東棟の街道沿いを、注意深く用心しながら、ダグラスたちは進んでいた。
だが、街道を半分以上過ぎても、盗賊が現れる気配がなく、じりじりと時間だけが過ぎていた。
夜半、交代で見張りをしていたウルリッヒは、ダグラスの気配が何時まで経っても落ち着かないことに気がついていた。
「……眠れないのか?」
「……ああ……。」
不機嫌そうにそう、ポツリとつぶやくと、毛布に包まったまま、ダグラスは体を起こした。
「眠れなくとも、無理やりにでも寝たほうがいい。」
「わかっている……!!」
唇をぎゅっとかみ締めると、勢いよく、毛布とともに地面へと倒れこんだ。
ウルリッヒはその様子を見て、小さくため息をついた。
それから、ウルリッヒは、リリーの様子を伺ったが、リリーは、何も気づかなかったように、平和な顔で眠っていた。
とりあえず、ダグラスは眠れないながらも、体を休めることに専念していたようだったが、朝方、夜が明ける前には起き出し、リリーが目を覚ます頃には、落ち着かないことを理由に、周囲の見回りへと出ていた。
「ごめんなさい。……私、寝坊したかしら?」
リリーは、目覚めとともに目の前に差し出されたスープを受け取りながら、ダグラスの姿がないことに苦笑した。
「いや、そう言うわけではない。」
ウルリッヒは、静かに首を振った。
「彼は?」
「見回りだ。……落ち着かないのだろうな。小一時間程で戻ると言っていた。」
「そう……。」
リリーは、頷くと、何か思案するような顔になった。
「どうした?」
「いえ、その……。彼の、大切な人は、どういう人なのかしら……?」
「さあな。それは、彼自身に聞いた方がいいだろう。」
「ええ……。」
どこか歯切れの悪いリリーに、ウルリッヒは硬い表情になった。
「何か、気にかかることが?」
「いえ……、その……。」
珍しく口篭もる妻を、静かに見守りながら、ウルリッヒは言葉を待った。
リリーは、キュッと唇を噛み締めると、思い切ったように顔を上げ、ウルリッヒの目を見ながら口を開いた。
「……やっぱり、女性……ですよね? それも、若い……。」
「たぶんな。はっきりとは言わなかったが、確か、エリーと言ったか……。……それが、どうかしたのか?」
「それが、どうというわけではないのですが……。」
リリーは、また口を閉ざし、辺りを一度見回してから、ウルリッヒに目を戻した。
「……もし、女性にとって、耐えられない……、ひどい目にあっていたりしたら――。」
「リリー……。」
「私のような年齢にでもなっていたらまだしも……。……若い女性に、そんなことが耐えられるかしら……? ……もし……。」
「リリー!!」
妻である女性の言葉に、ウルリッヒは声を強めた。
「ウルリッヒさま?」
リリーは、首をかしげた。
そのリリーを、ウルリッヒは力いっぱい抱きしめた。
「リリー。そのようなことを言うな。……つらいと感じるのに、年齢など関係あるはずがない。それに……、私は、おまえがそのような目にあい、苦しむ事など、考えたくもない。」
リリーは、やんわりとウルリッヒを抱き返し、その広い胸に顔をうずめた。
「ありがとうございます、ウルリッヒ様。――ええ、解っています。……私が言いたいのは……、私には、あなたに愛された幸せな記憶、経験があります。……ですが……、エリーという娘が、そうであるとは限らないのです。」
「……………。」
「私が、もし、そう言う目にあったとしても……、私は、あなたが、何を躊躇うでもなく、支え、抱きしめてくれることを信じています。」
そうでしょう? と、目で問いかけてくるリリーに、ウルリッヒは即座に頷く。
「あたりまえだ。」
その答えに、一瞬ニコリと笑ったリリーは、また表情を硬くし、言葉を続ける。
「……ですから、耐えられるのです。……その娘が、そう言うふうに、心の支えにでき、そして、どんなことがあっても、信じられる相手がいないときのことを、気にしているのです……。」
自分の胸元から、真剣な瞳で見つめてくるリリーを、見返し、ただ見つめあう。
「大丈夫ではないか? ……あの青年がいる。」
「ええ……。ですが………、いくら、彼が支えようとしても、彼女が受け入れないということもあります……。」
まだ、見たこともない相手に対して、すでに心を痛めているリリーを、ウルリッヒは、とても愛しいと思った。
誰かのためを思い、偽善でも、同情でもなく、心を砕ける彼女が、とても美しいと思う。
