、か。」
予想に違わずシュワルベの前に現れたのは、ザールブルグで唯一と言われる、黒い髪、黒い瞳の長身の男だった。
初めて見たときから、全く変わらず、自分と張るかもしれないと思える、その一見無表情に見える顔で、シュワルベを見下ろしてきた。
剣聖エンデルク・ヤード。
だが、その瞳は、見知ったものでなければ解らない程度のものではあったが、とても優しい光をたたえていた。
その瞳が嫌いで、シュワルベは目をつぶった。
「ああ……。……迷惑を、かけたようだ。」
「そんなことはない。……お前が、情報をくれ、あの場にいてくれたこと、とても感謝している。」
「………………。」
エンデルクの、何の含みのないその言葉が、シュワルベにはまた、落ち着かないものを感じさせた。
情報を流したのは、正義感にかられたわけでもなければ、エンデルクに感謝して欲しいからでもなかった。
ただ、そうしなければならないと、思ったからだ。
目を閉じたまま、黙り込んだシュワルベに、エンデルクは少し苦い思いを感じながら、無言で頭を下げた。
「……お前が、あの場にいてくれたおかげで、マリーは怪我をすることがなかったと聞いた。……礼を言わせてくれ。」
カチャカチャという鎧の硬質な音と、マントの衣擦れの音。
エンデルクが自分に向って頭を下げたということは、見ていなくても解った。
「……礼を言われる筋合いはないな。……俺がしたことは、俺の意志だ。……お前には、関係ない。」
頭を上げたエンデルクの目に、シュワルベの濃い茶色の瞳が映った。
意志の強い、自分を睨みつけるようなきつい眼差しは、初めて出会った頃から、変わることはない。
だが、その眼差しに含まれる感情には、大きな変化があったのだが――。
そのことは、解っていても、口に出すことではない。
シュワルベも、言い出すことは、決してないのだろう。
お互いの関係は、出会ったその時から、そして、これからもずっと変わらない、『敵同士』なのだから。
「……怪我が治るまで、ゆっくりとするがいい。……命の心配はなくなったとはいえ、重症であることは変わりないのだから。」
「……動けるようになったら、出て行く。……ここは、俺のようなものが居ていい場所ではないからな。」
「……………。」
そんなことはない、という、エンデルクの言葉は、言葉にされることはなかった。
言ったところで、シュワルベは否定しかしないのだから、無駄だろう。
「また来る。」
そう言ったエンデルクの言葉に、シュワルベは「来るな。」とは言わなかった。
エンデルクにとっては、それで充分だった。
静かに部屋を出たエンデルクは、無言のまま廊下を歩いていた。
エンデルクとシュワルベが、お互い、大切に思うものは同じ。
だが、それを手に入れたのは、幸運にも、エンデルクの方だった。
「……いや、手に入れたというのは、語弊があるか。」
エンデルクとシュワルベが求めるその相手は、決して、誰のものにもならない。
そんな人間だ。
ただ、シュワルベより、エンデルクの方が、少しだけ、彼女に近い位置にいることが許されている。
ただ、それだけ。
そう、考えて、エンデルクは、1人、誰にも気づかれないよう、ため息をつき、そして苦笑した――。
――――――――――
ザールブルグへ戻ってきたエリーを、飛翔亭のディオさんや、クーゲルさん、それに、ノルディスを筆頭としたアカデミーの面々、イングリド先生や、ヘルミーナ先生までが、本当に嬉しそうに迎えてくれたのだった。
中でも、アニスは自らの責任を感じていたことから、エリーの姿を見るなり泣き崩れた。
「エリー先輩! 私……、私……。」
ごめんなさいと、泣きじゃくるアニスを、エリーはポンポンと背中を叩いて慰めながら、ニコリと笑った。
「アニスが無事でよかったよ? 私、それがすごく心配だったの。……ほら、泣かないで。私が勝手にしたことなんだもん。ね?」
そんなエリーの言葉に、アニスはさらに泣き崩れたのだった。
エリーの無事を祝う会と称された、飛翔亭でもお祭り騒ぎは、二晩続き、ようやくエリーが解放されたのは、ザールブルグへ戻ってきてから3日目の朝だった。
