次の日の朝。
まだ、自分の寝台で眠るエリーを残し、アイゼルは静かに工房を出た。
その際伺い見たエリーの顔は、疲れたような顔をしていて、明らかに泣いたことがわかるくらいに、目元が赤くはれていて、アイゼルの胸がチクッと痛んだ。
アイゼルは、いつもの優雅な歩き方ではなく、明らかに何かに急いているような、そんな事がわかる慌しい歩き方で城に向っていた。
余計なおせっかいかもしれなかった。
でも、放っておけなかった。
アイゼル自身、ノルディスとのことに、エリーには本当に色々励ましてもらったり、手伝ってもらったりした。
――嬉しかった。
だから、今度はエリーのために自分が動くのが当然だと思った。
しかし、あの門番も鈍いに程があると思った。
エリーの感情はわかり過ぎるくらい、解り易いものだと思う。
事実、エリーとそれ程親しくなかったアカデミー入学当時から、楽しそうに門番のことを話すエリーに、「この子、その聖騎士のこと好きなんだわ。」と感じていた。
――当時には、まだエリー自身にも自覚がなかったようではあったが。
それから、エリーがどんな風に自覚して、どれほどあの門番のことを大切に思ってきたか、アイゼルはよく知っていた。
だからこそ、そんな誤解をしたダグラスに、少しばかり腹もたった。
「……あの鈍すぎる門番に、言ってやれるのは私くらいだものね。」
そうつぶやいたアイゼルの緑の瞳には、少しばかり怒ったような強い光が浮かんでいた。
そのまま、城までたどり着いたアイゼルは、門前に立つ聖騎士に眼をやって、それが目当ての人物でないことに行儀が悪いとは思いながらも舌打ちしたい気分にかられた。
そして、その聖騎士の前に立ち止まると、堂々と名乗りをあげて面会の許可を求めた。
「私は、アイゼル・ワイマールと申します。聖騎士のダグラス・マクレインに面会したいのですが。」
アイゼルはすぐに来賓室に通され、程なくダグラスが現れた。
「よお、お嬢。珍しいな。面会許可求めてくるなんて。」
「……あなたが、門番してないからでしょ?」
いつものように、アイゼルに対してからかうような口調で部屋に入ってきたダグラスだったが、その青い瞳にいつもの明るい光りがないことに、アイゼルは敏感に感じ取った。
(……落ち込んでるのね。普段、神経なさそうなのに。)
ひどい言いようだが、アイゼルにしてみれば、粗野で乱暴とも取れる、聖騎士らしからぬダグラスの評価など、こんなものだった。
「で? 一体、何の用だ?」
コレでも忙しいんだから、手短に頼むと言われて、アイゼルはちょっと気持ちを落ち着ける為に深呼吸をした。
「……エリーのことよ。」
名前を出したとたん、一瞬だけダグラスの雰囲気が変わった。
ピクッと不自然に体が揺れたが、次の瞬間には、いつものような軽い笑みを浮かべていた。
「エリーが、どうしたって?」
極めて平静を装っているのが、アイゼルにはバレバレで、逆に痛々しい気もしたが、アイゼルはその点については無視した。
「今、私の工房にいるわ。……泣いてたみたいだけど、あなた、何故か解る?」
ダグラスの目に、暗い光がともる。
「……お嬢。……俺を怒らせに来たのか?」
アイゼルが、朝一に自分の所に来たという時点で、なんとなく予想がついていた。
会いたくはなかったが、無視も出来ずに会ってみたところ、これだ。
ダグラスは舌打ちした。
ダグラスは、アイゼルがエリーが泣くだけで言えなかった「NO」という返事を伝えにきたのだと思った。
なのに、それをはっきり言わずに、ダグラス自身に改めて気づかせようと言うのだろうかと思うと、腹が立って仕方がなかった。
「――知ってんだろ!? わざわざ、念押しにでも来たのかよ!! 言いたいことがあれば、はっきり言えばいいだろ!?」
傷ついた心を守るような、とげとげしい言葉で、アイゼルに怒鳴りつけるダグラスに、アイゼルはため息をついた。
「……あなたって、ほんと短気ね?」
アイゼルがいきなり変えた話の内容に、ダグラスはちょっとだけ気が削がれたが、すぐに馬鹿にされてるのかと思って睨むようにして怒鳴りつけた。
「悪かったな!」
「……鈍いし。」
「余計な世話だ!!」
またアイゼルがため息をついたことで、ダグラスは、これ以上話してられるかと、そのまま部屋から出て行こうとした。
「エリーは怖がってる。あなた、じゃなくて、男の人を。……攫われている間に、何があったか、あなた聞いた?」
アイゼルに背を向けたまま、ダグラスはピタリと足を止めた。
「……優しい手は、怖くないらしいわ。……ただ、自分じゃどうする事もできない無力さを感じる強い力に、怯えてる。」
「………それ、は?」
「あなたが、自分でエリーから聞くべきね。……あと、もう1つ。あなたが鈍いって言ったのはね、……涙って、嬉しい時にもあふれるものよ?」
バッと、勢いよく振り返ったダグラスの目に映ったのは、ダグラスが部屋に来る前にすでに淹れられていた紅茶のカップを優雅な様子で持ち上げて、飲んでいるアイゼルの姿だった。
「おわかり?」
ちょっと睨むように、ダグラスに向けられたアイゼルの緑の瞳には、優しい光が浮かんでいた。
「……ああ、悪かった……。――あと、わざわざ、ありがとうな。」
そう言って、アイゼルに笑いかけてきたダグラスの顔に、アイゼルは思わず動きが止まってしまった。
そのアイゼルに気づいた様子もなく、ダグラスはそのまま来賓室の扉から飛び出していった。
しばらくその場で呆然としていたアイゼルだったが、思わず、笑いが止まらなくなった。
「なるほど、エリーはあの笑顔にひかれたのね。」
ダグラスの最後にアイゼルに向けられた笑みは、アイゼルが今までに見たことがないほどに優しいものだった。
アイゼルの好みではないにしても、あの笑顔にひかれる女の気持ちがよーくわかった。
それが、エリーに関しては、完全にエリー自身に向けられていたのだ。
勘違いでも、なんでもなく。
明らかに、惜しげもなく。
ダグラスは、エリーにあの笑顔を向けていたのだろう。
そのダグラスに、エリーが、惹かれないわけなどなかったのだ。
まあ、おそらくは、それだけではないのだろうが……。
「でも、よかったわね、エリー? あの笑顔はあなただけのものになるわよ?」
そうつぶやいて、アイゼルはあてられた気分になり、急にノルディスの顔が見たくなってしまって、そのまま自分の工房に戻らず、ノルディスの工房へと足を向けたのだった。
【To be continued】