そして、それだけでなく、彼女は、周囲の者の悲しみや苦しみを癒す、不思議な力を持っていた。
その力に救われた者は、ウルリッヒが知るだけで、両の手では足りない。
他ならぬ自分自身も、彼女に救われた一人であるのだから――。
「……まだないことを心配しても始まらないが……。……あの青年に、期待するしかないだろうな……。」
「……それと、その、娘の強さに、です。」
「……そうだな。」
ウルリッヒは、軽く息を吐いた。
「……われわれにできるのは、一刻も早く、その娘を救い出すことだけだ。……それまで、無事である事を祈るしかないだろう。」
「……ええ。わかっています。」
目を伏せ、静かにそう頷くリリーを、ウルリッヒは、また、強く抱きしめた。
静かな森の中、その場にいる人の心情とは裏腹に、元気な鳥の鳴き声が響いていた――。
朝日が僅かに差し込みかけた、森の中、ダグラスは一人、周囲のどんな気配ものがさないつもりで、神経を張り詰めて歩いていた。
ウルリッヒには、小一時間で戻ると告げてきたため、そう遠くへは行けない。
時間だけが無為に過ぎていくことが、ダグラスには耐えられそうになかった。
こうして、体を動かしていると、ほんの少しだけだが、気がまぎれるような気がした――。
四半時ほど歩いただろうか、ダグラスはある気配を感じ、眉をひそめた。
(…………人だ。)
獣の気配とは明らかに違う。
数人の、行き交う気配。
かすかに聞こえる、話し声。
自然と、口元が緩むのを感じた。
このような時間帯、こんな森の中で密談をしているような輩など、種類が決まっている。
ダグラスは、慎重にその気配に近づいていった。
ダグラスが考えたとおり、ダグラスが気配を感じた場所から5分も歩かない場所に、男たちはいた。
ダグラスは、自分の気配を消す気もなく、堂々と男たちの前へと歩み出た。
驚いたのは、男たち――盗賊の手下たちだった――。
「なんだ!? てめえは!?」
「おれたちを誰だと思ってやがる!!」
その場にいたのは4人。
一斉に殺気だった目をダグラスに向けてきたが、ダグラスにはどこ吹く風だった。
どいつもこいつも大した強さを感じられず、完全な雑魚だとダグラスは判断し、舌打ちをした。
そのダグラスの様子に、一気に頭に血が上ったらしい男たちは、おのおのの武器を構え、ダグラスに襲い掛かってきた――。
ダグラスは、周囲の木々の生え方――感覚や、足元の土の感触を感じながら、器用に立ち回り、腰に佩いた聖騎士のつるぎに手をかけた。
そうして、次の瞬間、自分めがけて切りかかってきた剣を、弾き飛ばした。
「何!?」
武器を飛ばされ、気を散じた男は、次のダグラスの攻撃をまともに浴び、その場に倒れ、その隣にいた男は自分が切りかかられたことにすら気づかないまま、仰向けに倒れた。
他の男たちは、一瞬で2人がやられたことで、逆に冷静さを取り戻したのか、ダグラスに対して距離をとり、次の攻撃の仕方を考えているようだった。
「……雑魚に用はねえんだよ!! おまえらのアジトと、攫った女の居場所を言いやがれ!!」
ダグラスの全身から沸きあがる、怒気と闘志にひるんだ2人の男たちは、じりじりと後退を始めた。
「……逃げんのか!?」
ダグラスの挑発も、完全にダグラスの気迫に負けていた男たちにとっては、なんの効果もなかった。
そのまま、一目散に木々がより茂った森の中へ逃げ込もうとする相手を、ダグラスは追いかけた。
そうして、1人に目星をつけて追い詰めると、思い切りその背中を蹴倒し、地面に踏みつけるとそいつの顔の横につるぎを突き刺した。
「ひ……ひいぃぃ……!!」
「逃げんな! 答えやがれ!!」
男は、あまりの恐怖に歯がかみ合わないらしく、ガチガチとただひたすらあごを震わせていた。
だが、その男の様子も、先ほどまでの男たちと同様に、頭に血が上っていたダグラスは気づいておらず、自分の質問に答えようとしない男にさらに腹を立てて、踏けたままの背中に、さらに力を込めた。
「ギヤアアアアア!!!」
その重みと痛みで、背骨がミシミシと折れそうな音をたて、男は悲鳴を上げた。
「やかましい! おれが聞きたいのは貴様の聞き苦しい悲鳴じゃねえ!!」
めちゃくちゃな言葉だったが、ダグラスは必死だった。
「貴様らの――。」
言いかけたダグラスの言葉が不意にとまった。
男に向けていた意識を、慌てて周囲に向ける。
かすかだが、確かに、こいつら雑魚とは違う、警戒に値する人間の気配を感じたような気が、したのだ――。
【To be continued】