主役のエリーそっちのけで、飲んで騒いでを続けていた冒険者達や、マリーは、完全にお酒につぶれており、元々お酒に強くないために自粛していたエリーとアニスは、苦笑しながらその面々をディオたちに頼んで、工房とアカデミーへ、それぞれ戻ったのだった。
ちなみにダグラスは、いくらエンデルクが認めたからといっても、勝手に任務を放り出したことに対しては、こってりと絞られたようで、すでに帰還した次の日から、通常任務についていたため、飛翔亭にはいなかった。
――それが、エリーには残念だったのだが……。
「じゃあ、エリー先輩。ほんとうに、つき合わせてしまって、申し訳ありませんでした。ゆっくり、休んでくださいね!」
「うん、わかってるって。心配症だなあ、アニス。」
工房の前まで、しっかりエリーを送り届けたアニスは、そう言って、エリーに抱きついた。
「本当に、先輩には感謝してます! でも! ……先輩も、自分を大事にしてくださいね!!」
「……うん。ごめんね。」
アニスが真剣にエリーを心配しており、その上で言いたいことがわかって、エリーは真面目に受け止めた。
「ありがとう。」
エリーのその言葉に、ひとまず安心したらしいアニスは、それじゃあと、そろそろ人通りの多くなってきた職人通りを、アカデミーへと向って歩いていくのを、エリーは見送った。
完全に、アニスの姿が見えなくなったのを確認して、エリーは工房の中へと入ったのだった。
―――――――
「お、やっと、お目覚めか? マリー。」
その頃、飛翔亭で、ようやくマリーが目を覚ました。
「あーれー? なんで、工房にマスターがいんの〜?」
「……ここは、飛翔亭だ。……寝ぼけるな。」
言われて、キョロキョロと辺りを見回し、「本当だ〜」とマリーは苦笑した。
「エリーは?」
「とっくに、工房に戻ったよ。……で、だ、マリー?」
「ん〜?」
眠気と酔い覚ましに、水をもらって飲んでいたマリーは、いきなり何かを切り出してくるディオに、目線だけで反応した。
「この騒ぎの代金、誰が払ってくれる?」
言われた言葉に、思わずマリーは水を吐き出した。
「ゲホッ……!! って……、ええ!? マスターのおごりじゃないの〜!?」
「誰が、そんなことを言った?」
「で、でも……。」
「まあ、エリーは主役だからな、疲れてもいるだろうし。エリーの分だけは差し引いてやってもいい。だがな……。」
ディオが顎で示した先に転がっているのは、空になった酒の瓶、ビン、びんの山……。
「……アレだけの量を、おごりにしろというのは、ちと、な……。」
しかも、大半が、マリー、お前さんとミューだろう? と言われて、マリーに返す言葉がなかった。
「ルーウェンだって……。」
「ああ、飲んでいたな。」
あっさりと返されて、ううう……とマリーはうなった。
「まあ、俺だって、鬼じゃない。……この依頼、受けてくれたら、チャラにしようじゃないか。……もちろん、報酬はこっちもちになるが。……どうだ?」
「やるわ!」
即決したマリーに、ディオは苦笑した。
「じゃあ、よろしく頼む。グラセン鉱石を30日以内に2つだ。」
「……えっらいまた、急な依頼だこと。……ヴィラント山まで往復で何日かかると思ってんの? その依頼主。」
ブツブツ言いながらも、蹴る気はないらしく、素直に受けるマリーにディオが苦笑した。
「いや、本来、日程的にそれ程急な依頼じゃなかったんだが、なんせ、お前さんたちがいなかったから、ヴィラント山まで行こうって言う冒険者、錬金術師がいなかったんだよ。……かといって、これはお得意様からの依頼だからなあ……。」
断りたくはなかったんだというディオの言葉に、マリーは理解したように頷いた。
「客商売は、信用が第一、だもんね。了解! 行くよ! ルーウェン!! ミュー!!」
言うが早いか、2人を蹴り起こし、いまいち現状を把握していない2人の抗議の声など無視して、引きずるように3人は飛翔亭から消えていった。
「ようやく、日常にもどったな。」
ほっとしたようにつぶやくディオの言葉に、クーゲルはグラスを磨きながら、無言で頷いた。
【To be continued】